山道に迷ったら、人生の行先を見つけた
春風秋雄
雨の中、道に迷ったら車から女神が声をかけてきた
俺は疲れた足を引きずるように山道を歩いていた。もう2時間くらい歩いていると思う。
おかしい。どれだけ歩いてもバスが通っている国道に出ない。どこで道を間違えたのだろう。そろそろ日が暮れてくる。このままだと、遭難することになる。しかし、登山しているわけでもなく、車がやっとすれ違える程度の道とは言え、舗装された山道を歩いているだけで遭難ってあるのか?車の1台でも走ってくれば道を聞くこともできるが、この1時間くらい、車の姿を見ていない。
ヤバイ。雨が降って来た。傘なんか持ってないぞ。俺は雨に濡れながらひたすら歩いた。残暑が初秋へ振り変ろうとするこの時季、さすがに体が冷えてきた。ほとんど絶望的な気持ちになってきたとき、後から車のライトが迫って来た。そして、その車は俺のそばに止まり、窓を開け俺に呼びかけた。
「あんた、まだこんなところにいたの?とりあえず乗りなさい」
昼間会った女性だった。俺は朦朧としながら、助手席のドアを開けた。
俺の名前は日比野幹夫、28歳。医療機関向けの会計ソフトの営業をしている。今日は新しいソフトの仕様説明に呼ばれ、山梨県の山奥にある小さな診療所に東京から来ていた。俺は転職組なので、入社してまだ2年目の下っ端。だから、大きな病院は担当させてもらえない。必然的に田舎の個人医院とか、あまり大きな取引にならない診療所を任されることになる。今回も誰も行きたがらない場所だったので、俺にお鉢が回って来たというところだ。4時くらいに仕事を終え、帰るところだった。
「すみません。どうも道を間違えてしまったようで」
「もっと早く引き返せばよかったのに。ここまで来てしまうと、先に行くにも引き返すにも大変ですよ」
「とりあえず、バス停まで送ってもらえませんか」
「あんた、今日中に帰らないといけないの?」
「いや、明日から2連休ですので、今日帰らなければならないと言うことではないですけど、泊まる予定ではなかったので、ホテルもとってないですし、何も準備をしていないので」
「そんなずぶ濡れで、バスで帰ってたら風邪ひくでしょ。とりあえず、今日はうちに泊まりなさい」
「そんな、申し訳ないですから」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ。医療に携わる者として見過ごせないですよ」
この女性は今日訪問した診療所の看護師だ。30代後半だと思われるが、もう一人の年配の看護師よりも存在感が大きかった。看護師の仕事はもちろんだが、辞めた医療事務の代わりがなかなか入って来ないということで、受付や医療事務の仕事もこなしていた。そして、とても綺麗な女性だった。
女性の家に着き、表札を見て、そう言えばこの女性は『谷口』と名乗ったと思い出した。バスタオルを持って来るので待ってと言われ、玄関で待っていると、バスタオルを2枚持ってきてくれた。俺が髪の毛やズボンを拭いている間に、谷口さんはスーツの上着を俺から取り上げ、ハンガーに吊るしてバスタオルで水気を取ってくれている。
「すぐに風呂に入ってシャワーを浴びてちょうだい。着替えは用意しておくから」
案内されるまま浴室に入った。タイル張りで造りは古いが、広い浴室だった。温かいシャワーを浴び、生き返る気分だった。
脱衣場に出ると、洗濯機が回っており、俺の下着類は見当たらなかったので、洗濯してくれているようだった。代わりにトランクスとスエットの上下が置いてあった。他人の下着を使うのは初めてで、抵抗はあったが、パンツを履かずにスエットを着るわけにもいかないので、拝借することにした。スエットは丈が短かった。
「やっぱり、お祖父さんのだからちょっと小さかったかな。1日のことだから我慢してね」
ドライヤーで髪を乾かし、居間へ行くと谷口さんが優しい眼差しでそう言った。
「いえ、とんでもないです。貸して頂けるだけでもありがたいです」
「そこに座ってテレビでも見ていて。すぐに夕飯にするから」
そう言われて居間の座卓の前に座らされたが、他に人がいる気配がない。
「ご主人は、まだ帰られていないのですか?」
「旦那はいないよ。ここにはお祖父さんと私だけが住んでいるの」
お祖父さん?どこにいるのだろう?
「お祖父さんは、奥の部屋で寝ているから、気にしないでね」
「ご挨拶しなくていいですか?」
「そんなのいいよ。食事の時以外はほとんど寝ているから」
食事ができ、先に食べてていいよと言って、谷口さんはお祖父さんに食事を持って行った。目の前に出された食事は、質素だが、家庭料理と言った感じがし、とても美味しそうだった。先に食べていいとは言われたが、それでは厚かましいと思って我慢した。谷口さんはなかなか帰ってこない。仕方なく俺は興味もないテレビを見続けていた。
ようやく谷口さんが帰って来た。お祖父さんの食事が終えたのだろう。
「先に食べてていいって言ったのに」
「せっかくだから、一緒に食べた方が美味しいかと思って」
谷口さんは食器が乗ったお盆を流しにおいて食卓についた。
手を合わせて「いただきます」と言って、箸をつける。美味しい。ひとり暮らしが長いので、久しぶりの家庭料理に俺は感動した。
食事が終わり、コーヒーを飲みながら谷口さんの身の上話を聞いた。普段は、心の中に溜めていたものを、誰かに吐き出したかったのだろう。
谷口さんは、名前は成美さんという。現在の年齢は38歳のようだ。両親は子供の頃に事故で他界し、祖父と祖母に育てられたということだ。地元の高校を卒業し、東京の看護学校へ進学して、資格をとってからは東京の病院で看護師をしていたそうだ。20代の後半に一度結婚したそうだが、働いていた病院が激務で、なかなか旦那さんと過ごす時間がとれず、すれ違いの生活が続いた末に結婚期間わずか3年ほどで離婚したそうだ。5年前にお祖母さんが病気で他界し、家事が何もできないお祖父さん独りになってしまったことから、地元に戻り、お祖父さんの世話をしながら今の診療所で働き出したということだった。
「お祖父さんは、今おいくつなんですか?」
「この前91歳になった」
「寝たきりなんですか?どこが悪いのですか?」
「あの年だから、いたる所が悪いって感じかな。それに認知症の症状も少し出てきたし」
「お一人で面倒見るのは大変ですよね?施設に入れようとか思わないんですか?」
「私を育ててくれた人だから、私が面倒をみたいというのもあるけど、特別養護老人ホームの空きが全然ないのよ。かといって高額の老人ホームに入れるほどの経済的余裕はないしね」
「成美さんはまだお若いのに、再婚とか考えないんですか?」
「今の生活で、結婚してくれる人はいないでしょう?お祖父さんの面倒をみなければいけないので、結婚の第一条件が、この家に一緒に住んでくれる人なんだから。こんな田舎に住んでくれる人はいないよ」
「なんか、もったいない気がしますね。成美さんは美人だし、もっと人生を楽しんでもいいと思うんだけどな」
「じゃあ、日比野さん、私と結婚してくれる?」
成美さんがからかうように言った。
「成美さんみたいな美人だと、気持ちが動きますね」
「冗談だよ。真剣にならないでよ。日比野さんは今いくつなの?」
「28歳です」
「じゃあ、私より10歳も年下じゃない。それに今の仕事はうまくいっているんでしょ?」
「私は、転職で2年前に今の会社に入ったのです。本当は税理士を目指していて、ずっと税理士事務所で働いていました」
「そうなの?どうして税理士事務所をやめたの?」
「税理士の先生が高齢で事務所を廃業したんです。他の事務所を探したんですが、なかなか見つからず、生活もあるので今の会社に入りました」
「そうなんだ。税理士の夢はあきらめたの?」
「今の会社で働いている以上は無理ですね。残業と出張が多いので、勉強する暇がないんです」
「そうなんだ。じゃあ、彼女をつくる暇もないんじゃない?」
「学生時代は付き合った女性はいましたけど、社会人になってからはまったく彼女ができませんね」
「日比野さんの方がもったいないじゃない。意外といい男なのに」
外は変わらず雨が降っている。先ほどより強くなっているようだ。成美さんに拾ってもらわなければどうなっていただろう。
成美さんが風呂の準備が出来たので、入りなさいと言うが、さっきシャワーを浴びたのでいいと遠慮しておいた。代わりに成美さんが風呂に入った。
しばらくすると、外は雨脚が強くなり、遠くで雷も鳴っている。そしてだんだん雷の音が近づいているようだ。そうこうするうちに突然ものすごい音がしたかと思うと、電気が消えた。それと同時に風呂場から成美さんの悲鳴が聞こえた。どうやら近くに雷が落ちたようだ。
「日比野さーん!日比野さーん!」
風呂場から成美さんが俺を呼んでいる。
俺はスマホのライトを頼りに風呂場へ行った。窓がない風呂場は脱衣場も浴室も真っ暗だった。
「成美さん、大丈夫ですか?」
「日比野さん、悪いけど懐中電灯を持ってきてくれないかな」
「どこにあるんです?」
「えーと、どこだったかな…」
「じゃあ、このスマホをここに置いておきますから、とりあえずこれで対応してください」
「わかった。じゃあ、そこのドアを少しだけ開けて、中に置いてくれない?」
「了解です」
「あ、スマホが濡れてしまうから、バスタオルを先に取ってちょうだい。洗濯機の上に置いてあるから」
俺は洗濯機にライトを当てた。洗濯機の上に四つ折りにして置いてあるバスタオルを取り、浴室のドアを少し開けてバスタオルとスマホを持った手を中に入れ差し出す。成美さんがスマホの明かりを頼りにこちらに近づいてきているのがわかった。成美さんが「ありがとう」と言ってバスタオルとスマホを受け取った瞬間に、またとてつもない雷の音がした。
「キャアー!」
成美さんは悲鳴を上げ、ドアを開けて俺に抱きついてきた。
停電になってから30分以上経つが、電気は復旧しない。
「本当に見ていませんからね」
「もういいよ。見られても減るもんじゃないし」
確かにあの時、スマホの明かりは下を向いていたので、俺は何も見ていない。しかし、裸の成美さんが抱きついてきたことで、俺はいまだに胸がドキドキしていた。
何とか風呂場から脱出した成美さんは自分のスマホの明かりを頼りに懐中電灯を探し出し、仏壇に行ってロウソクを持ってきた。居間の座卓にロウソクを立て、まるで怪談話をしているように俺たちは向かい合って座っていた。
「成美さんは雷が苦手なんですか?」
「あんな音がすれば誰だって怖がるでしょ?」
「まだ雷鳴ってますね」
時々窓の外が光ったと思ったら、遅れてすごい音がしている。その度に成美さんはビクッとしている。しかし、それほど近くはないようだ。
「ねえ、日比野さん」
「何でしょう?」
「寝る場所はどこでもいい?」
「全然構いません。ここでもいいですし、何なら台所でもいいです」
「今日は私の部屋で一緒に寝ることにするから」
「雷が怖いんですか?」
「寝るのはどこでもいいんでしょ?今から布団敷くからついてきて」
成美さんの部屋はベッドだった。まさかベッドに一緒に寝るのか?と思ったが、押し入れから布団を取り出し、畳の上に敷いた。
俺は布団に入ってスマホで時刻を確認すると11時になろうとするところだった。もう1時間以上停電が続いている。
「いつになったら電気は復旧するんでしょうね」
「朝までかかるかもしれないね」
成美さんがそう言った時、窓の外がピカッと光った。そして遅れて大きな音がした。その音と同時に成美さんは「キャーッ」と言って、ベッドを抜け出し、俺の布団に入って来た。
「成美さん」
「ごめん。ちょっとこのままでいさせて」
成美さんは布団の中にもぐりこみ、俺にしがみついてきた。俺は成美さんの肩を抱き、安心させようとした。成美さんは俺に体を密着させてきた。
そのまま10分ほどすると、雷の音が遠くになってきた。雨脚も弱まったようだ。
「成美さん、もう大丈夫だと思いますよ」
成美さんは、黙ったまま動こうとしない。
「成美さん」
「ねえ、このまま寝てもいい?」
「そんなことしたら、俺、我慢できなくなってしまいますよ。女性と同じ布団に入るなんて、何年もなかったので、さっきからドキドキしているんですから」
「私も旦那と別れてから男の人と抱き合うことなんてなかったから、ずっとドキドキしている。だから我慢なんかしなくていいよ。」
そう言って顔を上げて俺を見る成美さんの目を見た瞬間、俺は吸い込まれるように唇を寄せた。
朝起きると電気は復旧していた。みそ汁と卵焼きとご飯の朝食は、本当に久しぶりだ。家庭をもつとこういうものかもしれないと思った。
「今日帰らなければいけないの?」
成美さんが聞いてきた。
「明日も休みですから、慌てて帰る必要はないです」
「じゃあ、もう1泊しなよ」
成美さんは照れたように、そっぽを向きながら言った。
朝食が終わると、成美さんは車でどこかへ出かけたかと思うと、ジャージの上下と下着を買って来てくれた。俺がお金を払おうとすると、「そんなのはいい。あなたが帰ったらお祖父さんのにするから」
と言って受け取らなかった。
お祖父さんには大きすぎるということはわかっているはずなのに。
その日は最初から同じ布団で寝た。
成美さんは離婚後、まったく男性には触れてなかったということで、こういう行為をするのは10年ぶりくらいだと言っていた。
「ときどき遊びにきていいですか?」
「来なくていいよ。遠いし、幹夫君はまだ若いんだから、私なんかより、もっと若い子と付き合わなきゃ」
「俺が来たいんです」
成美さんは俺の目を見た。
「うれしいけど、今回だけなら一時のアバンチュールですむけど、深入りしたら、別れるときに辛くなる。幹夫君はいつか、東京でふさわしい女性と出会うと思うから」
俺は何か言いたかったが、結局何も言えなかった。
東京へ帰って、いつもの生活に戻ったが、成美さんの家で過ごした2日間が頭から離れなかった。俺は次の連休で成美さんに会いに行こうと思っていた。ところが、営業社員が一人辞め、途端に忙しくなった。営業先に説明するにしても、土曜日の診療が終わった午後からを希望するところが多く、連休がつぶれていった。あれよあれよという間に、3か月が過ぎた。
年の暮れが迫った頃に成美さんからメールが来た。
“12月3日に、祖父が身罷りました。今までご心配下さり、ありがとうございました。”
1か月ほど前に来たメールでお祖父さんが体調を崩し、入院したと言っていたが、まさかそのまま逝ってしまうとは思っていなかった。91歳なら大往生と言えるだろうが、成美さんとしては唯一の家族がいなくなって寂しいだろう。俺は「年明けに線香をあげに伺います」と返事をした。
年が明け、4か月ぶりに俺は山梨へ行った。成美さんにメールで知らせておいたら、バス停まで車で迎えに来てくれた。
仏壇に線香をあげたあと、成美さんに向き直り
「寂しくなったね」
と言うと、成美さんは俺に抱きつき号泣した。今日まで気丈にふるまい、寂しさを封じ込めていたのだろう。
その夜の成美さんは、4か月の思いを埋めるためなのか、お祖父さんがいなくなった寂しさをぶつけるためなのか、何度も何度も俺を求めてきた。
落ち着いたところで、俺は用意していた言葉を成美さんに言った。
「成美さん、東京へ来ませんか。そして、俺と暮らしませんか」
「同情で思い付きを言っちゃあだめだよ」
「同情でも思い付きでもないです。俺はずっと考えていました。お祖父さんがいなくなったんだから、ここにとどまる理由はないでしょ?だったら東京に出てきてもいいじゃないですか」
「私は幹夫くんより10歳も年上のオバサンだよ。一時の感情でそんなこと言っちゃあダメだよ」
「一時の感情じゃあないですよ。俺はこの4か月、成美さんのことを忘れたことはなかった。あの時、成美さんが作ってくれた朝食を食べながら、こういう生活が続いたら幸せだなあと、つくづく思ったんです。だから、成美さんと一緒に暮らしたいと、心底思っているんです」
「それ、本気にしていいの?」
「もちろんです。東京に来てもらえますか?」
「ありがとう。こちらのことを整理したら、東京へ行く」
成美さんは、嬉しそうにそう言って、キスしてきた。
成美さんが東京に来るには、仕事のことや、家をどうするかなど、整理することが色々とあった。だから時間がかかるのは仕方ないと俺も考えていた。
2か月くらいした頃に、成美さんから、突然手紙が届いた。メールではなく、手紙というところで、俺は嫌な予感がした。
“幹夫さん、ごめんなさい。やっぱり東京へは行けません。先日、職場の同僚の看護師が家の事情で急に辞めることになりました。小さな診療所ですが、それでも先生と看護師二人で回すのは、いっぱいいっぱいで、せめて医療事務の人を雇おうと前々から募集していたのですが、こんな田舎の診療所へ来てくれる人はいなく、私が兼任してやっていました。そんな状況で、看護師が一人抜けると、すべてのことを私一人がやらなければならなくなり、とても辞めますとは言えない状況になってしまいました。募集して、新しい看護師と、医療事務の職員が入ってきてくれればいいのですが、今までの募集状況から考えて、それは当面無理だと思います。
また、家のこともずっと考えていました。ここには祖父母と両親の仏壇もあります。東京へ行ったら、この仏壇はどうしよう。そう悩んでいました。そして、祖父が残してくれたこの家を手放すのも、とても辛いのです。
だから、私は決めました。私はここに残ります。幹夫さんの気持ちはとても嬉しかったです。この年になって、こんな気持ちにさせてくれた幹夫さんには、本当に感謝しています。でも、やはり幹夫さんは、私なんかより、もっと若い、自分にふさわしい女性を見つけるべきです。私は、短い時間でしたけど、幹夫さんと過ごした日々を一生の思い出に生きていきます。
もう会うことも、連絡することもないと思います。どうかお体に気を付けて、お幸せになってください。
さようなら。“
俺は、手紙を読み終えると、すぐに成美さんに電話をしてみた。しかし、すでにその番号は使われていなかった。読み終えた手紙を握りしめて、俺は腹の底から呻き続けた。
東京は春の日差しで、温かく感じたが、さすがに山に来ると、まだ肌寒く、用意していたスプリングコートを羽織った。それでも山桜は綺麗だった。
診療所に着いたのは、14時半を少し過ぎた頃だった。診療所は14時から16時までは休診中で、入り口には鍵がかかっていた。入り口の横についているインターフォンを鳴らす。
「はい」
成美さんの声がした。
「医療事務の募集の面接にきました」
俺がそう言うと、相手は黙り込んだ。そしてインターフォンは切れて、足早に入り口に近づいてくる気配がした。ガチャっと鍵が外され、入り口のドアが開いた。成美さんと目が合う。
「面接に来た日比野です。よろしくお願いします」
「どうして?」
「応募はもう締め切りましたか?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、とりあえず中に入れてもらえますか?」
そう言って俺は中に入り、履歴書を渡した。
「仕事、辞めたの?」
「はい。3月末で辞めました。医療事務は経験ありませんが、医療会計ソフトの使い方は他人に指導できるくらい熟知しています。そして、税理士事務所にも勤めていましたので、税務関係の知識もあります」
「東京から、こちらに移ってくる決心をしたのですか?」
「はい。どうしてもこっちに来たい理由がありまして」
「わかりました。採用します。ただし、条件があります」
「条件ですか?」
「ここの診療所は人手が足りていないので、遅刻は厳禁です。だから、絶対に遅刻しないように、私の家に住んでもらいます」
成美さんはニコリと笑いながらそう言った。そして、その目には涙が浮かんでいた。
俺は思わず成美さんを抱きしめた。
成美さんが俺の腕の中で囁いた。
「税理士の夢、諦めないで」
俺は返事の代わりに成美さんの体をもう一度強く抱きしめ直した。
山道に迷ったら、人生の行先を見つけた 春風秋雄 @hk76617661
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