(6)自由
***
「ねえねえ、冬はさ将来やりたい事あるの?」
先ほど異様に光が強くまだ夕暮れ時だというのにただならぬ存在感を醸し出していた謎の自販機で買ったソーダの缶をゆらゆら揺さぶりながら、何気ない風に訊いてきた。
「え? 急だな~。つまり将来の夢ってこと?」
目を丸くしながら横で鼻歌を歌っている彼女を見るとこくりと頷いた。
唐突に訊かれて答えられるものではない。というかそもそも僕に夢なんてあるわけがなかった。強いていえば彼女と――いや、やめよう。変な方向に持っていくのは。
「う~ん。まだ決まってないかな」
「そうなんだ」
まるで分っていたかのように軽く相槌を打つ。そんな彼女に首を傾げる。なんで分かっていたのならわざわざ僕に訊くのだろう。分からないが、どこか訊いて欲しそうな雰囲気が彼女の周りに漂っていたから――
「じゃあ逆に華恋はそういう夢あるの?」
「お、よくぞ聞いてくれたな、諸君」
よっぽど訊いて欲しかったのか、嬉しそうにどこぞの物まね風にして言う。
「諸君って。一人しかいないし。しかも誰だよ、そのキャラ」
彼女の低い声やビシッと人差し指を宙に突き刺す仕草などが妙に様になっていて思わず笑いを堪えられず「ふはっ」と自分でも気持ち悪いと思うくらい破顔してしまった。
「ふふ。内緒」
と僕のリアクションに満足したのか満面の笑みを浮かべた。
「で、話を戻すけど。夢といえば夢なんだけどね……でも、どっちかっていうと「やりたいこと」の方が近いかな」
ところがさっきまでの勢いは急に失速し、歯切れが悪くなる。
「やりたいことってなに?」
だから僕は何気なく返す。すると、どこか恥ずかしそうに口ごもってしまった。僕は何も言わずに彼女の言葉を待っていると身をくねらせながら静かに呟く。
「……私は音楽が好きだからさ、曲を作ってみたいと思っててさ」
とどこか自信なさげに言う彼女を見て、身体が熱くなるのを感じながら素直に感心する。
「いいじゃん! 華恋は音楽好きだしセンスもあるし、すぐできると思うよ」
と本心から感嘆したことを述べる。決してお世辞ではなかった。本当に彼女は才能に恵まれていた。その透き通るような美声もそうだけど、リズム感覚、音感みたいなものが並大抵の人とは比べものにならないくらい秀でている、と僕は思う。けれど、彼女は謙遜しているのか周りに遠慮しているのか、余り前に出ようとはしない。だから、僕は彼女が前に出れるようにしてあげたいと思っていた。
「ありがとう。何か照れるよ」
顔をりんごのように赤らめる彼女。夕陽も相まってまるで映画から飛び出て来た女優さんみたいだ。
「応援してるよ」
と一言しか言えなくなってしまう僕。これもそろそろ直したいのに。
「え? 何言ってるの? 冬も手伝ってよ」
と、耳を疑うことをさも当然かのようにさらっと言う。
「えっ、だって全然音楽なんてできないよ。音感もないし楽器も弾けないし」
「そんなの関係ないよ。音楽嫌いなの?」
上目遣いで訊かれると反発できなくなる。これは反則だろ、と心が浮つきながらもいつも毒吐く。
「……嫌いじゃなくて逆に好きだけどさ」
「だったら尚更だよ。私と音楽作ろうよ」
「でも……才能も何もないし、それに僕、幼稚園児レベルだよ? この前のカラオケ聴いてたでしょ?」
「才能は関係ないよ。問題なのは熱意だよ?」
そんなプロの音楽家の受け売りの決まり文句を言われたって……。
「でも……」
「――でも、でも、うるさいなー。いいじゃん、幼稚園児でも、やってみれば」
と慰めてるのか挑発してるのか分からない言葉を投げつけられて、さらに渋ってしまう。
「でも本当に何もできないよ」
「あっ! でもってまた使った! 使いすぎ」
と悪さをしたがきんちょを窘めるような口調で言われ、何も言えなくなる。
「ていうかさ、前言ってたじゃん。お父さんからギターもらったって」
「あー。あれは全然弾けなくて置きっぱなしになってる……。でもなんで今?」
すっかり忘れていたところを突かれる。なんか嫌な予感が……。
「なんでって……もちろん、私の曲作りに貢献してもらうために、楽器を弾けるようになってもらわなくちゃ」
何を言っているんだ、彼女は。と目をまん丸くする。
「一回挫折した身だし、それに――」
「言いわけはいいから。なんとか弾けるようにして」
口が半開きになっていた。なんとかって無理だろ。一回挫折したのに……。
「今すぐ練習して。そして明日には弾けるようにして」
その言葉で顎の関節が外れるんじゃないかと思うぐらいあんぐりとする。
「い、一日……なんて無理だって」
「それは言いすぎだけど、でもギターが必要なんだよ」
真剣な目で深く澄んだ蒼い瞳で頼まれると……。
「わ、分かったよ。なんとかやってみるよ。でも、他の人でよくない?」
結局こうなってしまう。
「他の人じゃダメ。冬じゃなきゃ」
と芯のある声で言われまた全身が沸騰し始める。
「で、でもさ、ギター弾けるようになったらどうするの?」
観念して訊くと、ぱあっと彼女の顔が少女のようにキラキラと輝き出す。
「ふふ。それはもう決めてあるの。私のピアノと冬のギターでメロディーを作り後はパソコンで打ち込んで曲を完成させ私が歌う」
正直そこまで考えていると思っていなかったから瞠目する。でも、よくよく考えれば彼女のことだ。きっとそれ以上に色々考えてプランが幾つもあるのだろう。
「でも歌詞はどうするの?」
ふと疑問に思った。彼女が普段から聴いていて創りたいと思うものはJ-POPの歌ものだ。だったら、歌詞は相当重要になってくる。そもそも彼女自身が歌詞を特に重要視していた。歌詞を見て感動して泣いた、と彼女は多々言っていて、情緒が豊かだなと毎回のように感じている。そんな彼女が歌詞を大事にしないはずがない。けれど――
「冬が作ってよ。前、冬が歌詞を書いてるところ見たことがあるからさ。書けるでしょ」
と、まさかの僕。再び目を点にする。というかなんで? 僕の黒歴史の産物を知ってるの?
「いつ⁉ 見たの⁉」
見てはいけないものを見た人を問い詰める人はこんな感覚なのだろうか。
「冬の家で勉強会開いて、冬が席を立った時かな」
と全然悪びれる様子もなく言われるものだから、咎める気力も失せてしまった。
「でも、あれは黒歴史で……。拙いしくさいし」
「いや、全然拙くなんてないよ。胸が打たれて感動しちゃったもん」
「あ、ありがとう」
ちょっと潤んだ瞳で言われると顔が熱くなってしまう。
「ね! だ・か・ら・やってみようよ!」
少女のように純粋無垢な目にはしゃいだ声色。嬉しいような恥ずかしいような、ワクワクする感情が湧き上がってきていた。
近くでひぐらしの鳴く音がした。
茜色に染まっていく街の中で彼女の横顔を見た。真っ赤な夕日に照らされながら無邪気に笑っている。風が吹き髪が靡く。静かにふわりと宙を舞い、微かに甘い匂いがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます