今日も龍は空を飛ぶ

@kiminonakade

ある日

 龍は、今日も飛んでいる。

 高層ビルにぶつかって、電波塔にぶつかって。

 傷だらけになって、それでも飛ぶ。

 彼らはもう、自分がどのような存在なのかすら忘れてしまったのかもしれない。


 人が妖を殺す国、日本。


 東京では、今日も龍が死んでいる。



◆◆◆



 高校の帰り。

 ただなんとなくまっすぐ帰る気になれなくて、意味もなく立ち入った裏山の山道で。


「龍って、力尽くで撃ち落とせたりしない?」

 

 自分と同じくらいの歳に見える1人の少女が、木の枝を見上げながらそう言っているのを見た。


 何に語りかけているのかも、なんの話をしているのかもわからない。

 けれど頭の中に直接響くようなその凛とした声は、僕の心をどうしようもなく揺さぶる。


 「あれ?君、だーれ?」


 物音一つ立てていないのに、振り返った彼女の目ははっきりと僕を捉えていて。

 ゆっくりと近づいてきた少女は、僕の目を覗きこんでこう言うのだ。


 「もしかして、君も視えてる?」


 「いや、視えてるって、なにが……」


 数秒置き、辛うじて喉から搾り出した声は、自分でも情けないくらいに震えていた。

 

 透き通った黒い髪を腰丈ほどまで伸ばし、凛とした顔を輝かせてキラキラな笑顔を向けてくる彼女。

 しかしその目は、一欠片の光すら感じさせない。


 明らかなミスマッチが引き立てる違和感に恐怖を感じつつも、その美貌と不思議な魅力に吸い寄せられ、彼女から目を逸らすことができなかった。


 「うーん、つまんない。迷い込んだだけなら帰りなよ。ここは君が来ていい場所じゃないよ?」

 

 彼女が何を指してそう言っているのかは理解できないが、とうにキャパを超えた己の脳みそでも自分が歓迎されていないであろうことは分かる。


 言葉を発することすらできぬまま、少しづつ後ずさる。まるで獰猛な獣と不運にも遭遇してしまった遭難者の如く。


 「あはは、獣から逃げるときは背中を見せずにゆっくり後ずさって、目線を外さない。大正解だよ。本能的にそれをやってるなら、君はセンスがあるんじゃない?」


 つまらなさそうな表情から一変して、こちらを見ながらケラケラと笑う少女。

 そんな事はかけらも考えていなかったが、どうやら正解だったらしい。いや、事態が好転していないことを考えると不正解を引いたか。


 ただ目の前の少女から目を逸らしてはいけない。自分の中の何かが、全力でそう警鐘を鳴らしているのだ。


 どうしたものか。

 離れない少女との距離に痺れを切らし、いっそ背中を向けて全力疾走でもするかという投げやりな思考が頭をよぎり始めたその時。


 刹那———突如として大きな破裂音が辺りに響く。


 目の前の少女が膝から崩れ落ちたのは、それとほぼ同時だった。


 「は……?」


 声なのか呼吸音なのか自分でも判別できないような、気の抜けた音が己の口で鳴る。


 足の腱を撃ち抜かれてなお素早く飛び上がり攻撃体制を取る少女の様子が、やけにゆっくりと感じられた。

 歯を食いしばり痛みに耐え、身を捩って飛び下がり間合いを取っている。明らかに戦闘慣れしているな、と———今までの人生において間違いなく一番衝撃的な光景を目にしているはずなのに、やけに人ごとな感想が浮かぶ。


 「ここは人の来ていい場所じゃない。北に走れば大きな桃の木がある。そこから外に出てしまえば、人間の領域だ。出ていきなさい。」

 

 後ろを振り向けば、獣を撃つための長銃を構えた無精髭の男。


 年端もいかぬ少女を躊躇なく撃ち抜いておいて、まるで自らが正義かのような口ぶりで話しかけてきた初老の男からの忠告は、脳が受け入れることを拒否した。


 「ちょっと待ってくださいよ……いきなり人のこと銃で撃っておいてそんな、死んじゃったらどうするんですか!」

 

 先のことを考えぬ自暴自棄の慟哭である。これだけのイレギュラーを前にして、正義だけを盾に反抗の意思を保てるほど自分という人間は強くない。


 それでも、声を荒げずにはいられなかった。    

 主には、自分の精神を保つために。


 「死んでしまったら、か。まあそれも致し方ない。第一に制圧、無理なら仕留める———それが今回の絶対目標だ。」

 

 「なんでそんなっ、普通に人間ですよ!?それも多分僕と同い年くらいの!逃げるべき僕と何が違うって言うんですか!」


 「普通に人間?笑わせるな。お前から見たらそう見えるのかもしれないが、そこの女はそんな存在じゃない。そいつは———」


 ——————無邪気さにも似た狂気的な悪意が、あたかも人の形をしているかのように見えているだけだよ。


 そう言って、男は少女に銃口を向ける。

 

 「あはは、気が抜けてたや、これはキツイなぁ。でもね?ここって実は、私のテリトリーなんだよね。しってる?」

 

 銃口を突きつけられていてなお、余裕な表情を崩さない少女。

 次の瞬間、目に見えない何かが男を突き飛ばし、後ろの木に叩き付ける。


 気のせいで無ければ、先ほど少女が話しかけていた木の枝の上の部分が、少し歪んだ———ように見えた。


 いや、気のせいではない。何かが確実に存在している。


 『俺が見えるまでになっているならば、お前はもう元に戻れない。死にたく無ければ、境界線にある桃を一口食え。』


 ぼんやりと、少しだけ見えた長い鼻をしたナニカは、こちらを見てそう言った。


 『ここに留まるなら、お前には死んでもらう。桃を食った後に見知った事は、誰にも話すな。』


 言われたことを脳内でなんとか咀嚼している途中、背中を突き飛ばされたような感覚に襲われて山道を転がり落ちる。


 なんとなく振り返っては行けないことを悟った僕は、ひたすらに下に向かって走った。


 どれだけ走ったか。

 ほんの一瞬だったような気もするし、ずっと走り続けていたような気もする。


 ただ、目の前に大きな桃の木が突如として現れたことで靄が掛かっていた意識が浮上した。


 木の根元に刺さっている、一本の金のスプーン。


 「はは、なんだよこれ……」


 今日何度目かわからない現実離れした光景に、もはや乾いた笑いしか出ない。


 手で取れる位置にあった桃をもぎ取り、スプーンで一口分くり抜いて———覚悟を決め目を閉じ、口に運んだ。

 

 何も変わらない。

 これでいいのかと不安になったが、目を開けると全てが無くなっていて、変化を悟った。

 先ほどまで目の前にあったはずのやけに大きな桃の木も、手に持っていたはずの食べかけの桃も、スプーンも。

  

 入ってきた山道の入り口に、戻ってきていた。

 自分が無事なことに安堵し、大きく息を吐いて空を見上げる。








——————空には、大きな龍が飛んでいた。

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