(2)快晴の下

         ***

 今日は汗が滴り落ちては漆黒のアスファルトにシミを作ってヘンゼルとグレーテルの話にあるような道を作ってしまうほど、ひどく暑かった。

 時計を確認しながら、少し小走りで公園に向かう。

 目の前の信号が青色から黄色そして赤色に変わった。

 ふと、上を見ると、どこまでも澄んでいる青空が一面に広がっていた。雲一つなく、濃い青色から限りなく白に近い淡い色まで様々なグラデーションがかかり輝いて見えた。見てるだけで心地良かった。

 信号が青に変わる。もう水たまりのようになっていたが気にせずに、また、歩き出す。

 公園の中にある二人用のベンチに彼女が座っているのが見えた。

 今度はちゃんと走ってベンチまで向かう。

「ごめん、ごめん。待った?」

 息を切らしながら彼女に向かって叫ぶ。

「ううん。私もついさっき来たところだよ」

 そう言いながら、彼女は読んでいた本をバッグの中にしまい、立ち上がる。

 夏の日差しに似合うような白いワンピースを着て、可愛らしいサンダルを履いていて、手には小さなバッグを提げている。

「ん? どうしたの? 何か付いてる?」

「え?」

「いや、ふゆが見つめていたから」

「あ、ああ。い、いや、何も付いてないよ」

 僕は彼女になんとかばれないように慌てて取り繕った。だけど、そんなのはすぐ見抜かれてしまうわけで――

「……い、いや、や、やっぱり付いてるよ。ほら、そこ」

「え? どこ? 何も付いてないじゃん。何か嘘っぽいな~」

 彼女はからかうような不敵な笑みを向ける。

「ふぇ?」

 ばれるなんて分かっていたのに変な、声にもならない声が漏れてしまう。

「ほら~。図星でしょ。冬は嘘が下手なんだから」

 呆れが少し混じった笑みを浮かべ彼女は言う。

「ご、ごめん」

 やっぱり敵わないや。それにやっぱり嘘を吐くのは僕には向いていない。

「ほら。なんで嘘吐いたの?」

 彼女は子どもを優しく𠮟りつけるような穏やかな口調で迫ってくる。

「え。あ、あの、その……」

 恥ずかしさに赤面するが――

「ちゃんと答えて。隠そうとしても無駄だよ」

 僕は澄んだ藍色の瞳を見て観念した。

「そ、その、華恋かれんが可愛かったから。だから、みとれちゃった」

 もう……僕は何を言っているんだろう……。

「え? えええええぇぇぇ!!」

 けれど、驚いたことに、彼女は少し甲高い声を上げて、みるみる顔が赤くなっていった。

 一拍の沈黙が流れた。が、先に口を開いたのは視線を宙に泳がせていた彼女だった。

「あ、ありがとう、冬」

 顔を艶やかな唇と同じ色に染めながらはにかむ。

「……う、うん」

 そんな彼女に胸がざわつき曖昧な返事しかできなかった。それにお礼を言われるなんて思っていなかったから、少し戸惑った。

「嬉しいよ。私、このワンピース、冬にどう思われるか心配だったから。ほら、私って余りこういう清楚な感じの服って着ないじゃない? だから可愛いって言ってくれて本当に嬉しいな」

「うん。本当に似合ってるよ。ワンピースは華恋に着られるためだけに生まれてきたって言っても過言じゃないよ」

 そんなくさいことを言ってしまうくらい、僕は興奮していたのだと思う。その証拠にまだ、心臓がどくどくと大きく脈打っていた。

「ふふ、何それ。言いすぎだよ。それにくさいよ?」

 最もなことを言われて少しへこむ。それに急に恥ずかしさが襲ってきて立ち眩みがきた気がした。彼女がこちらに顔を向けてくるが余りの恥ずかしさに目も合わせられないから、そっぽを向いた。すると――

「でも、冬はその服装余り似合ってないや」

「えっ」

 余りにも唐突にぶっきらぼうに突き放される。さらに斜め上のことを言われ意表を突かれ、目を点にする。

 今度は違う意味で心臓が静かに暴れる。ゆっくりとゆっくりと振り返る。時間にすればものの数秒もしないと思うがひどく長く感じられた。彼女の輝いた髪が目の端に映ったその時――

「ふふ、嘘だよ」

 と悪意に満ちた笑顔を向けられる。僕はそれに心底安堵しつつ眉をひそめる。

「あはは。ごめんね。そんなに不機嫌そうにしないでよっ」

 彼女は軽くポンっと肩を叩く。そんな彼女にじろりと視線を突き刺すと、

「……ご、ごめんなさい」

 と急に除草剤で枯れ切った花のように萎れてしまう。

 冷や汗が全身を覆い頭に霧がかかる。

 そんな固くなっている僕に彼女は口パクで何かを囁く。

 ――うそ

 そう言った気がした。再度の安堵と不安と苛立ちがごちゃ混ぜになって潤む瞳で見つめ返すと、

「なに泣いてんのよ」

 と優しくハンカチを僕の頬に当てて夏の日差しで熱くなった雫を丁寧に拭き取る。

 彼女の優しさと匂いと柔らかさでまたこみ上げてきたがなんとか堪える。

「じゃあ、行こう」

 彼女はハンカチをバックにしまい綺麗な腕を伸ばす。

 そして、僕の手を優しく掴む。

 彼女の手は不思議と暖かくも涼しくも感じた。

「大丈夫?」

「うん」

 僕はいつものように答え、一緒に走り出す。

 彼女が僕をどこまでもどこまでも遠くへずっとずっとここじゃないところへ連れて行ってくれる。

 彼女が少し前に出て、僕は手を引かれながら、後ろ姿を追う。

 爽やかな風とともに初夏の匂いが僕たちを包んでいた。

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