第12話:親の心子知らず

 本番の日が、訪れた。


 会場は[アマルシア学園]が保有する巨大な敷地内東側に位置する[初等部校舎]近くの体育館だ。

 初等部に関連する全ての施設がつい半年前に改築を終えたばかりなので隅から隅まで真新しく、帝国は二十年前とは違い、学問に力を入れ、次の世代が希望を持てる国作りを目指しているのがよく分かるだろう。


 しかし良く見ると、体育館と同じく改築を終えたばかりの初等部校舎端にはミュール家が無理やりねじ込んだ無骨な金属製[魔導科学研究施設]がはみ出し景観を大きく損ねているし、体育館の隅っこにはミュール家が無理やり設置させた実験用[土のゴーレム]が五体ほどずしんと鎮座している。

 これらは全て、グリス工房との約束を重視で半ば強引に推し進めたもので、結構な職員たちから反感を買ってしまったというのが現実だ。


 まだループ前の私がやったことなので色々と根回しなど含めて甘かった。

 これらはもう取り返しがつかないものである。

 とにかく、穏便にことを進めなくては――。


 ※


 体育館の収容人数は五百人ほど。

 初等部の全生徒は四百人ほどなので余裕はあるが、全員分の椅子は用意できなかった。

 なのでこちら側でミュール家ブランドの座布団を用意し、全生徒に配ることにしたので問題は無い。

 ちなみにラビリスやリックたちのサイン入りだ。

 まだイマイチ有り難みがわからないだろうが、じわりじわりと浸透させ、価値あるものだと分からせればそれがまた新しいブランドになるのだ。


 準備は一見すると滞りなく進められていた。

 遠目から見れば教職員は皆協力的だ。


 だが近くで見ると半数の教職員たちは眉間に皺を寄せているし、ヒソヒソと、しかし私に聞こえる声で教員たちがささやき合う。


「騎士団の見習いたちを、わざわざと見せつけて……」

「あれは皇帝直下になる連中でしょう?」

「ミュール家はまた周りから囲もうとしている」

「子どもたちを優先的に狙って……」


 うわぁ凄い悪口言われてる。

 だが、見習い騎士団参加はリック懐柔の絶対条件なのだ。

 何をどう言われようともこれを外すことはできない。

 あと、[魔導科学]全般のゴリ押しも、グリス工房との約束があったし……。


 ひょっとしてこれはやらかしたのだろうか……。

 し、しかしもう賽は投げられたのだ。

 行くしか無い。

 今辞めれば、大勢の従業員が路頭に迷うことになるのだ。

 あ、なんかドツボにハマってる気がする……。


 ちなみにリックは途中まではガチガチに緊張していたが、いざ見習い騎士団たちとの挨拶になった瞬間、アイドルモードのスイッチが完全に入り、クロードだけに贔屓することなく全員に満遍なく丁寧な挨拶をして回ったのは見事だった。


 これは良い発見かもしれない。

 リックには、アイドルの……あるいは、女優の才能がある。

 ような気がする。

 スイッチのオン、オフの切り替えが見事なリックの才能がこっち方面で開花するとは……。


 とは言え、こればかりはアイドル経験も役者経験も今回のループが初めてなので実際のところはわからない。

 全てが手探りだ。

 しかしリックを主軸に、演劇やオペラがメインの女優グループと、握手会やトークを主軸においたアイドルグループで分けても良いかもしれない。


 しかしそうなると、現実的な問題も出てくる。


 私、すっごい激務。

 一応過去のループの知識があるので学校の授業は[姿勢を良くして目を開けて寝る]という必殺技で乗り切っているが、焼け石に水だ。

 ていうか脚本も構成も楽曲も場所も交渉も全部私がやってるって冷静に考えたら間違ってる。

 このままだとマジで私死ぬ。

 ……どこかに良い人いないかな…………味方率百%は前提条件として、滅茶苦茶優秀な人…………。


 ああそうだ、ラビリスとクロードの婚約も解消させないといけないんだった。

 どうしよう。

 私が、直接乗り込む?

 ……いや、ミュール家がトライン姫の婚約を妨害したってそれ政治的メッセージが強すぎて大変な事態になるわ。

 どうしよう……マジで出口が見えない。


 クロードとリックが自然に恋して、という状況が理想ではあるがクロードに限ってそれは無いだろう。

 超がつくほどの真面目で朴念仁で主体性の無い男なのだ。

 ……クロードは決して悪いやつでは無い。

 むしろ良いやつし、責任感も強い。

 ゆえに、彼への恋心を募らせる乙女は大勢いるが、誰も彼も外面と家柄しか見ていないのはクロードにとっても不幸だろう。


 だから、世のため家のため人のため、ラビリスと結婚しようと覚悟を決めたクロードはある意味では立派であり、ある意味では最低最悪のクソ野郎だ。

 ちゃんとラビリスに恋をしてくれていれば、こんな事態にはなっていなかっただろうに……。


 などと考えながらも、無事にリハーサルを終え、私は一息つく。

 内容はシンプルだ。


 アイドルの子らが扮する森のウサギさんやリスさんに、見習い魔法使いのリックがお菓子を振る舞おうとする。

 しかし、お菓子作りに大切なバターが届かない。

 悪い魔女が盗んだのだ!

 戦え、魔法使いリック・ベティ!


 みたいな感じだ。

 ちなみに悪い魔女役は私がやる。

 一応私以外にも希望者――というかラビリスもやりたがっていたが、色々と不安要素がありすぎるので却下した。

 というか成長率化け物なラビリスには、演技と言えども戦いをさせたくは無いのだ。

 少しでも戦いから遠ざけて、敵対の瞬間を一番弱い状態で迎えて欲しい。

 私が生き残るために……。

 というわけでラビリスの役は、子供たちに語りかける司会のお姉さん役だ。


 本番の時間が近づいてくる。

 まだ幕が降りている舞台裏で、私は最後の確認をしていく。

 ラビリスはふわふわのドレスを着ているし、リックの姿も見習い魔導師そのものだ。

 他のアイドルの子たちも、森の動物だとわかるよう獣の耳をつけたり、毛皮の帽子を被ったりと準備万端だった。


 色々あったが、みんな良くここまでついてきてくれた。

 ……大半の人間が数年のうちに私を裏切るかもしれないが、とりあえず今は本当にありがとう。

 

 ふと、私はこっそり舞台裏から客席の様子を覗いてみた。


 初等部の子らが、続々と集まって来る。

 全員が子供とは言え、流石に総勢四百人という規模は今回が初だ。

 体育館の十分大きさもあり、これはリックたちにとっても良い経験になる。

 何せ、私が目指しているのはこの規模のおよそ百倍。

 収容人数五万人規模の大型ドーム会場で行う、特大コンサートなのだから。


 ちらとリックたちの様子を伺うと、流石に緊張の色はあるものの、いつものことだ、と乗り越えようという気概が感じられた。

 みんなそうやって成長していくのだ。


 ラビリスが一度だけ私たちに向け、


「――ではっ」


 と力強く微笑んでから幕の外に向かう。

 司会のお姉さんラビリスは、私たちよりも一足先に本番がやってくるのだ。


 ……さあ、準備は整った。

 私たちの演劇が、始まる!


 体育館のカーテンは全て閉められ、照明がわずかに暗くなる。


 舞台に降りた幕の外側で一人、子どもたちの相手を始めた司会進行役ラビリスの声が聞こえる。


「[アルマシア学園初等部]のみなさーん、こーんにーちーわーっ! 今日は良くお越しくださいましたーっ」


 子どもたちの返事が聞こえてくれば、全てが始まったのだと改めて思い知る。

 これが、本番の緊張よ。


 ――と、その時だった。


 ごとり、ごとりと重い革鎧と具足の足音が、ピンと張り詰めた舞台裏に響く。

 それが誰の鳴らした音なのかを理解したアイドルたちはぎょっとして困惑し、リックですらも息を呑み体を硬直させると、革鎧を着込んだ華奢な女性が言った。


「随分と、強引なやり口だったようですね? フリーダ・ミュール」


 その声は女性にしては低く、力強さと冷たさを感じる絶対者たる色を帯びていた。

 式典用の綺羅びやかな刺繍が施された漆黒の革鎧を着込んだ女性が腰まで伸びた長く艷やかな黒髪をかすかに揺らすと、鋭い視線でねめつけるように私を見る。


 一瞬の思考で、何故ここに、どうして、いつから、と自問しながらも、これは攻撃だと理解した私はすぐに天真爛漫なお嬢様を装い小声で反撃した。


「わっ、フランドールおばさまも来てくださったんですねっ!」


 フランドール・トライン。

 ラビリスの母親にして、この帝国の皇后。

 その権限は強く、強引かつ鮮やかな手法は私のお手本であり天敵でもある。

 私はすぐに続ける。


「ラビリスを見に来たんです? あ、客席はあっちですので――」

「先程の練習を見ました。内容を変えなさい」

「……そ、で、でももう始まってますのでそれは流石に無理かなって!」

「それはそちらの事情です」


 フランドールが鉄面皮のままピシャリと言い、冷徹な声色で続けた。


「――魔法は危険なもの。一歩間違えば容易く人が死ぬことは、理解していましょう?」

「もちろんですっ。なので細心の注意を――」

「貴女の問題では無いと言いました。初等部の、特に入学したての子は、これからゆっくりと心身を鍛え、学び、魔法を使うための準備に三年を費やします」


 子供が初めて魔法を使うことが許されるのは、十歳になってから。

 それも、火や雷の魔法では無く、土と風と癒やしの魔法だけだ。


「先程見た内容。確かに子供は喜ぶでしょう。そうして興奮のまま、危険性も、使い方も知らないまま魔法を暴発させる。――その責任は、誰が?」


 私は何も言えなかった。

 ぶっちゃけた話、対リックと対ラビリスに脳のリソースを割きすぎて、完全にその部分が抜けていたのだ。


 幕の向こうで、ラビリスが言う。


「じゃあみんな、せーのでリックを呼びましょうねっ!」


 私は咄嗟に、


「あ、もう始まっちゃうので、その話は演技の後で――」


 と逃げに入るも、フランドールはぐいいっと力強く私の腕を掴み上げる。


「五年前、大勢の反対を押し切り初等部の大改築を行う際、貴女は『何よりも子どもたちの未来が最優先』と言いました。――あれは謀りか?」

「た、謀りだなんてそんな、おばさま酷いですっ」

「ならば今、変えなさい。[最優先]でしょう?」


 ゆっくりと幕が上がっていく。

 ラビリスの声が聞こえる。


「みんなー、行くよー! せーのっ」

『リックー!!』


 子どもたちの嬌声が響くと、流石に出ざるを得ないリックが動揺したまま私を見、判断を仰ぐ。

 私は言った。


「リック、ごめん、魔法無し」

「え、でも……」

「な、何とかする。無しの方向で進めて」

「……………はい」


 リックが幕の上がった舞台上に向かうと、フランドールが冷ややかに言った。


「それから? どう変えるのかをまだ聞いていませんが」

「……やりながら、考えます」

「――では見ています。約束は、必ず守るように」


 こうして、魔法禁止の見習い魔法少女リックの演劇が始まったのだ。

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