第31話 ヒーロー

 考えてみれば、奇妙な事だなと思う。

 今日出会ったばかりの女子高生、しかも想い人の妹と、二人で夜道を歩いているのだから。柚木が隣にいる時とは違い、変な緊張を覚えている俺がいる。


「ホントに夢みたいだったにゃぁ」


「そんなに好きなんだな。九条さんの小説」


「もちろんだにゃぁ」


 小説の表紙に書かれたサインを眺めながら、嬉しそうな笑顔を浮かべる溜。

 手にしているのは九条彩夢の最新作『真実は愛の先に』。彼女の語尾の元であるニャンコロ刑事が登場する作品である。


「九条先生の作品は溜の生きる希望だにゃ」


「それはちと大げさなんじゃないか?」


「そんなことないにゃよ」


 サインを見つめる溜の笑顔に、悲しみが混じった気がした。


「この物語があるから、溜は前を向いて歩いて行けるにゃ。九条先生に出会わなかったら、きっと溜の毎日は灰色だったと思うのにゃよ」


「灰色?」


 溜は神妙な面持ちで話を続ける。


「少し前の溜は、こんな明るく振舞う子じゃなかったにゃ。人見知りで自己表現が苦手。学校に行くのが嫌で、何度も仮病を使って休んにゃりもした」


「それは……」


「……そのせいで親にはたくさんの心配をかけました。心配かけるぐらいなら高校に進学しなければいいと思ったりもしました」


 特徴的だった溜の話し方が、落ち着いた敬語に変わった。


「でもそれはよくないと思って、地元の人がいない高校を受験しました。結果、雫お姉ちゃんの部屋に同居することになって、大好きなお姉ちゃんにまで迷惑をかけることになったんです。そんな日々、灰色以外の何色でもないですよ」


 それは……あまりに信じられない事実だった。

 あれだけ明るく振舞っていた溜が、笑顔を絶やさなかった溜が、そんな悩ましい過去を抱えていたなんて……。


「結局高校でもクラスに馴染めませんでした。また苦痛の日々が始まったんだ……って、未来に絶望していた私を救ってくれたのが」


「九条さんの作品だったと……」


「はい」


 横目で俺を見た溜は、穏やかな笑みで頷いた。


「以来私の見る世界は少しずつ色鮮やかになっていって、作品をきっかけに仲の良い友達もできました。毎日が苦痛じゃなくなったんです」


 やがて小説をギュッと胸に抱きしめた溜は、


「九条先生は、私を灰色の世界から救い出してくれたヒーローなんですよ」


 九条さんを『ヒーロー』と、そう呼んだ。


「何というか……凄いんだな、九条さんって」


「ええ。今日実際に会って改めてそれを実感しました」


 俺は九条さんを頭のネジがぶっ飛んだ変態なのだと思っていた。彼女が書く作品はかなり個性的だし、この内容に共感する人はいるのか? なんて、疑問視もした。


 でも実際に九条さんの作品は、一人の少女を救っている。

 学生と長い時間すごしている俺ですら困難なことを、彼女は紙と文字だけで成し得たのだ。そう考えると、小説家って凄いんだなって、再認識させられる。


「発田さんには感謝しています。私のわがままを聞いて頂いて」


「礼なんていいよ。無理言って浴衣を貸してもらうわけだしな」


「そういえば、柚木さんに凄く似合ってましたよ、浴衣。持ち主のお姉ちゃんよりも絵になってました」


「俺的には乙川先生の浴衣姿が見たいんだが」


 なんて言ったら、柚木に怒られるだろうか。


「ふふっ」


「ん、どうした急に笑って」


「いえ、発田さんはわかりやすいなぁと思って」


「わかりやすい?」


 俺が首を傾げると、溜はクスクスと笑いながら言う。


「雫お姉ちゃんのこと好きなんですよね?」


「なっ、なぜそれを……!」


「わかりますよ。うちにいる時、事あるごとにお姉ちゃんを見てましたから」


 言われてようやく自覚する。

 確かに俺には隙あらば乙川先生を見る癖がある。

 正しくは『乙川先生のおっぱいを』だ。


「頼むから本人には……」


「言わないでおきます。どうせいつか気づくでしょうし」


 それは……色々と困る。

 俺の気持ちが乙川先生にバレて、仕事に支障が出るようなことになれば、それこそ彼女に申し訳が立たない。


「とにかく、陰ながら応援してますから」


「んん……」


 素直にありがとうと言えないのがもどかしい。

 そんな会話をしているうちに、駅の灯りが見えて来た。


「ここまでで大丈夫です」


「そ、そうか」


 溜はそう言うと、パタパタと駅の方へ駆けた。

 数歩進んだところで立ち止まり、振り返る。


「今日は本当にありがとうございました。凄く幸せな時間でした」


「ああ、気を付けて帰れよ。あと、乙川先生によろしく頼む」


 笑顔で頷いた溜は、俺に背を向けた。

 姿が見えなくなるまで見送ろう。

 そう思って彼女の背中を目で追っていると、


「あっ」


 不意にそんな声を漏らし、再び立ち止まった。


「今日した話は柚木ピには内緒で頼むにゃぁ」


「わ、わかった」


「にゃにゃぁ」


 意表を突かれた俺に、ひらひらと手を振る溜。

 口調が戻った彼女の姿は、とても活き活きとして映った。


 *


 家に帰ると、部屋はすっかり元通りになっていた。

 狭いクローゼットに無理やり押し込んだ制服や私服は、定位置である窓の横に掛けられ、バッグや化粧品類なんかも見慣れた場所に置かれている。


「わるい柚木。今戻った」


「おかえりー。溜ちゃんと二人きりで大丈夫だった? 無言になったりしてない?」


「それは大丈夫だったが、どうしてそんな心配するんだ?」


「うーん、何というか」


 何やら難しい顔で机に頬杖を突いた柚木は、


「あの子、人と話すの苦手そうだったから」


「えっ……」


 まるで溜の話を聞いていたかのようにそう言った。

 これには思わず戸惑いの声が漏れる。


「ウチの思い込みかもとは思ったんだけど、でもやっぱりそういう風に見えちゃってさ。ずっとニコニコしてるし、話し方だって好きなキャラを真似てるし」


「それだけで話すの苦手ってわかるもんなのか……?」


「意外とわかっちゃうもんだよー。なんせウチがそうだったからねー」


 これまた意外な事実が飛び出した。


「ありのままの自分で周りに馴染めないなって思った時、何かを真似たり、ずっと笑顔でいるのが一番楽なんだよね。さすがに話し方を変えたことないけど、溜ちゃんにはそうするだけの理由があるんだろうなって」


「だから今日の柚木は大人しかったのか……」


「あ、それは別に関係ないかも」


 関係なかった。


「単に九条さんと溜ちゃんの熱に気圧されてただけ」


「それはわかる。俺も話を振られなかったら、ずっと黙ってたと思う」


 そのくらい今日の我が家は、白熱した空気に包まれていた。


「でも凄いよね九条さん。あんなにも人を虜に出来る作品を書けるんだもん」


「同感だな。どの目線で言ってんだって感じではあるが、正直見直した」


「溜ちゃんも九条さんと会ってからは伸び伸びしてる感じしたし。ウチも読んでみたくなっちゃった、九条さんの作品」


「最新刊で良ければ、俺のスマホにあるぞ」


「えっ、読みたい! ……けど、スマホかぁ」


 さすがにスマホ借りるのは申し訳ないよぉ、とぼやいた柚木。

 言われてみれば、長時間スマホを触れないのは俺としても困るな。


「なら、飯のついでに駅前の本屋いくか」


「でもそれだと同じの二冊買うことになるよ?」


「九条さんを応援すると思えば安いもんだろ。一冊多く買うことが、作家にどれだけの利益をもたらすかは知らんが」


 印税は売り上げの1割程度だと聞くし、もしかしたらジュースでも奢った方が、作家は喜ぶのかもしれない。

 まあ九条さんに限って、そんなはずもないのだが。


「それに溜とも話せる話題ができて、一石二鳥じゃないか?」


「確かに! 次溜ちゃんに会った時に感想会できるね!」


「ああ。だから試しに読んでみたらいい。どうせ家に居るとき暇だろ?」


 俺が言うと、何やら甘えるような目を向けてくる柚木。


「宿題減らしてくれる?」


「減らさん……」


「えぇぇー」


 呆れたように言うと、不満げそうにテーブルに顎を乗せた。

 一見勉強を嫌っているようにも見えるが、この子はやる時にはやる子だ。事実俺が出した宿題をやらなかったことも、手を抜いたことも一度だってない。


「あんまり遅いと本屋が閉まるし、ぼちぼち飯に行こう」


「ほいほーい」


 俺はそんな一生懸命な柚木を応援している。

 一人の教師として。そして、彼女の保護者として。




 こうして夕飯に出かけた俺と柚木。

 見事に意見が一致した俺たちは、駅前で超こってりのラーメンを食べた。

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