第10話:普通に生きるは難しい

 次の日。


 夕日が差し込む学園の校長室で、私はグランディーネ校長に土下座していた。

 厳しさと優しさ、知識と強さを兼ね備えた老練な魔女が、明確な怒りの色を浮かべ、私を睨みつけている。


 と、私の背後で不貞腐れた様子のラビリスが鼻を鳴らすと、隣にいたリックが盛大に舌打ちをする。


 グランディーネ校長が言った。


「このままでは、アイドル活動なる得体のしれない行事、許可を出すことができません」


 どうして、どうしてこんなことになってしまったのだろう――。


 ※


 時は少し遡る。

 校長室で私が土下座することになる日の朝。


 私はラビリスと一緒に朝食――大きめベーコンエッグ、たっぷりバターを塗ったトースト、サラダを食べ終え、ミルクを飲み干し、洗面所で歯を磨き、髪を整えていく。


 全ての支度を終えた私は、玄関で靴を履いてからラビリスに向けグッと拳を突き出した。


「……なんです?」


 ラビリスが怪訝な顔になると、私は言った。


「今日からしばらく同志。裏切りとかは一切無し。だから――儀式みたいなもん。グー出して」


 ラビリスは短い沈黙の後、ふ、と冷ややかに笑って言った。


「縛りでもつけますか?」


 それは魔術的な契約の話だ。

 互いに魔力を乗せた契約をすることで、非常に強固な縛りを設ける技法だが――。


「やらない。言葉と、態度で信じる」


 私はラビリスの目をまっすぐに見て言った。

 ……ちなみに半分は嘘だ。

 昔私が思いつく限りの最硬度縛りを設けたがラビリスは普通にぶち破ったから、私とラビリスの縛りは私が一方的に不利なだけだ。

 なので、ラビリスとその手の契約は絶対にしない。

 心で縛るのだ。


 黙ってしまったラビリスに、私は


「ほら、グー出して」


 と催促する。


 ややあって、疑わしげな様子でラビリスはそっと拳を突き出すと、私はグッと拳を当てた。


「ン! 約束したかんね!」


 思えば、これがいけなかったのかもしれない。

 拳を合わせた時、ラビリスの表情が少しばかり和らぐのが見えた。

 きっと、ラビリスは嬉しかったのだ。

 だってこいつの周りにいるのは部下と信者ばかりだし。

 友達、いないし。


 だから、聖女ラビリス・トラインがほんの僅かだが、普通の子になりつつあったのを、私は気づけなかった。


 ※


 私が通う教室は、ミュール家によって新築されたピカピカの中等部校舎、その二階端だ。

 ここからは、街の様子を一望できる。


 ミュール家によって、近代化が進んだ街並み。

 遥か彼方には、かつて[禁断の地]と呼ばれていた[ドロテア山脈]がそびえ立つが、既にミュール家子飼いの冒険者たちによって踏破され、貴重なミスリル鉱石を掘る炭鉱の街ができつつある。


 私は、景色を眺めながら思う。


 ――私の街だ。


 別にこれは、野心的なものでは無い。

 私が直接雇った鍛冶師、付呪師、魔導具師たち。

 更には鍛冶ギルド、木工ギルドの面々。

 この街に関わった全ての人々に、『ここは私の街だ』と言う権利がある。

 私は、そう思ってる。


 だから私は、[私の街]を守りたいのだ。


 とは言え、今やれることは無い。

 ラビリスもリックも、私とは教室が違うし、そもそもアイドル活動は学校側からしたら渋々許可を出した奇妙な部活動の一つでしかないので、真面目に勉学に励む様子も見せなければならないのだ。

 ここで下手に強行して、学校側を敵にしたくは無い。


 なので私は過去に何度もやった同じ授業をそこそこの態度で受け、そこそこの態度で質問に答えたり、談笑したり――。


 昼休みを告げる鐘がなる。

 今日も退屈な授業だった、と私は立ち上がり、教室を出る。


 とりあえず昼食にはリックも誘う予定だ。

 だがここで説得はしない。

 まずはリックの言い分を全て吐き出させたいので、とにかく聞きに徹するのだ。

 その後にラビリスと作戦会議し、放課後の練習を早めに切り上げうちに誘って、という流れだ。


 廊下を歩き、一階の食堂へと続く階段を目指す。

 他クラスの友人に、すれ違いざま挨拶をする。

 窓から差し込む日差しが眩しく、私は軽く手で光を遮る。


 ほんの一時の、私の安らぎ。


 ――こういうので良いんだよなぁ……。


 ふと、一階へと向かう階段前で、生徒たちが人溜まりになっているのに気づく。


 ――何だ?


 生徒たちはヒソヒソと、

「何で止まってんの?」

「前進まないんだけど」

「喧嘩だって、喧嘩」

 などと少しばかり苛立ったり、あるいは困惑した様子でささやきあっている。


 私は呆れた。

 全く、ここにいるのはほとんどが貴族の子だろうに。

 家の名を背負ってきているのに、これだ――。


 一瞬、あえて関わり事態を解決することでミュール家の力関係を示すことができるか? と考えたがやめにした。

 今は他にやるべきことがある。

 とにかく、ラビリスとリックを最優先で――


 一人の生徒が叫んだ。


「大変! ラビリスさんとリックが殴り合いの喧嘩してるっ!!」


 うおおおおお何やってんだアイツらあああ!!!


 ※


「すみませんでした。本当に、本当にすみませんでした!」


 私は何度も何度も、グランディーネ校長に頭を下げた。

 頭を床にこすりつける勢いで頭を下げた。

 今、アイドル活動を止められるわけにはいかない。

 とにかく、とにかく今を乗り切らなければ――!


 私は必殺本物の涙ボロボロ作戦で泣きながら訴える。


「全部、全部私が悪いんです! 私の指示が悪かったんです! 私は停学でも退学でも何でも良いのでこの子たちの活動は続けさせてくださぁい!」


 が、グランディーネ校長は私の腕を取り、言った。


「顔の赤らみ、喉の動き、表情、鼻孔、脈。私は様々な生徒の涙を見てきましたが、貴女は随分と冷静に泣くのですね? ミス・ミュール?」


 あ、やっべ……。


「……………は、はい、ほんと、すいませんでした……」


 もうそれしか言えないわ……。


 グランディーネ校長は深くため息を付き、体を背もたれに預け天を仰ぐ。


 長い長い沈黙があった。

 ……ひょっとして、攻め時か?

 私のターンか?


「あ、そぉだグランディーネせんせっ! 私――」

「貴女の発言は許していません、ミス・ミュール」

「あ、で、でもっ――」

「校舎の修繕、新しい机に椅子、様々な勉強用魔導具の寄付、本当に感謝しています」

「は、はい、ですので――」

「そう、寄付。これは寄付です。まさか、ミス・ミュール? これを交渉の道具に使おうなどとは考えていないでしょうね?」


 やっべ……。


「も、もちろんですぅ、そんな、そんな私がそんな、そんなことするわけ無いじゃないですかぁっ」


 困った。ちょっと勝てない。


「それは良かった。では、お静かに。――さて」


 グランディーネはラビリスたちをゆっくりと見渡し、静かな口調で言った。


「理由を」


 ラビリスも、リックも何も言わない。

 むすっとしたまま視線を外に向けているだけだ。

 それでも尚グランディーネが待つと、ややあってリックがぼそっと言う。


「理由はさっき言いました」


「ええ、聞きました、ミス・ベティ。アイドルを続けるにあたっての、方向性の違い。取ってつけたような理由ですね? それで、本当の理由は何だと聞いているのです」


 リックは鼻で笑って強がった。


「それが本当の理由なんですケド」


 しかし、グランディーネ校長は首をふる。


「貴女たちお二人は、その程度のことであそこまでの喧嘩をする子ではありません。――では質問を変えましょう。先に手を出したのは?」


 すると、リックはすぐにラビリスを指す。

 ラビリスは視線を外したままだ。


「――何故? ミス…………ラビリス、トライン」


 また、沈黙が場を支配する。

 ……ここは、攻め時か?


 しかし、グランディーネ校長が私をじろりと見たので黙らざるを得ない。

 ちなみに、魔導具一切無しの単純な魔法勝負なら私この人に勝てない。

 パワー負けする。


 もちろん今は魔法、魔導具併用時代なので実際の戦闘では恐らく勝てるだろうが……この人は体制側だから、敵対したこと一度も無いので実際のところはわからない。


 ラビリスが、低く、呻くように言った。


「――家族を侮辱されました」

「はああ!?」


 と叫んだのはリックだった。


「侮辱!? 何それ!? してないんですけど!?」

「したでしょ!? 母を――母を、侮辱しました!」

「してない! ふざけんな嘘つき!」

「しました!」


 二人がまた喧嘩を初めそうになる。

 グランディーネ校長が声を荒げた。


「黙りなさい!!」


 声の残響の後、校長室はしん、と静まり返る。


「お一人ずつ、言い分を聞きましょう」


 グランディーネ校長は静かに、時折双方とついでに私をじろりと視線で制止ながら、真相を聞き出していく。


 結論から言うと、リックはラビリスの母親を侮辱していた。

 それは事実だった。

 しかし――。


 全てを話し終えたリックが、吐き捨てるように言った。


「自分で親の悪口言っておいて、意味わかんない」


 母親の悪口。最初に口火を切ったのは、ラビリス自身だった。

 それにリックは乗っかった形に過ぎない。


 ……リックには少し同情した。


(…………ラビリスは本当にめんどくさいから……)


 しかし、きっかけを作ったのはリックでもある。

 どうやらリックからラビリスに話しかけたらしい。

 理由は、色々言い訳がましく言っていた。

 やれ


「一人だったから話しかけてやった」


 だとか、


「打ち合わせとかもあるし、話すこともあるし」


 だとか。


 そんな中、リックは雑談として、どこにでもあるちょっとした家族の愚痴、即ち、


『うちの親がさぁ』


 で始まる子供特有の会話を始め、ラビリスが乗り、リックが更に追いかけ、ラビリスがキレたのだ。


 ……改めて、ラビリスの方が理不尽だと思う。

 理不尽なんだけどリックが親を侮辱したのは確かだから、こう、困る。

 であれば、加減の問題だったのだ。


 ……というかリックが家族の愚痴を私以外に言う所、初めて見た。

 そりゃ、家族に劣等感があるのは知っていたけど……。

 それを、まさかラビリスに言うなんて。


 聖女ラビリス。

 帝国の姫、ラビリス。

 皆はいつも、遠巻きに見て憧れているだけ。

 そんなラビリスに、リックは『うちの親がさぁ』で突撃したのは凄いことではあるが――。


 そう言えば、と思い出す。

 初回のリック仲間ルートの時、私とリックは一応友達だった。

 でも、話しかけてきたのはリックからだった。

 あの時も、色々理由を言っていた。


 でも、別れの日。最後の最後で、


『本当は、友達になりたかったんです』


 という言葉を私は聞いている。

 そして、リックは私の身代わりとなって――。


 その次のループから何故だか毎回敵になって私を殺そうするからすっかり忘れていたが……。

 ……ひょっとしてリックは、ラビリスの……友達になろうとしたのか?

 自分を知ってもらおうとか、考えたのか?

 私の時と、同じように。


 だとしたら……ああ、こいつら本当に不器用。

 馬鹿しかいないのか。

 ……しかし、そういうものなのかもしれない。

 まだ、十四歳だものな。

 ラビリスだって――。


 ……よし、リックはラビリスの友達になろうとした、という路線で押し切ってみよう。

 私はそーっと手を上げると、先程から絶句しているグランディーネ校長は、視線で促した。

 よし、と私は明るい態度を意識して言った。


「あ、じゃあ、はい、もう帰って良いですか? グランディーネ先生も、今の聞いてわかりましたよね? これ、ただの友達同士のくっっだらない喧嘩ですっ。誤解ですっ。ほら、よくありますよね? 遊んでて、やりすぎちゃうとか、言いすぎちゃうとか、その程度の、つまらない話ですのでっ。ねっ?」


 ど、どうだ?

 行けるか……?


 とりあえずリックもラビリスも何も言わない。

 一応誤解は解けたのだ。

 であれば今のお互いの気持ちは、たぶん


『やべぇ、気不味い』


 くらいだろう。


 ……事情が分かれば、後はどうとでもなる。

 とにかく今は、グランディーネ校長――アイドル活動可否の決定権を持つ権力者から逃げなくては――!


「じゃ、こうしますっ! これから、私の家で、仲直りさせます! ほら、ラビリスって今私んちで暮らしてますから、リックも呼んで、私が、責任を持って、仲直りさせますっ! ねっ? これで解決っ。ですよね、グランディーネ先生っ!」


  私とグランディーネ校長の瞳が交差する。

 相変わらず表情から感情を読み取りづらい人だ。

 しかし、この人は法と秩序の人。

 即ち、疑わしきは罰せず!

 グランディーネ校長が本心からアイドルを嫌っていようと、感情に左右されて判断を変えたりはしないのだ。

 だから私はこの人を尊敬している。


 グランディーネ校長は、ふとラビリスを見やる。

 何かに思いを馳せ、迷っているような――。

 その瞳に、知らない色を見た。


 ――何だ?

 ……?

 え、本当に何だ?

 わからない。

 というか今、グランディーネ校長めっちゃ感情に左右されてないか?

 あ、あれ、何か見落としてたかな……。


 ややあって、グランディーネ校長は、ふ、と緊張を解き言った、


「今回は、目をつむりましょう」


 よっしゃ! と小さく拳を握った瞬間をグランディーネ校長にじろりと睨まれ、私は慌てて拳を隠す。


「――いささか不安はありますが。……ミス・ミュール?」


「は、はい……」


「軽率で、傲慢。過信。計画性の無さ。これらが無ければ貴女はすぐにでも立派なミュール家の当主になれるでしょうに……。しかし――」


 めっちゃ悪口言われた……。

 ていうかなんで私が説教されてんだ?


 グランディーネ校長がリックを見る。


「ミス・ベティ。貴女がこの学園への入学を許されたのは、魔術師として極めて高い才能を見出されたからです」


「…………」


「貴女の夢が別にあることは理解します。しかし、それに加えてアイドル活動なるものにまで手を出すのならば、よく食べ、よく学び、よく寝る、この三つを必ず守りなさい。一つでも不足が見つかれば――校長の権限で、学園内でのアイドル活動全てを禁じます」


 え、困る。

 凄い困る。

 でも口を挟める空気じゃない。

 ここは[見]に回るしかない……。


「返事」


「……はい」


「結構。――ミス・トライン。貴女には、良いめぐり合わせがあったようです。この縁、離してはなりませんよ?」


「…………」


「返事を。ミス・トライン」


「……………………はい」


「よろしい」


 と、穏やかに微笑んだグランディーネ校長は、すぐに厳しい表情に戻り私をジロリと見る。


「では、ミス・ミュール。貴女の言う仲直りの結果を、明日、この場で、見せていただきます。よろしいですね?」


 よろしくないです……。

 でも、そんなこと言える空気じゃない……。

 ならば、やるしかあるまい。

 これが今回私が選んだ道なのだ。

 死なばもろとも!


「はい! もっちろんですぅ! 当たり前じゃないですかあ! やだなぁグランディーネせんせっ! ちゃんとやりますって! ねっ! 任せてください! 全部、ばっちりですっ!」


「全く――。それと、午後の授業は遅れて良いので昼食はしっかり取りなさい。では解散」


 ここからが本当の地獄だ――。

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