メシテロ

AVID4DIVA

野菜炒め

・・・・・・・

それがあんまりにも暑い日だったんです。

夏の代名詞のセミだってもう、投げやりというか等閑(なおざり)というか。

み〜んみんみんみ〜んってやらなきゃいけないところを

み〜ん、み〜ん、み〜〜〜〜〜ってなくらいになっちゃう。

おいおいあんた七日限りの命じゃないのかよ。

頑張れよ今こときれてどうするよと

余計なお世話も良いところですが心配になってしまいましたよ。


それから大田区の馬込で所要を済ませまして。ええ、まあ義理ごとですね。

盆には顔を出せなかったものですから。おそばせながら、とね。

ちょっとばかり気の利いた暑中見舞い抱えて挨拶に行ったはいいんですがね。

まあその家の冷房の効かねえこと効かねえこと。

おたくンところの家電はどうかしてるんじゃねえかい、って言いたくなるくらいでしたよ。


生ぬる〜い風が茶色く黄ばんだ古い冷房からぶぼぼ、ぶぼぼって出るもんですからね。

なんかこう死にかけの爺さんの空咳(からぜき)みたいですっかり滅入っちまいました。

出された麦茶も妙にぬるくて、喉は乾いてるんだけどどうにも手をつける気にならない。

一通りの礼儀を通しましたところで、早々に退散したってわけです。

外はもう夕方、とはいえ夏だ、まだ日は長い。五時の鐘が鳴ったとて

薄ぼんやりとした橙(だいだい)色がお空(そら)の端っこに滲むくらいなものでした。

朝は昨日の二日酔いで食う気になれず、昼は土産選びに洒落たデパートなんかに

足を伸ばしたものだから空気に慣れず、ああ終わったァと一息ついたところで

腹の虫がぐうぐうと鳴き始めました。鈴虫くらい綺麗に鳴いてくれりゃ良いんですが。

馬込あたりもすっかり変わっちまって、学生の時分(じぶん)なんかは小さな飯屋が

ポツポツとあったもんですが、今はもうどこもかしこもフランチャイズの見覚えのある看板ばかり。

別に良いんですよ、安くて美味いってのは美徳だ。だけどもどうにも今日は食指が動かない。

これも時代かしらん、などと文士村(ぶんしむら)の通りをブラついてましたらね、

あったんですよポツンと。一軒、暖簾(のれん)の草臥(くたび)れた食堂が。

ショウ・ケースに入ったサンプルなんかも良い感じに年季が入っててね。

美味いか美味くないかの前にピンと来ましたよ。ここに入りたいんだ、って。

曇りガラスの引き戸も滑りが悪くて歴史の重みがあるってもんですよ。良いように捉えればね。

ガラガラガラと戸を引いて暖簾潜ってごめんなさいよ、と。

そしたら向かって右のカウンター奥でこれまた草臥れた親父が夕方のニュースなんか見てる。

開口一番「いやあ暑いね」と来たもんだ。いらっしゃいませよりもずっといいですよ。暑いんだから。

「暑いですねえ」とお返ししてカウンターの丸椅子に座る。背もたれの端っこなんかもう破れててさ。

メニューを見る前に本棚のチェックは欠かせません。大体ね、こういうところには往年の長編漫画が

ズラ〜っと並んでるもんなんですよ。所々巻数が飛んでたら最高だね。

この店にはありましたよ、ゴルゴ69(シックスナイン)100巻以上続く長寿漫画だが

第1巻の次は5、7、13という怒涛の飛び石っぷりだ。素数を数えろってか、これはもう期待しかありませんよ。

そんでね、もうあんまりにも暑いものだから壁に貼られたメニューも見ずに瓶ビールだ。基本ですよこれは。

「とりあえず瓶ビールください」って言って、親父聞いたか聞かないか、ニュースの区切りのいいところまで

テレビに釘付けだ。どっかの公園に出たっていうアヒルの親子の動向がそんな面白えのか。

ビールが出てくるまでメニューと睨めっこですよ。さて何を食おうか。

レバニラ、焼肉定食、ちょっと捻ったところで八宝菜なんかもある。

つまみになりそうなものは冷奴(ひややっこ)と漬物。キムチじゃないあたりがいいね。

いい加減腹は空いていたがここはどうしても空きっ腹にビールを流し込みたかった。

酒の醍醐味ってのはね、腹が膨れると薄まっちまうんですよ。

一日千秋の思いで、ようやく冷えた瓶ビールとご対面だ。汗をかいている。よく冷えてるんですね。


(演者、机を叩いてから口芸で瓶ビールの栓を抜きグラスに注ぐ仕草)


グラスをこう、傾けてね。泡が過ぎないようにするのがコツってもんですが。

今日ばかりはもう侘び寂びよりも渇きの方が勝っちゃって、普通はシチサンかハチニーで泡なんですが

ロクヨンになっちゃった。まあまあご愛嬌ですよ。

それではいただきます。


(演者、グラスビールを喉を鳴らして飲む仕草)


ああ。五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことですね。

瓶ビールの慈雨(じう)で知性を取り戻したのか、なんと献立が決まりました。

野菜炒め。誰がなんと言おうと野菜炒め。これはもう天啓(てんけい)です。

野菜炒めなんて家で作れるじゃないかって。馬鹿おっしゃい、火力が違うんですよ。

業務用の強い炎でチンチンに熱された鉄の中華鍋の中で踊る野菜と肉。大捜査線どころの話じゃないんです。

それにね、素人の野菜炒めってのはどうもいけない。何でもかんでも火を通し過ぎて歯応えが物足りない。

味付けだってね、変に健康思想に媚びてて良くないね。今の世の中何かにつけては

減塩減塩だって言いますけども、こうも暑い中を

あっちへうろうろこっちへうろうろした後に塩気のないものなんか食べたら干からびちまいますよ。

そうと決まれば善は急げだ。

「すいません野菜炒めください」

親父さんたらまーだテレビ見てるよ。今度は何かな、熱中症情報か、オータニか。

「はいよ」

って無愛想に返事するなり、返す刀で小皿突き出してきましたよ。

いくら仕事ができるからって頼んで二秒で野菜炒めは早過ぎないかって。

ええ、よく見てみたらね、小さな豆皿に痩せたメンマが4、5本、並んでるじゃありませんか。

これでビールやって待ってろってことですかね。まあなんと心憎いんでしょうか!

ですがね、そのメンマときたらまあ貧相なもんですよ。ラーメンに添えるためだけの、

いかにもな業務用品。とはいえ心意気が嬉しいじゃないですか、ねえ。

だからね、机の上で湿気ってるアジシオの瓶を取ってやってね、こう、パパパッと降らしてやったんですよ。

これが普通の塩だといけない。痩せたメンマの悪いところが一層引き立ってしまう。

その点アジシオは違いますよ。うま味調味料が混ざってますからね。

痩せたメンマのえぐみやスレた味付けもうま〜く隠してくれる、これであばたもえくぼってもんだ。

それじゃね、親父さんのご好意で2杯目といきましょうか。


(演者、メンマを肴に再びグラスにビールを注ぎ、喉を鳴らして流し込む)


ああ美味い。メンマ自体は安っぽくて貧相でまあ美味いもんじゃないが

そんなメンマとアジシオのおしどり夫婦感がたまらないですね。

飲む打つ買うでろくに家に金も入れない亭主を陰から支える母ちゃん。こいつぁ髪結いの亭主の味だよ。

さあ野菜炒めの助走は整った。親父さん、いつでもいいぜ。汗が噴き出るような野菜炒め、待ってるよ。

その親父ったらまぁたテレビ見てるよ、テレビ見ながら鍋振るってどうなんだいそりゃあと思ったら

手際のまあ鮮やかなこと。目が見えなくなっても問題ないでしょうこれ。一挙手一挙動が野菜炒めに収束している。

誰か、誰でもいいからあれ流して、ほら、NHKで夜やってるドキュメンタリーのBGM。ずっと探しちゃうやつ。

ジュウ、ジュウジュウワ、アーノルド・ジュワルツネッガー。

やっぱりプロの仕事は違うね。火入れは強く短く鮮やかに。火が入り過ぎた葉物野菜なんてお寒いだけですよ。

「はいお待ち」

親父さんやっとこっち見て野菜炒め突き出してきましたよ。

その顔ったらね、もう職人ですよ。法隆寺おっ立てた宮大工みたいな精悍な顔してますよ。見たことないけどね。

残りのビールをグラスに注いで、始めましょうかねえ。


(演者、三度グラスにビールを注ぐ口芸)


それじゃあ、頂きます。

うん、しょっぺえ。塩っからい。塩気の上に醤油の香りが乗っかってる。

口に入れた瞬間、仕事を忘れてた毛穴たちがヤレ戦争だと汗をドバドバ出してくる。

花は桜木、肉は豚バラ。申し訳程度に入ってるのがまたいいんだよ。肉が多過ぎたら肉炒めになっちまうからね。

少数なのにはっきりと物申すこの油の力強さたるや、今の日本の政治家は見習うべきですよ。

キャベツ、にんじん、もやし、それからこの黒いグニグニしたのはなんだい。

川口浩探検隊がその謎を探るべくジャングルの奥地に飛んだように、野菜炒め探検隊もお口に飛んでみましょう。

どれどれ。


(演者、野菜炒めの具を匂ってから咀嚼する仕草)


ああ、これは。まさかの。なんとまあ。キクラゲだ。キクラゲですよ。

中国4000年の高級食材のキクラゲだ。それも程度がいい。

さっきのしなびたメンマにこのキクラゲの爪の垢飲ませてやりたいくらいですよ。


塩気の強い汁をまといながらも、コリコリしていて一向にくどくならない。

もやしなんかはその名の通りもやしっこだからすっかり汁に染まっちまってるけど

こいつはその辺違う。一本筋が通ってる。野菜炒めのカオしながらしっかりキクラゲの仕事してる。

いいですね。アクセントだ。


うめえうめえと箸が進んでビールも野菜炒めもすっかり無くなっちまいました。

さて、2本目に行こうか。それともこの辺でお暇(いとま)するか。

一つ腹の虫と相談してみましょうかねえ。


おい、虫公(むしこう)。お前さん具合ァどんなだい。

へえ、旦那。まだまだ鳴き足りのうございます。

おおそうきたかい、じゃああれだね。こんな素敵な野菜炒めに出会えたんだ。

白いお山で大団円(だいだんえん)と致しましょうか。ねえ!


「すいません、ライスください。大盛りで」


えっ、野菜炒めはもうカスしか残ってないでしょって。

さてはとんだ愚考だと思いましたね。そいつはゲスの勘ぐりってもんです。

ここは洒落た店でもなけりゃ見合いでもねえんだ。今日ばかりはお行儀は横に置いておきましょうよ。


おかずなんていらないんですよ。

てんこ盛りになった白米の上に、野菜炒めの残り汁を、こう、ガバーっとぶっかけるんです。


ああ!真っ白なゲレンデが茶色く染まっちまった!なんという背徳感でしょうかね。

野菜の香味と豚バラの旨味を多分に含んだ醤油っ辛い残り汁が

湯気を立てる米の甘みに絡みついて、こりゃ三位一体どころの話じゃあない。

キリスト様だって蘇るってもんだ。ぬるくなった野菜炒めの汁が飯の熱気で立ち上がって、もう立て、立つんだジョー!

それじゃあ、いただきます。


(演者、山盛りの汁かけ飯を豪快にかっこむ仕草)


ああ、もう口の中から飯が飛び出てしまいそうですよ。

こういうもんはね、お上品に食っちゃいけないんだ。

カッカッカッカって箸で茶碗の端鳴らして飲むように食うべし。

甘い、しょっぱい、甘い、しょっぱい、美味い!カッカッカッカ!


(演者、山盛り飯を食べ終わり、深く嘆息する)


ご馳走様でした。

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