第2話

 さて。抜け出すと大声で宣ったものの、果たしてどうやってここを抜け出すのだろう。ベッドに横になりながら、私は悶々と思考を巡らせていた。そもそも高校に通うには、お金が必要だ。そして、保護者の同意も。


「詰んだ……」


 あぁ。こんなことなら、亮にいに楯突くんじゃなかった。


「あぁぁ、東京行きたいなぁ……」


 私はその日、都会の景色を夢に見ながら眠りについた。


 ***


「おい、沙奈絵。起きろ」


 霞んだ視界の中で、私は亮にいの顔を見た。


「うげっ、亮にいっ!」


「うげって何だよ。支度しろ。今日は店番の日だろ」


 週末はいつも、亮にいの店を手伝うのが習慣になっている。亮にいはいつの間に私の部屋を出て、とっとと朝ごはん食えよー、と間延びした声が遠のいていった。私はベッドに座り込んでぼうっとしていた。そして、あることに気づいた。


「私が東京行ったら、亮にいの店も手伝えなくなるのか……」




 朝ごはんを食べ終えたら、本格的に店の準備に入る。髪を結って、エプロンの紐をきゅっと締めて。私は、こうして身支度をする瞬間が好き。なんか、自分が大人になったみたいな気分になるから。


「沙奈絵はさ、なんで東京行きたいの?」


 突然、何の前触れもなく、亮にいが聞いてきた。私はびっくりして、思わずうわずった声でえっ? と聞き返してしまった。


「な、何で今さらそんなこと」


 私が尋ねると、亮にいはこっちを見向きもしないで、コーヒーを入れながら平然と口を開いた。


「昨日、聞き忘れたなと思って。沙奈絵がプンスカ怒って部屋に逃げるからさ。聞きそびれたんだよ」


 イギリスの午後のカフェで流れている音楽のような、ゆったりとした口調だった。私はその調子に、ペースを乱されるばかりだった。


「別に、この田舎から出たいだけだよ」


 それだけ。他にやましいことなんて何も、考えてないから。


「そう」


 一瞬、亮にいがふっと目を細めたような気がした。けれど、追求は許されなかった。


「ぼーっとしてないで、外の看板出してきて」


「あぁ、うん」


 理由を聞いてどうすんのよ、と内心思いながら、私は店を出た。その時、道の向こうに立っている男の人の存在に気づいた。


「あ、古橋さーん」


 私が手を振ると、男の人は軽く手をあげて、こちらにやってきた。


「おはよう。沙奈絵ちゃんは、今日も店の手伝い?」


「うん。古橋さんこそ、今日はやけに早いね」


 古橋さんは、喫茶店の常連客だ。いつも週末は顔を出してる。何の仕事をしているのかは分からない。けど、スーツ姿は見たことがない。


「今日は、たまたま早く目が覚めちゃってね。開店前だったかな? 出直そうかな」


「あ、今看板出すところだったから、ちょうどOKだよ。開店時刻ぴったり」


「そうか、それじゃあ、お邪魔させてもらおうかな」


 古橋さんは、物腰柔らかな大人の男性、という雰囲気の人だ。背が高くて、顔立ちも整っている。でも、結婚はおろか、付き合っている女の人すらいないらしい。そういう意味では、ちょっと謎の存在。


 私が店の扉を開くと、古橋さんは律儀に「ありがとう」と私に微笑んでから店に入った。私は、危うく忘れるところだった店の看板をしっかり出して、店内に入った。

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