第27話 叶 安子 ②

「あと10分、頑張れー」

元気のいい、真由香コーチの声が飛ぶ。


4時間の、ぶっ通しの1本打ちも、もうすぐ終わる頃、やすこがコートへ戻ってきた。


<ん? どうも様子がおかしい>


 やすこの異変に、一早く気づいた葉山が、やすこに駆け寄った。

すごく辛そうで、顔色も良くない。脱水症状に近い状態だった。


 慌てて、休憩所に連れていき、スポーツドリンクを、やすこに飲ませた。

そして、そばにいた、美弥コーチに、やすこの体を冷やすよう、お願いをする。


 やすこは、ぼろぼろ涙を流しながら、スポーツドリンクを、ゴクゴク飲み干す。

他のコーチも、練習をストップし、駆け寄って来た。


「どうしたんですか?」と、心配そうに、瞳コーチが、葉山に声をかける。


「脱水症状のようだが、自分で、ドリンクが飲めるから、しばらく様子をみましょう。真子コーチ、少し見てもらえませんか」

と言って、元、看護士の真子コーチに、容体を見てもらった。

 ・・・・・

「大丈夫だと思います。このまま、涼しいここで、体を冷やしましょう」


「監督、やすこに、無理な事、言いませんでしたか」

少し強めな言い方で、瞳コーチが訪ねる。


「いや。・・・・・やすこの水筒がない。持って帰ってこなかった・・・・

この状況で、水筒を忘れて、帰ってくるはずがない・・・

誰かに、いたずらされたか・・・・」


「えっ?水筒を盗まれたって事ですか」


「多分、面白半分で、どっかに捨てたか、隠したんだろう」


「絶対に許せない!」

 美弥コーチが、顔を真っ赤にして、怒った。


そうこうしていると、少し落ち着いた、やすこが、口を開いた。

「第1グラウンドの朝礼台とこに、水筒置いといたんですけど・・・・・

第3グラウンドから、戻ってきたら、無くなってて・・・・・

近くを探したんだけど、無くて・・・・・」


「まだ、無理して、しゃべらなくてもいいよ」と、穂乃香コーチ。


「これって、命に係わる問題じゃないですか、監督!」

「絶対に、犯人見つけちゃるし!」と、澪コーチが、怒りを露わにする。


「ちょと、真子コーチ以外は、こちらへ来てくれ」

と言って、休憩所から離れた場所で、話を始めた。


「確かにな。この事は、高橋校長に報告は、きちんとします。

学校側が、どういう対応をするかはわからないが、しかし、私たちによる、犯人捜しは、やめましょう」


「どうしてですか、監督」


「確かに、今回の事は、度が過ぎていると言えるし、下手をしたら、命にもかかわる事だというのは、承知しての事だが、この手の事は、これからも続くかもしれない。

例えば、ここで犯人を探し出したとして、どうなる。やすこへの嫌がらせは、無くなるだろうか。私の心配するのは、ここで、大きく私たちが騒げば、今後、やすこへの反応は、完全無視されるか、または、より陰湿な嫌がらせへと発展してしまうかの、どちらかだと、懸念する。

 水筒の件は、学校の先生の協力で、何とでもなる。職員室に置いてもいいしな。

言葉の暴力がある事は、私も、予想はしていた。それも辛い事だが、

腫れ物に触らないように、周りの人間から、完全無視されるのも、非常につらいものだ。

 今日の様な事が続けば、俺も黙ってはいない。

コーチの中には、納得できない者がいるかもしれないが・・・・

今回だけ、今回だけは、様子を見よう。

この判断が、ベストかどうかは、俺も実のところ、確信がない。

最終的には、学校側の判断になるが、こちら側の意見は、一旦、様子見を依頼するつもりだ」


「監督が、そこまでおっしゃるのなら、それに従います」と瞳コーチ。


  一方、クラブ員はというと・・・・

やすこの事は、すごく気になっているが、みんな、もう体が動かない。水筒を抱えたまま、座り込んでいる者、日陰で、フェンスにもたれて、身動き取れない者など、全員、動けないでいた。


やすこが、休憩所から、出てきた。

「大丈夫?」

コーチ陣、皆が、心配そうに聞く。


「はい、大丈夫です。水筒が無くなった事がわかった時、走るのをやめて帰ってくればいいだけのとろこを、無理して、やめなかった私が悪いんです」


「そんな事ないよ、やすこ」

「そうだよ、やすこは全然、悪くない」


「無理するなと言っただろ」


「ごめんなさい。監督。・・・・

でも、初めての日だったから・・・

1秒チャレンジ、初めての日だったから・・・

10km走りたかった・・

10km回って、みんなが練習している間に、ここへ帰ってきたかったです」


・・・・・


「監督・・・歩いたし、休んだけど、でも監督の指示通り、私、10km回ってきたよ」

やすこが、嬉しそうに笑う。


<ごめん、やすこ。本当は12kmあるんだ>


「10kmぐらい、当たり前だわ! 時間掛かり過ぎだ。・・俺なら、10kmごとき、30分で回ってくるぞ。

・・・・ 本日の、やすこの記録、3時間45分20秒」


パチパチパチ


周りから、大きな拍手が起こる。


「脈も正常だし、熱も無いから、もう大丈夫。安心してね」と真子コーチ


「真子コーちゅん、僕のおねちゅも、測ってくれない?」


「はい、いいですよ」

葉山のおでこに、手を当てる振りをして、

「あーーーこりゃダメだわ。熱が全く無い」


「あのね・・・・俺は、キョンシーか」


「キョンシーの方がよっぽどまし。

まったく、もう! こんなに、やすこが大変な時に」


「ごもっともです」・・・<真子コーチも少し、乗ったくせにぃ>


 やすこが、笑っていた。


そんな、やり取りをしているうち、クラブ員も、やすこの傍にやってきた。


「やすこ、大丈夫?」

「どうしたの?」

「何があったん?」

質問が、矢継ぎ早に飛び、長谷コーチが、これまでの事を、説明した。


「やすこの気持ちは、わかるけど、水筒が無くなった時点で、帰ってくるのが、正解だったね。」

 あべちが、冷静な判断で言う。


「やすこ、ちょいっと聞いてよぉ~

私たちも、コーチ達に、殺されかけたんやてぇ」

と、しおりんが、いかにも疲れたぁ~て、顔で言う。


すると、天音コーチが、

「あんたねー人聞きの悪い。まるで、真由香コーチが、血も涙もない、鬼コーチに聞こえるやん」


「どこを、どう聞いたら、そうなんねん。天音コーチ」

と、真由香コーチが、応戦する。


すると、カレーが、

「本当に、死にそーやったんやから」


「死にそーて事は、まだ死んどらんやね。

・・・死んだら、教えて」

と、天音コーチが、多岐商女子ソフトテニスクラブの伝統芸の一つ・・・

練習で、めちゃめちゃしごかれた時に『死にそぉー』って言うと、『あっ、そう。死んだら教えてぇ』を、初披露した。


「じゃぁ、今度、死んだら、天音コーチに、言いますぅ」と、カレーが言う。


「あんた、バカねぇ~、死んだら、なんも言えんやないの」

と、じゃがリコが、ごもっともな、突っ込みを入れる。


すると、カレーが、

「私が死んだら、天音コーチに、とりついて、背後から、

『あ・ま・ね こぉ~ちぃ~、わたし、死にましたけど~、これからどうしましょうぅぅ~』

て、報告するわ」


「やめてー!」

お化けなどの、オカルト的なものが、大の苦手な天音コーチが、手で耳をふさぐ。


「はいはい、吉本珍喜劇は、ここまで。

・・・なんだかんだで、天音コーチと、カレーって、息、ぴったりやん。

練習中も、仲良くバトル してたし。まるで恋人同士みたい」 と、瞳コーチが言う。


「どこが!」(天音)

「どこがですか?」(カレー)


「ほらね。息ぴったり。

・・・・・監督、カレーの個人担当、天音コーチで、いいですか?」

と、瞳コーチが、葉山に尋ねる。


「そういった事は、全て、瞳コーチにお任せします」


「本当は、1~2か月様子を見てから、個人担当を決めようと思ってたけど、とりあえず、1コンビ決定!

『あまね』と『カレー』で、『あまねカレー』ね。前衛同士だし、ゴロも、めっちゃいいし」

瞳コーチが、満足そうな顔をして言った。


<一番しっかりとして、見えたのに、意外といいかげん?>

葉山を含め、瞳コーチ以外の全員が、そう思うのであった。


ーーー若いって素晴らしい!ーーー

そうこうしている内に、やすこも、他のクラブ員も、だいぶ回復してきて、なんだかんだで、いつもの、多岐商女子に、戻っていた。


「じゃあ、コンビ誕生を記念して、天音コーチのお店『雅』《みやび》で、新メニューとして、『あのねカレー』っていうのを出したら? 味は、甘口で、具材は、チャランポランな、何でもありカレー」

と、人愛コーチが、しょーもない事を言い出した。


「『あまねカレー』だと、ダイレクトだから、『あのねカレー』かな。

これ、いけるかも? 料理長と相談しよっかな」

こと、商売の事となると、真剣になる、天音コーチ。


<この人も大丈夫か?>

葉山を含め、天音コーチ以外の全員が、そう思うのであった。


やすこは・・・・

<みんなも、大変だったんだ・・・>

フラフラになって、コートに帰って来てしまい、みんなに迷惑を掛けた事を、気にしていたが、みんなの明るさが、暗い気持ちを、吹き飛ばしてくれていた。


(コーチやクラブ員が、最初こそ、心配して、いろいろ声をかけたが、その後は、何事も無かったかのように、振舞った事により、結果、やすこは、余分な事を考えずに済んだ。そして、明日からも頑張ろうという気持ちになれた。

 各コーチや、クラブ員が、そこまで考えて、あえて、あまり、やすこの事に触れずにいたのか、根っからの天然達が、なしえた事なのかは、定かではないが)


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