第7話 大手事務所からのスカウト

 VTuberのモデルを見せられてから、俺の生活はSPEXのランク漬けだった日々より一層忙しさを増した。

 必要機材の調達や、九重さん監修の発音講座。デビューまでの段取り。デビュー日など。決めることは山ほどあった。


 ぶっちゃけ、個人VTuberは目立たない。

 スマホ1つで出来るVTuberの大海賊時代を迎えた現代において、フリーの個人VTuberというのは注目されにくい。

 当たり前だが、注目されるのは地位を築いた大手VTuber事務所からのデビューばかり。



 目前になってきたデビューに備えて、俺は邁進していた。

 最初は向いてないと思っていたが、少しずつ楽しさも感じるようになっていた。


『春科くんに会わせたい人がいるんですが、明日とかって予定空いてますか?』


 と、九重さんから昨晩連絡が来た。


 待ち合わせの時間までもうそろそろ。

 俺は指定されたカフェでアイスコーヒー片手に九重さんを待っていた。


「あ、春科くん! お待たせしました!」


 店に入ってきて、九重さんはすぐに俺を認識して手を振ってきた。

 学校帰りの時とは違い、サングラスとマスクをつけ、完全防御で身バレを防いでる様子。


 九重さんの後ろにはもう一人。

 黒い髪でビシッとしたスーツを着る美人な女性がいた。年齢でいえば俺たちより一回りくらい離れていそうな、大人な雰囲気だ。


 その人はこちらを見るなり、無表情のまま会釈した。

 おそらくこの人が九重さんがメールで言っていた俺に会わせたい人なのだろう。


「アイスコーヒーお願いします!」

「私も同じもので」


 二人は席に座った。


「えっと、春科っていいます」

「私はこういうものです」


 渡されたのは名刺だった。

 まず目に入ったのはフラワースタープロダクション。男女それぞれ多くの人気VTuberを抱えている、今日本を代表する大手VTuber事務所の1つだ。


 その下には『代表取締役 黒江 咲』と小さな文字で書かれていた。


「はえ?」


 ……はえ?


 思わず変な声が出てしまった。

 俺の慌てる姿を見て、九重さんはクスッと笑う。


「私よく色んなVTuberさんとコラボしてるじゃないですか? その中でも仲良いVTuberさんがいて、その人がフラワースタープロダクションに所属してるんです」

「それは俺も最近九重さんの配信見てるから分かるけど……だからって代表様が俺なんかのところにわざわざ来るんだよ!」


 小声で言ったつもりだったが、さすがに隣にいる黒江さんにも聞こえていたようで。


「それは私から説明させていただきます」

「は、はい。お願いします……」

「以前より春科さんのお話はかりんから聞いていました。そこで一つ提案されたのです、今度出る四期メンバーに加えてくれないか、と」

「えへへ、提案してしまいました」


 え? 俺がフラワースタープロダクションに入るってこと?


「…いやいや! さすがに! それは! まずいでしょ! 俺高校生ですよ!? そんな配信経験もないど素人の俺がそんな、さすがに無理ですって」

「もちろんそれは分かっています。ですが、うちとしても、すで公式で発表している四期に、プラスで一人サプライズで登場させる、という前代未聞の演出をしてみたいという気持ちがありましてですね」

「確かに聞いたことは無いですけど…それだったら尚更俺は向かなくないですか。もっとキャラが濃いというか、他のメンバーに負けないくらいのキャラクター性がないと…」

「その点、天魔くんは最適では?」

「うっ……」


 確かにあいつはめっちゃキャラが濃い…濃すぎて胃もたれしそうなくらいに設定が盛り込まれている。

〈俺のサイダー返せ〉さんの性癖がやけくそフルセットにされてる感じがする…


「でも実際に会えてよかったです。かりんとの馴れ初めには驚きましたが」


「「馴れ初めじゃない!」」


「こうしてここであなたと出会えたのも一つの運命。どうです? うちでデビューするのは。私としてもこれは一つの賭け。でも私はそれを信じてもいいと思っていますよ」

「俺のどこがそんなにいいのか分からんないですけど」

「圧倒的に”声”です」


 九重さんにも何度も声に関して褒められているが、俺のコンプレックスの一つに声がある。

 未だに俺の声のどこに魅力があるのか理解できない。


「改めて――春科冬慈くん、うちに入らないかい?」

「ぜんっぜん自信ないけど、それでもいいなら…精一杯頑張ります」

「私は君に賭けるよ」


 そういって伸ばされた手。

 俺は何故か大手VTuber事務所の社長と硬い握手を交わすのであった。

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