第33話 野次馬
柚木が帰ってこない。
今日のシフトは17時までのはずなのだが、時刻はすでに17時半。向こうからの連絡もなければ、俺が送ったメッセージに既読すら付かない状況だ。
「どうしたんだよ、本当……」
今までこんなにも帰りが遅れることはなかった。
仮にあったとしても、連絡の一つは必ずくれていた。
「とりあえず、乙川先生に連絡か……」
この調子だと、18時に先生の家に着くのは不可能だろう。
俺はありのままの現状を乙川先生に伝える。
『わかりました。私の方は大丈夫ですから、柚木さんを優先してあげてください』
優しい返信に一言謝罪して、俺はただじっと柚木の帰りを待つ。
だが10分、15分と過ぎても、一向に帰ってくる気配がない。もうじき18時になろうかという辺りで、俺の脳裏に一つの不安が降って湧いた。
「何かあった……とかじゃないよな……」
バイト中に倒れたとか、大きな怪我をしたとか……仮にもそうなら、俺に連絡が来ないのも納得がいく。なぜなら俺は、あの子の正式な保護者じゃないから。
「行ってみるか……」
このまま待っていても埒が明かない。
そう思った俺は、柚木のバイト先に行ってみることにした。今日のシフトは黒羽と二人だと言っていたし、俺が様子を見に行っても困ることはないだろう。
「暑っ……」
玄関を開けると、時間に似合わない熱波が全身を撫でる。
いよいよ夏も本番。
今日が予定通りの花火大会になっていれば、この暑さもまた一興なのだろうが……今のところは、大幅に予定を後ろ倒しにしているわけで。状況次第では、花火大会に行けない可能性だってある。それだけは何としても避けたいところだ。
そんな後先の不安を永遠と考えながら、俺は早足でネカフェに向かう。
最後の路地を曲がり、ようやくネカフェのある通りに出た。そんな俺の視界にまず飛び込んできたのは、ランプを回しながら停車するパトカーだった。
俺の中の不安が増幅する。
「柚木……」
焦りに背中を押されるように、俺は走った。
そして集まって来た野次馬に混ざって、店の中を覗いてみると。
ガラスの扉越しには、警官――佐久間から事情聴取を受けているらしい柚木の姿があった。見たところ怪我をしたとかではなさそうだ。
これにはつい、安堵の息が漏れる。
「にしても、どういう状況だこれ……」
何か事件があったのは間違いないが、犯人らしき人物が見当たらない。
一瞬それらしい奴を見つけたと思ったら、黒羽だったというのは、口が裂けても言わないでおこうと思う。というかあいつ、随分と見た目がチャラくなったな。
「やぁやぁ、発田さん」
聞き覚えのある声が届いたのと同時に、俺の肩に誰かの手が触れた。少しの驚きと共に振り返ると、そこには見慣れたパーカー姿の九条さんが立っていた。
「九条さん……びっくりさせないでくださいよ」
「それは失敬。で、これは一体どういう状況なんだい?」
「俺も今来たところなんでさっぱり……」
どうやらこの人も野次馬しにきたらしい。
にしてもその格好……まさか下を履いてないわけじゃあるまいな。
「まさか殺人事件とか?」
「いやいや、さすがにそこまでの事件じゃないでしょ」
「それは残念」
残念がるなよ……。
「よく見れば柚木ちゃんが中にいるね。ここでバイトしてたんだ」
「最近始めたんです。それよりも九条さん……」
「んん~?」
よっぽど状況が気になるのか、俺の背中に飛び乗る勢いで中を覗いている九条さん。手や髪の先が、俺の肩や首に容赦なく触れている。
「もう少し離れてもらっていいですかね……」
「おお、これまた失敬」
九条さんはそう言うと、ぴょこんと飛び跳ねるようにして俺から身を引いた。その時ふわっと持ち上がったパーカーの裾の先は、紛れもない生の太ももだった。
やっぱりこの人は下を履いていないのかもしれない。
そんなどうでもいい謎に、いつの間にか思考の主導権を握られていた最中。ガラスの向こう側の柚木と不意に目が合った。
あ、ほっちゃんだ。と言わんばかりに、溌溂と手を振ってくる。事情聴取をしていた佐久間も俺に気づくと、何やらあっと思い立ったような顔をした。
やがて店を出た佐久間は、まっすぐ俺の方へ。
「発田、いいところに……」
だが九条さんに気づいた瞬間、「げっ……」と露骨に嫌そうな顔をした。
「むぅ、人の顔を見て失礼な反応をしないでくれよ。発田さんの友達さん」
「だってあんた、前に拳銃をどうのって……まあ、いいや。そんなことよりも発田、お前も中に来てくれないか。伝えることがあって」
「伝えること?」
「ああ。実は今回の事件の犯人が、お前にも関係が……」
そこまで言った佐久間は、途端に言葉を切った。
隣で九条さんが目を輝かせているからして、おそらくはそういうことだろう。
「とにかく、詳しいことはまた中で話す」
「ずるい! ボクも連れてっておくれよ!」
「ダメに決まってるでしょ。部外者はさっさと帰った帰った」
煙たそうにひょいひょいと手を振る佐久間。「むぅ~」と不満げな顔をする九条さんをフルシカトする奴に続いて、俺は店の中に入った。
すぐさま声を掛けて来たのは柚木だった。
「ほっちゃん、ごめんね連絡できなくて」
「それは別に構わんが……一体何があったんだ?」
「窃盗だ。現金盗んで逃げたところを、そこの青年がとっ捕まえたんだと」
佐久間が事情を語ると、黒羽は「ういっす」と小さく会釈した。
これが奴なりの挨拶なのだろう。
相変わらず不愛想で何だか安心した。
「凄かったんだよ。目が合った瞬間、ウチのこと突き飛ばして逃げてね、黒羽さんがいなかったら絶対に逃げられてたと思う」
「途中で犯人がこけてくれたから、何とか追い付けただけ。正直あれが無かったら普通に逃げられてたね」
「黒羽って確か足めちゃくちゃ速かったよな。高校だってスポーツ推薦で入学したし。高2の時の怪我が無かったら、間違いなく都内トップの選手になってただろうって前原先生いってたぞ」
「よくそんなの覚えてるっすね。まあ確かに怪我と数年のブランクはあったっすけど、それでもクソ早かったっすよ。あの子」
あの子……というのは、窃盗の犯人を指しているのだろうか。
「とりあえず今は、裏で店長と犯人とで話してるから。それが終わるまで少し待ってもらっていいか」
「それは別に構わないが……そういうのって普通警察署とかでやるもんじゃないのか?」
「普通ならそうだが、今回に関しては特別だ」
佐久間はそう言うと、苦虫を噛んだような顔をした。
「普通に処理するには、あまりにもあの子が不憫すぎる」
それに共感するように、柚木と黒羽の眉間にも力がこもった。
先ほどから感じているこの妙な違和感、それに、犯人を示す時に使う『あの子』という表現……俺の予想が当たっているならば、犯人は未成年の子供なのだろう。
しかもこの感じ……何か難しい事情がありそうだ。
パパ活JKを10万円で止めようとしたら俺がパパになった。 じゃけのそん @jackson0827
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