(3)虚ろ

         ***

 どこか遠くで大きな音が鳴った。

 その音で視界が何もないコンクリートで埋め尽くされた。

 辺りを見渡すけど、大きな音の原因となるものは見当たらない。ただあるのは大きなビルや商店街や住宅街等が立ち並ぶだけのごくごく普通のつまらない景色。

 けれど、僕にはここがどこだか分からなかった。どうしてここにいるのかも。何もかも分からなかった。

 いや、分からないんじゃない、本当は分かっている。ただ、それを認知するのが恐いだけだ。そんな気もしてくる。結局曖昧なままなのだ。

 あやふやなまま、考えるのを止めた。

 考えても、余計分からなくなって、こんがらがるだけだ。それにこの世には考えるだけ無意味なことの方が多い。しかも知らなくていいこともある。それを知ってしまっただけに人生を断ってしまうほど深い罪悪感に苛まれることも少なくない。とどこかの小説で読んだ気がする。


「――はぁ」


 深く息を吸い、吐く。目を閉じても開いても見えるのは灰色のような世界ばかりだ。重い足取りで廃れているフェンスに手を突く。まるで病人みたいにゆっくりとゆっくりと身体をひねりフェンスにもたれかかり、さっき自分が立っていた場所を見渡し、視界の端で高層ビルを見やる。どうもここはどこかの屋上らしい。今まで気がつけなかった自分に辟易する。いや、そういう次元じゃない。もうこれは廃人といってもいいんじゃないだろうか。今自分がいるところが地上かどうかも分からないなんて生きてるといえるのだろうか。五感もしっかり――機能しているのかは分からないが――付いているのに。

 身体中の垢を吐き出すようにもう一回二酸化炭素を吐き出すとまた態勢を変え錆臭い金網の跡がついた背中は解放され、次は手のひらが餌食になる。

 高さは……どのくらいだろうか。もうどのくらいの高さなのか見当もつかなくなっていた。数メートルな気もするし数センチの気もするし、はたまた数百メートルな気もしてくる。

 だから外界を見るのをやめた。

 また背中を餌食にしキシキシと不気味な音を生む怪物に身を委ねながらずりこむように座り込む。

 そんな所で何をするでもなく、ただ、ぼっーっと息をしていた。

 時の流れが遅く感じてくる。今、何時なのかも分からない。もちろん、時計やスマホ――今の時代、それらを携帯しないことは死を意味するといわれている物を廃人に成り下がった僕が持っているのかすらも怪しいが――を見る気力さえ無い僕は、時間なんてどうでもいいとさえ思えてきていた。

 ふと、この身を凍てつかせる、とまではいかないが、それでも確実に精神を病むほどの「風」が僕を貫いた。

 しかし、端から見ればなんてことのない普通の風だ。

 でも、何かが違っていた。その何かは体が直感的に感じ取っていた。それは「寒さ」ではない。「暖かさ」だった。そんな真反対のことに気づくのにこんな僕がどのくらいかかったのかなんていうまでもない。

 おぼつかない靄の中で本能が強く生身を突き刺すほど訴えかけていた。もうそれは咎めている、といってもいいかもしれない。



 ――夏の匂いがする。

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