第11話:裏切り者のお茶会


「入りまーす! 今日もイレーネ・グリスが焼き立てのベリーパイとお茶を持ってまいりましたーっ!」


 と、返事も待たずに私の部屋のドアが乱暴に開かれる。


 イレーネはテキパキとお茶を入れ、切り分けられたベリーパイとお茶をラビリス、リック、私が囲む丸テーブルに乗せていく。

 ラビリスは一瞬だけ冷ややかな視線になるが、すぐにいつものように微笑んだ。


「いつもありがとう、小さな妖精さん?」

「あ、ええと、そういうの別に良いんで、大丈夫です……」

「………………」


 この微妙な空気よ。

 出会う前はあれだけ『うわぁー! ラビリス様と一緒に暮らすんですかぁーっ!』とか『わはー! どうしよう、いっぱいお洒落して、お出迎えしなきゃ!』とか『ラビリス様とご一緒なんて夢見たいですっ!』とかはしゃいでたのにいざ本物と対面したらこれだ。


 ちなみにイレーネ本人の談は『何か思ってたのと違いました』である。

 六才児め……。


 と、イレーネはリックに顔を向け、ペコリとお辞儀する。


「ベティ家のリック様もようこそいらっしゃいました! どうぞ! お茶はあたしが入れました!」

「へぇー、パイは?」


 リックがチラと顔を向け問うと、イレーネはバツが悪そうに答える。


「それは、えっと……ベリーのトッピングは、しました……」

「見習いかー。わたしも最初そうだったし、ちょっと悔しいよね」

「はい……」


 イレーネは結構凝り性だ。

 お茶の入れ方、お菓子の作り方、掃除、洗濯などなど――一度興味を持つと満足するまで徹底的に学びたがる。


 リックは一口お茶を飲み、言った。


「ん、死ぬほど美味い。やるね、イレーネちゃん」


 世辞だろうが、言われたイレーネはぱあっと表情を明るくし、はにかんだ。


「んへへ、どうも」


 …………あれ、リックが滅茶苦茶良いやつに見える。

 まあ、リックの家は大家族。兄も姉も弟も妹も大勢いるのだ。子供の扱いは得意なのだろう。

 しかし、こういうリックですら、ラビリスが絡むと平然と人の頭をかち割るのだ。

 

 ちなみにラビリスは、眉間にしわを寄せ『そんなに美味しいか?』と言いたげな表情でお茶を飲み首をかしげている。

 ……そういうとこだぞお前。


「んでは、御用がありましたらまたお呼びくださいっ!」


 イレーネはペコリとお辞儀をしてから、リックには個別に「んへへっ」と笑いかけ部屋を去っていった。


 ……ちょっとモヤッとするが、まあ良いだろう。

 イレーネが裏切ったことは今まで一度も無い。

 ならばイレーネを餌にリックをこちらに引き寄せられるかもしれないのだ。


 さて……。

 ど、どうしよう。

 というか、戦力的に考えたら仲直りさせない方が良いのだが……アイドル、という枠組みを作ってしまった手前そういうわけにもいかない。

 ここで他のアイドルたちに、私がラビリス贔屓だと思われるのは、将来に良くないものを残す。

 本当にどうしたものか……。


 部屋はしん、と静まり返っている。

 リックはイレーネが出ていった扉の方を見たまま、一度だけ鼻をすすり、ラビリスへの拒絶の色を露骨に現した態度で言う。


「めっちゃ良い子じゃん。わたし好きだなー」


 ……ど、どうも。見る目あるよ、うん。

 でもお前それ、話し反らそうとしてるだけだよな?


 …………いや、むしろこの話題を続けるべきか?

 リックなりの、和解の合図なのか?

 ともかく、私はやらずに後悔よりもやって後悔を選ぶ女。

 乗るしかあるまい――!


「……まあねー。ウチじゃ天才児ってことになってる」

「へー、良いね。あんな子うちにもいればなー」

「えー、リックの――」


 お兄さんたちも凄い人じゃん、と言いかけて私は慌てて言葉を止める。

 そう言えばリックは家族にコンプレックスがあるのだった。

 き、軌道修正だ!


「――リックも昔はあんな感じじゃなかった?」

「うへー、そうだっけ? 覚えてないなー」

「そうだよ。子供の頃からすごかったじゃん?」

 

 ……さっきから私とリックだけが喋ってる。

 …………逆に居心地悪いわこんなん。

 喧嘩の後の空気ってこれだから嫌なんだ。


 さあどうしたラビリス。

 乗ってこい。

 さっきからお前はお茶ばかり飲んでるけど、いい加減話に入ってきてくれ。

 仲直りなんて割りと簡単だから――。


 すると、ラビリスは「あの……」と小さく挙手する。

 私は明るい声を意識して言った。


「んっ? どしたのラビリス」

「このお茶よりフリーダが入れたお茶の方が美味しいと思うのですけど?」


 私は絶句して固まる。

 リックも同じように、まるで化け物でも見たような顔になって唖然としていた。


 ………………ラビリスと一緒に暮らすようになって、一ヶ月。

 それは過去のループで一度も無かった貴重な体験であり、良くも悪くも新しい発見の連続だった。

 ラビリスと暮らす日常で、私は小さな可能性を見つけた。

 しかし、過去の私の経験が、記憶が、苦渋が『あのラビリスに限ってまさか』と可能性を拒絶したのだ。

 しかし今、可能性が現実味を帯びた。

 即ち――。


 ――この子は、こういう生き方しか知らないのかもしれない。


 確かに、過去のループでラビリスの周囲にいたのは、彼女の血筋と名声に酔った熱狂的な信者か、利用するため擦り寄る薄汚い貴族連中ばかりだった。


 ――子供の頃から、ずっとそうなのか?

 気を許せる相手は、誰もいなかったのか?


 そして一度可能性を認めてしまえば『そう言えばあの時』と思い当たる節がいくつもあった。

 ラビリスが、誰かと他愛のない会話をしているとこを見たことが無い。

 今日の天気や温度から始まり、何が美味しかったとか、授業がどうだったとか、見たこと、感じたこと、一切がラビリスとの思い出に存在していないのだ。


 しかし、こうも思う。

(……私が、見ようとしていなかっただけなのかもしれない)


 聖女ラビリスは、ただの仕事――即ちアイドルの仮面であり、本当の彼女はただの空気が読めないド陰キャでコミュ障なラビリス、という可能性を、私自身が無いものとして扱っていたのだ。


 それが幼少期から聖女だなんだと持て囃されてしまえば、こうもなる。


 ……ラビリスが、様々な選択肢の中から人を騙すという道を選んだのなら、私は容赦しない。最後まで敵として戦うつもりだった。

 だが、それ以外の生き方を知らずに育ったのだというのなら――。


 ――ラビリスが、知らない生き方。


 ふと、私は前回のループで仕入れた切り札に、一つの可能性を見出した。

 ……いけるかもしれない。

 ラビリスの新しい生き方を見つけ、それでいてリックとも協力せざるを得ない状況を確実に作り出せる、究極の可能性!


 であれば、今の状況はむしろ完璧だ。

 私と、ラビリスと、リック三人だけの部屋。

 リックはラビリスへの信仰が地に落ち、ラビリスもリックの前ではもう聖女の振る舞いをしていない。


 ――いける。

 私は気合を入れ、机に向かって僅かに身を乗り出した。


「ラビリス、リック。――手、出して」


 ラビリスは怪訝な顔になると、リックは目を反らしたまま言った。


「握手しろとかなら嫌なんですケド」

「うん、わかってる。だから私として」


 すると、ややあってからリックは呆れた様子で私の右手に自分の手を重ねる。

 その様子を見てから、ラビリスも警戒しながら私の手に指を触れさせた。


 私は二人の手をぎゅっと握り返してから、言う。


「これから話すことは、私たち三人だけの秘密。絶対に、誰にも漏らしちゃいけない」


 ……強引なやり方かも知れない。

 しかし、私はこうも考える。


「そりゃ、二人はいつも大変だと思う。ラビリスは帝国のお姫様で、教会からは聖女なんて呼ばれてる。日常なんて、無いよね? リックだって商人ギルドの娘で、お店を持ってて、色んな物を背負ってる。だけど――それよりも、私は二人が幸せになる権利の方が重い、と思う」


 私はリックと、ラビリスの顔を一度ずつ見る。

 見知った敵。

 だけどまだ十四才の、子供の顔――。


「仲直りはしなくて良い。けど、二人が幸せになるために、協力できることが、一つだけある」


 私は一度だけ深く呼吸し、ラビリスの目をまっすぐ見て言った。


「ラビリス、聞いて。――リックは、クロードのことが好きだよ」

「えっ」

「はああああー!?」


 ラビリスは息を呑むのと、リックが驚愕して叫ぶのはほぼ同時だった。


 これが、前回のループで得たリックの情報。

 リックは、ただのラビリスの狂信者ではなかった。

 叶わぬ恋に生き、叶わぬ恋に狂った子だったのだ。

 だからこそ、リックはラビリスが絶対者であることを求めた。

 高嶺の花と高嶺の花の婚約だからと、自分をごまかすために。

 無論、あわよくば、という感情くらいはあっただろうが。


 とうのリックは全く想定外だったらしい突然の暴露で冷静さを欠き、顔を真赤にしていた。


 本来なら、この情報だけでは切り札とはならない。

 リックが冷静さを取り戻せば、だから何? の一言で終わってしまう話なのだ。

 しかし、別の情報と合わせれば、これは逃れられない劇薬へと変わる。


(ごめん、ラビリス。本当にごめん。ちょっと……私、今から裏切るわ!)


「リック、聞いて。――ラビリスは、クロードのことが嫌いだよ」


 リックがぎょっとして固まる。

 ラビリスは――ちょっと怖くて顔を見れない。

 

 ともあれ、賽は投げられたのだ。

 後は突き進むのみ!


「私たちの利害は一致している。上手く行けば全員が幸せになれると思う」


 ちなみにクロードは普通にラビリスのことが好きだ。

 でも別にそこはもうどうでも良い。

 どうせあいつに主体性なんて無いわけだし。

 婚約者になった、という責任感から好きになろうとしているだけなのはわかっている。

 もちろんラビリスもそこに気づいているから、たまらないのだろう。


「………………嫌いって……?」


 リックが食いついた。

 ラビリスはまだ何も言わない。

 私怖くてまだラビリスの顔見れない。

 だがリックはそーっとラビリスの顔を覗き込んだ。


「……そ、そう、なの?」


 ラビリスは私の手をぎゅっと握りしめてから、小さな声で呻くように言った。


「…………母、が……勝手に、決めたことですので」


 これが、決定打だった。

 ラビリス……つらかったよな……。

 可哀想だが、私はこの隙を逃すわけにはいかない。


「んじゃ、リック。演技の内容、こっちで決めても良いよね?」

「……それは関係なくないです?」

「なくないよ。演技の内容次第では、クロードを観客として呼べる」

「――ッ!」


 そこからの台本修正は、驚くほど簡単だった。

 リックは恋と料理を天秤にかけ、恋を選んだのだ。

 だが世の中そんなもんなのかもしれない。

 こだわりとか、夢とか、理想の根底には、全然関係ない本人だけの悩みがあったりするのだ。


 であれば、毎日の学校と訓練で忙しいクロードの時間に合わせるため、早朝からの演技なんてもってのほかだし、演技の内容も少しばかり男の子向けに傾くことになる。

 そもそも、騎士見習いをやっているクロード如きなら強制参加は容易い。

 単純に見習い騎士団に護衛の依頼を出してしまえば良いのだ。


 そうして全ての修正作業を終え、帰路につくリックを見送り、部屋に戻った私は深く深くため息をついた。

 ……今日はすっごい疲れた。

 けど何とかなった。

 全ては丸く収まり、ようやく次のステージへと――

 と、その時だった。


 ラビリスが私の腕をグイッと乱暴に引き、ドンッと壁際に押し倒し、バンッと乱暴に手をついた。


「約束をさぁ!! 守れってさああ!!」


 ラビリスの絶叫と同時に魔力が迸る。

 部屋は震え、壁に飾ってあった絵は落ち、壺は砕け、窓にはヒビが入り、天井の魔導灯はチカチカと点滅を始めた。


 あ、あ、こんなキレてるラビリス初めて見た……。


「ご、ごめん……ほんと、ごめん…………」


 と絞り出した言葉はかすれて声にならない。

 え、あれ? まさか今回ここで死ぬ?

 お、終わった……。

 ……いやぁでもいざ冷静に考えてみたら、私最低だったわ。

 うん、ほんとごめん。

 我が身が恋しくて、つい先走ってしまった……。


 すると、ドタドタという足音の後、部屋の扉が乱暴に開かれた。


「フリーダ様ー! 凄い音しました! なんです!? 無事です!?」


 慌てた様子のイレーネが箒を抱えてやってきたのだ。


 よ、良かった! 助かった……!

 ……いや助かってないか?

 六才か……。


 異変に気づいたイレーネは、箒を構えたまま私とラビリスを交互に見る。

 第三者の乱入で、ラビリスは少しだけ落ち着きを取り戻したらしいが、それでも私の腕を掴む力を緩めない。


 ややあって、イレーネが言った。


「…………ひょっとして、フリーダ様が物凄い失礼なことしました?」


 …………この状況見てその結論に至るの酷くない?


 ラビリスが答えずにいると、イレーネは呆れた。


「うわぁ……本当にそうなんだ……うわぁ……。あの、ほんと、フリーダ様がご迷惑をかけてすみません」


 いや、むしろ良いか?

 いかにラビリスといえども六才児の謝罪は無下にできまい。

 よし、ここは『見』に回ろう!


 イレーネが言う。


「フリーダ様ってそうなんです。結構嘘つくし、約束も破るし、平気で人を利用するし……」


 あ、駄目だ。六才児に期待した私が馬鹿だった。

 私は慌てて口をはさむ。


「い、いやいやイレーネったら、もーっ! 私はちゃんと――」


 ラビリスは右手で私の腕を掴んだまま、魔力を乗せ壁を殴った。

 ドォン、と鈍い魔力が迸り、壁には亀裂が走る。

 私はもはや、


「……は、はい」


 としか答えることができなかった。

 ていうか腕掴まれてるから逃げられない……。


 イレーネは一度だけ部屋全体を見渡し、静かな口調で言った。


「フリーダ様は、約束を必ず守ります」

「…………つい今破られましたが?」


 ラビリスが不愉快げに鼻を鳴らすと、イレーネは臆さず言う。


「はい、そうなのだと思います。大変失礼しました。……でもフリーダ様は、最後は必ず、最初に言ったことを全て、実現してくださっています」


 長い長い、沈黙があった。

 私はとりあえず『無』になろうと徹していた。

 あ、でもイレーネは私のことそう評価してくれてるのか……ちょっと嬉しい。


 ラビリスが私をじろりと睨む。

 私は思わず呼吸を止め、そっぽを向いた。


 ラビリスが言う。


「最後って、いつ」

「わかりません。あたしの時は、五年かかったってお爺ちゃんちゃんが言ってました」


 ややあって、ラビリスは目を見開いたまま私の顔に息がかかるほどの距離で言った。


「一年間、貴女を見ています。今度こそ、約束を守るように」


 私は即座に言った。


「え、ええー、一年は流石に短く――」


 ドン、と再び魔力を乗せた拳が壁を殴れば、私は


「はい……」


 と言うしかなかった。


 で、でも、ラビリスとリックは表向きは仲直りができて、演技の内容はこちらの言い分を全て飲ませたのだから、大局的に見れば大勝利だ。

 私は、成し遂げたのだ。


 …………一年でラビリスとクロードの……皇帝が関わる政略結婚を、破綻させないといけないのかぁ。

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