第3話

 古橋さんはいつものモーニングメニューを頼んだ。コーヒーと、トーストのセット。古橋さんはいつも、これしか頼まない。一度、店の新作スイーツを勧めてみたことがあったけど、甘いものはあまり食べないんだ、とやんわり断られるだけだった。


「聞いてよ、古橋さん。亮にいがね、私の東京進学を許してくれないんだよ」


「沙奈絵、喋ってないで仕事しろ」


 コーヒーを淹れる亮にいに向かって、私は舌を出してやった。亮にいは気づいていない。しめしめ。


「お客さんの前で舌を出すな、みっともない」


「なっ、何でバレてんの!?」


 私たちのやりとりを、古橋さんはただ笑って見ていた。そして、こう言った。


「君たちはいつも、本当の親子みたいだ」


「……まぁ、姪っ子なんでね。血の繋がりは断ち切れませんよ、断ち切りたくても」


「ちょっと、断ち切りたいってことなの?」


 私は亮にいに軽口を叩きながら、何となく、気になっていた。古橋さんはよく、私と亮にいのことを「本当の親子みたいだ」という。今に始まったことじゃない。それこそ、店に通い始めたばかりの頃からずっと、そんなことを言うのだ。


 お客さんに、「何でそんなこと言うんですか?」とは聞けないから、困ったものだ。


「沙奈絵ちゃんも、もう大人だからね。色々と、悩むことはあるさ。何でも押さえつけてしまっては、よくないよ」


 古橋さんは、亮にいを宥めるような口調でそう言った。亮にいは古橋さんの前にコーヒーカップをこと、と置いて、「まぁ、考えておきます」と小さく笑った。


 まるで、そこだけ空間が切り取られたみたいな感じがした。私だけ、別の場所に隔離されて、亮にいと古橋さんの間には独特な空気が漂っているような。そんな気がした。


 ***


 買い出しに行ってこい、と店を追い出された私は、スーパーで亮にいに頼まれたものを買って、店に帰る道を歩いていた。こっそりアイスバーを買って、それを食べながら。


 ふと、八百屋の閉じられたシャッターの側面に、ポスターが貼ってあるのが見えた。


「そっか。もうそんな季節か」


 地元の花火大会のポスターだ。町内会長さんとかが貼ってまわりでもしたのだろう。よく見れば、電柱やら店の外壁やら、至る所にポスターが貼ってある。どれも太陽の光に負けて、色褪せてはいるけれど。


 花火大会が開かれるということは、私たちのような健康的な小中学生はみなその準備や手伝いに駆り出されるということだ。報酬はあるものの、炎天下の肉体労働は子どもにも厳しい。


「また手伝わされんのかあー」


 私が歩みを進めながら嘆いていると、道の途中で近所の裏山に1人で暮らしている佐々木のおばちゃんとばったり会った。


「おお、沙奈絵ちゃん。元気しとった?」


「佐々木のおばちゃん、昨日も会ったでしょ」


 私は苦笑しながら、腰を曲げてチビチビ歩く佐々木のおばちゃんに目線を合わせる。


「あれまぁ、こない大きくなってぇ。べっぴんさんになったなぁ」


「おばちゃん、それも昨日聞いたよ」


 言いながら、まんざらでもない私は少しにやけてしまっていたかもしれない。


「ホント、よう香織ちゃんに似てきたなぁ」


 香織、というのは、私のお母さんの名前である。何だか急に、潮風が目に染みた。お母さんの顔なんて、私、分からないよ。


「そら。もうすぐ花火大会やけんね。準備しよる?」


「ううん。まだしてないけど、もうすぐ始まると思うよ」


「そうかい、そうかい。楽しみやねぇ」


 ……花火大会、楽しみにしている人もいるんだな。当たり前か。


「今年も、私たちが準備頑張るからね。おばちゃん、楽しみにしててね」


 私が言うと、佐々木のおばちゃんは嬉しそうに顔の皺をニコニコと深めた。


「ほなら、それまで元気でいないとねぇ」


 何だか、胸がすっきりした。花火大会を楽しみにしてくれる人がいるなら、準備を頑張ってもいいかという気がした。

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