第32話 屋上(隼人視点)

「なあ、ちさき。真香じゃなくて、俺と広島に行ってくれないか?」


 ちさきは無言で俺を見た。蒼い瞳がゆらりと揺れる。


「でも、今更……、真香ちゃんが一緒に行くと言ってるのに……」


「俺はちさきと行きたい。真香の広島行きを断るの、俺に任せてくれないか?」


「うん、分かった……、ねえ、隼人……さっきみたいにぎゅっとして欲しい。落ち着くから……。だめ、……かな?」


 ちさきはそう言って視線を外した。頬がほんのりと赤い。俺は何も言わずにちさきを抱きしめると、ちさきは俺の胸に顔を埋めた。ちさきの腰は少し力を入れたら折れてしまいそうなほど細い。ほんのりとしたジャンプーの匂いが心地よい。


「あの、病院にずっといたから、……ちゃんと洗えてるか分からない。その……あまり匂わないで」


「大丈夫……、いつものちさきの匂いだよ」


「恥ずかしい……でも、こうしてると少し落ち着く」


「俺もだよ。ちさきを抱いてると、とっても落ち着く」


「ごめんね。これまで何も知らないで……」


「いいよ。分かってくれたら。それと今後の連絡はLINEでするからさ。ちゃんと見てくれよ」


「うん、分かった」


 俺はちさきを抱きしめながら、真香のことを考えていた。これからどうすべきか。全てを話してしまうのもいいが、今の状況では、逆上した真香がちさきの元に向かう可能性を否定できない。


 じゃあ、何も言わないでちさきと広島に行くべきか。いや、それは駄目だ。真香との約束を反故にしてしまうことは、今後のために良くない。


「ちさき、お母さんと話して退院を1日だけ早めてくれないか?」


「隼人がそうしろと言うなら、お母さんに話してみるよ。1日くらいなら大丈夫だと思う」


 ちさきの退院の日に真香と会わせるわけには行かない。


「それと広島へ行く当日、駅までお母さんに来てもらうことはできないか?」


「隼人と一緒に行けないの?」


「俺はその日、全てを真香に話そうと思う。その足でちさきの元に向かうから……」


 退院前だと、真香は俺に内緒でちさきに会いに来るかもしれない。本心を伝えるのはなるべく遅い方がいい。


「分かった。お母さんに相談してみるね」


「うん、真香とは、きちんと決着つけるからね」


 真香の旅費はちさきが出すことになっている。俺が代わりに行くことになっても、影響はない。


「しばらくの間は真香と今まで通り話してね」


「分かった。大丈夫だとは思う。わたしから何も言わないからね」


「うん、後……、真香とふたりで会わない方がいいと思う」


 ちさきは大根役者だ。ふたりで話せば気づかれてしまうかもしれない。


「それも分かったよ。もし、ひとりの時に来たら、疲れてると言っておくね」


「うん、それがいいよ」


「そろそろ、戻らないと駄目だよね」


「うん、送って行くよ」


 俺はそのまま、ちさきを病室に送り届け病院を出た。病院をでるとしんと静まり返っていだけれど、俺はやり遂げた達成感でいっぱいだった。


「よし、がんばるぞ!」


 それからの二週間はあっという間だった。真香も俺は何も知らないと思っているから、特に警戒はされなかった。


 恐らく広島旅行で、何かを企んでいるんだろう。


「なんか、隼人……、最近冷たくない?」


「そんなことないと思うぞ?」


「本当かなあ」


 どこにも出かけなかったため、真香は不満だったが、ちさきの授業時間を増やして、空白を埋めなんとか乗り切った。


 よし、とうとうこの日がやって来た。ちさきの退院の日だ。真香は、幸い両親との予定があって、病院に来ることができない。


「ちさきちゃん、リハビリ頑張ったね」


「本当、あの状況から、ここまで回復するなんて奇跡だよ」


「彼氏とお幸せにね」


 看護師さんは、みんな嬉しそうにちさきに声をかけた。


「えと、彼氏……ですか?」


「違うの?」


「えと、その……あの……」


 ちさきは顔を赤らめて俯いてしまう。


「ほらほら、隼人くんも何か言ってあげなよ」


 ちさきのお母さんは俺に追い打ちをかける。いつも通りの展開だ。やっぱり、ちさきは俺と兄妹じゃないような気がするよな。


「いや、そのまだ彼氏ではないです」


「まだ!?」


 ちさきが思わず墓穴を掘ってしまった。


「ははあん!」


「なんですか?」


「なんでも、……ないよ」


「その空白はなんですか?」


「さあ!? まあ、ちさきには拓也くんがいるから、隼人くんと付き合うのは無理かな?」


 なんか意味深な言葉に思えるが、言葉通りとれば、確かにそうだ。俺は真香のことがあったから、本当のことは言うことができなかった。ちさきの母親は俺の耳元で呟く。


「隼人くんも真香ちゃんがいるのに、もしかして二人揃って二股?」


「違いますって!」


 俺は図星を突かれ強く反応してしまう。ちさきに関しては、二股じゃないが、確かに俺に関しては二股だ。


「まあ、冗談はさておき、隼人くん今日までありがとうね。なんか、広島へも一緒に行ってくれるみたいだけども……」


 ちさきの母親の俺を見る視線が痛い。ずっと幼馴染だったから、自然と言えば自然だが、流石に年頃の女の子とふたりきりで旅行と言うのは、まずいか。


「まあ、間違いだけは起こしちゃ駄目だよ」


「しませんって!」


「あははははっ、信じる。信じる……」


 なんか、ちさきのお母さんの心の中は読みにくい。兄妹だからそう言ったと言えなくもないが、男女ふたりきりの旅行なら当然の反応か。


「じゃあ、わたし行くね。お父さんが車で迎えに来てくれてるから。明日から暫くよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしく」


 俺とちさきは二人揃ってお辞儀をした。


「もう、なんか硬いよ。硬い……」


 ちさきの母親はずっと笑顔だった。俺は何度も聞いてしまいたいと言う衝動に駆られたが、ここで聞いてもモヤモヤは残る。広島に行けば全てがわかる。なら、変に詮索するのは辞めておこう。


 その前に、二日後の真香との喫茶店での話が残っている。ギリギリにしたのは、なるべく広島行きを阻止されたくなかったからだ。俺は真香にLINEを入れた。


「二日後だけど、8時に喫茶店で会えないか」


「その日、旅行だから、時間あまりないけども、分かったよ」




――――――




さて真香と対峙です。


よろしくお願いします。


 

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