第18話 記憶喪失(隼人視点)

「それじゃあ、また来ますね」


「また……、じゃなくて明日……、でしょ」


 ちさきのお母さんがニッコリと笑った。確かに毎日来てるもんな。


「そうですね。また、明日来ますね」


 俺はちさきのお母さんに挨拶すると待合室で待つ真香のところに向かった。


「遅いよ」


「なぜ、病室から出ていくかな?」


 俺は待合室で一人待つ真香を見てため息をつく。休日の待合室は人も少なく、閑散としていた。


「ほら、行くよ」


「うっ、うんっ」


 真香は俺の手を握った。


「あのさ……、私たちね。そろそろ半年でしょ」


「そうだな」


「でね明日、終業式終わった後、付き合って半年の記念日したいなあ、って……」


 そっか……、仮かのと言ってから半年経つのか。ふたりの関係は未だ仮かのから何も進展してなかったが……。


「半年記念日って、何すればいいのかな?」


 俺がチラッと真香の方を見ると真香と視線があった。拓也もちさきと向き合うと決めてくれたんだ。俺達もこのまま中途半端な状態じゃ駄目だ。


「大したことしなくていいんだ。何かプレゼント持ち寄ってわたしの家でお祝いするみたいなことしたいな」


 真香の家か。両親共働きの真香の家は親がいないことが多い。そのため、家に誘われても入ることを躊躇っていた。


「そしてね。わたしも一歩を踏み出したい」


 これまで、半年間ずっと避け続けていた。真香はきっと彼女であると言うことを形に表したいのだ。


 半年間、関係を持つどころか、キスさえして来なかった。


「ちさきは、拓也君が見てくれるわ。ねえ、わたしたちもいいでしょう」


「ちさきのお見舞いの後なら……、いいよ」


 断る理由がなかった。俺と真香は付き合っているのだ。ちさきがいつ目を覚ますか分からないが、目を覚ましてもふたりの関係が変わることはない。


「じゃあ、楽しみにしてるからね」


 俺は真香と別れてモールに向かう。なんのプレゼントがいいだろう。俺は少し悩んで最近積極的に勉強をするようになった真香へのプレゼントに可愛い柄の文房具バッグを買った。


「ありがとうございました」


 プレゼントはこれでいいだろう。でも、俺は本当に真香と一歩を踏み出していいのだろうか。もちろん、彼氏彼女の関係の先には手を繋いだりキスするだけじゃなくて、その先に進むことも必要だろう。


 それでいいのか分からない。ただ、真香はきっと形あるものを残したがっている。


 俺は文房具店を出て、家に帰ろうと歩き出した。その時、スマホが鳴る。その表示を見て驚いた。電話の相手はちさきのお母さんだった。


「隼人くん、ちさきが目を覚ましたの!」


 俺はその言葉を聞いてドクンと大きく胸が鳴る。


「すぐに行きます!」


 俺は拓也にLINEを送るとその足で病院に向かった。


 モールから病院まではバスで三駅かかる距離だ。バス停で暫く待ったが、なかなか来ないので、俺は病院まで走ることにした。


 短距離は走り慣れているけども、長距離となると息が切れてくる。それでも一刻も早くちさきに会いたかった。


 俺は十五分走り続けて、病院の入口に着いた。そのまま、ちさきの病室までエレベーターで上がる。


 ちさきが起きている。俺はその現実に心臓が高鳴った。とても長かった。もう、目覚めないかと思い恐怖した。今、この扉を開けば目を覚ましたちさきがいる。


 俺は病室の扉に手をかけた。


「ありがとう。急いできたのじゃないの? 大丈夫?」


「はい。大丈夫です。それより、ちさきは……」


「直接会ってあげて?」


 俺はベッドの側の椅子に腰掛けた。


「隼人、やっときたよね」


 俺が横に座るとちさきは口を尖らせた。半年間ずっと会いたかったちさきの姿がそこにあった。俺は思わず泣きそうになって慌てて目を逸らす。


「おい、そう言うなよ。急いできたんだから……」


「知ってるよ。今お母さんに聞いたからね」


「大丈夫か?」


「うん、なんかね不思議な気分。事故にあったと聞かなかったら、いきなり夏が来たようだよ」


「だよな。そう言えば、拓也今日来てくれてたんだよ」


「えっ!? その、……拓也って誰!?」


「えっ!?」


 冗談を言っているのかと思ったが、目が本気だった。


「わたし、よく覚えてない。もちろん隼人はよく覚えてるよ。家が隣で幼馴染!」


 嬉しそうにニッコリと笑う。そうだ。俺はこの笑顔が見たかったんだ。


「でもね。拓也さんのことは知らないの」


「彼氏だったこともか?」


「彼氏!?」


 青い瞳を大きく開けて驚いた。


「わたしに彼氏がいたの?」


「分からないか?」


「うーん、実感わかないなあ。そもそもわたし、知らない人好きになるかな?」


「知らない人じゃないだろ。幼馴染だぞ」


「そうなんだ。隼人以外の幼馴染がいるんだね」


「て、言うことは真香のことも?」


 俺が聞こうとした時に真香が慌てて病室に入ってきた。どうやら、拓也から聞いたらしかった。


「ちさきちゃんが起きたと聞いて、いても立ってもいられなくて、来たよ。わたし、覚えてる?」


 真香の声にちさきは頭を抱えた。


「ごめんなさい。よく、……分からない」


 そのまま、ちさきが苦しみ出す。それを見てちさきの母親は慌ててナースコールを押した。


「すみません。ナースセンターですか? ちょっと来てくれますか?」


 ちさきの母親が受付に連絡を取るとすぐに看護師がやってきた。


「一部記憶に欠落があるようなんです。話していたら急に苦しみ出して……」


「分かりました。先生に来てもらいますね」


 俺たちはそのまま数分待つ。呼びに行った看護師と一緒に担当医がやってきた。


「ちょっと席を外してもらえますか?」


「分かりました」


 十分後、病室から出てきた医師が言うには、恐らく記憶に混濁があり、強い記憶は覚えてるが、そうでない記憶が曖昧になっているようだった。


「そうですか。それで記憶が戻るのですか?」


「うん、そうだね。記憶の混濁は一時的なものだからね。いつかは思い出すと思う」


いつか・・・、ですか?」


「交通事故で強く頭を打ったからね。記憶に混濁があってもおかしくない。まあ、とは言うもののちさきちゃんは普通に話せてるし、問題は小さいとは思うよ」


「それは良かったと言うべきですよね」


「そうだね。人によっては話せなくなったり大きな後遺症が残る場合もある。ちさきちゃんは、学力テストを行わないと、わからないけれども話してる限りでは、問題は小さそうだよ」


「そうですか。ありがとうございます」


 確かに脳出血を起こすくらいの大事故だった。当たりどころが悪ければ死んでいただろう。後遺症も出ていないことは喜ぶべきなのだ。それにしてもなぜ、彼氏の拓也より俺のことを覚えているんだろうか。どうも納得できなかった。


 真香と病院からの帰り道、俺は不思議に思ったことを真香に聞いてみた。


「お前に聞いても仕方がないだろうけどさ。何故、ちさきは俺のことを覚えてるんだろうな」


「生まれた時から一緒だったからじゃないの」


 なるほど、そう考えると分からないわけではない。


 俺とちさきは家族同然だったのだから、当たり前なのかもしれない。最近できた強い記憶よりも、昔からある記憶の方が覚えていることが多い。脳科学でも同じことを言っていたな。


「まあ、隼人にはわたしと言う彼女がいるんだから、ちさきにあまり近づかないほうがいいよ。ちさきにも拓也がいるんだし」


「拓也と上手く行ってるのかな?」


「そりゃもちろんだよ。わたしが見ててもお似合いだと思ったもの」


「そうなのかな」


 俺はあまりその意見には同意しかねた。拓也は久しぶりにお見舞いに来てくれたが、LINEで呼んだが実際来たのは真香だけだった。拓也からはLINEでそうかとだけ送られたのみで他には何も書かれていない。


「まあ、今までは……、寝たきりだったけども、ちゃんと起きたんだからね。これからはわたしを優先してね」


「あっ、……ああ。そうだな」


 そう言えば真香とは、ちさきが寝込んでから、ほとんどデートらしいことはしてなかった。買い物などは付き合っていたが、ちさきのことが優先で、おざなりになっていたとは思う。


「ねえ、明日の約束覚えてる?」


「明日の約束か。それだけどな……」


 ちさきが目を覚ました。でも、そのちさきは俺を含めて数人しか覚えていない。


「やはり家はやめておこうな……」


「えっ、ダメかな?」


「うん、ちさきの記憶も戻らない今、まだ気持ちの整理がつかない」


「わ、分かった……。じゃあ、お見舞いに行ってから一緒にどこか行きましょうね」


 真香はすごく不満そうだったが、ちさきが目を覚ました今、俺はなぜかその先に進むことに強い戸惑いを感じた。




――――――――




ちさきちゃんは目を覚ましましたが、覚えてる人がかなり限られてそう。


どうなることやら。

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