第28話 浴衣

「見てよほっちゃん。賞味期限3分の『たこせん』だって」


「え、なにこれ。たこ焼きを挟んで食うの?」


「そうみたい。なんかお煎餅なのに贅沢だよね」


 土曜の街ブラ番組を観ながら呟いた柚木は、お茶菓子のサラダ煎餅をバリバリッと貪った。そして上にググッと伸びをして、羨ましそうに言う。


「いいなぁ、浅草食べ歩き。ウチも行ってみたーい」


「俺も行ったことないかもな。浅草」


「え、じゃあ今度一緒に行こうよ」


「いやいや、そういう訳にもいかんだろ」


「どうして?」


「俺たちってほら、いろいろ複雑な間柄だし」


「あー、それは確かにそうかも」


 納得したような声を漏らすと、再びサラダ煎餅をバリバリ。柚木と一緒にダラダラと休日を過ごすこの感じにも、もう随分と慣れてしまった。


「浴衣かわいいなぁ、この女優さん。名前なんだったっけ」


「橋本〇奈な」


「そうそう、橋本〇奈ちゃん。マジ顔の作りとかレベチだよね」


「この人が3つ下とか考えられん」


「え、橋本〇奈ちゃんってそんな大人なの? 同い年くらいかと思ってた」


「前に気になって調べたから、間違いないはずだぞ」


 ふえぇぇ、という驚きの声を漏らしている柚木。


 これに関しては俺も同感である。

 正直言って、まだ10代と言われても納得できるぐらいには若い。そのくせ俺と3つしか歳が違わないというのだから、自分の老け加減には嫌気がさしてしまう。


「凄いんだね、女優さんって」


「まあ、テレビに出るくらいだからな。凄くて当然なんだろ」


「それもそっか」


 煎餅を貪る柚木の視線は、未だテレビに釘付けだった。


 今の会話でもわかるように、この子は最近のテレビ事情に疎い。

 それが生きる上での障害になるとは考えにくいが、テレビは世間を知る上で非常に便利なツールだ。これから社会に出ていくためにも、観て損はない。


「それにしても、浴衣を着てる人多いね」


「浅草だからな。観光客が着てるんだろ」


「ふーん」


 羨ましそうに鼻を鳴らす柚木を見て、ふと思う。


「そういや柚木。今度の花火大会で浴衣着たりしないのか?」


「しないも何も。ウチ浴衣持ってないし」


 確かに。それもそうか。


「そりゃあ着れることなら着てみたいけど。そこまでの贅沢は言えないよ」


「だったらレンタルするのはどうだ?」


「レンタル? 浴衣って借りれるの?」


「ああ。おそらく今テレビに映ってる観光客だって、借り物の浴衣だろうし。レンタルなら花火大会にも着て行けるだろ」


 新しく買うとなったらそりゃ高いだろうが。1日レンタルする程度なら、俺のポケットマネーで済むはずだ。


「い、いやいや、いいよそこまでしなくても。ウチには私服があるし」


「私服じゃ味気ないだろ。せっかくだし浴衣着たらどうだ」


「そうは言っても、バイト代出るのまだ先だし。借りれるお金がないよ」


「そこは俺を頼ればいい」


「もう十分頼ってるよ!」


 少し怒った様子の柚木は、不意に声を張った。

 俺は前のめりになっていた気持ちを落ち着ける。


「気持ちは凄く嬉しいけど。さすがにこれ以上の迷惑は掛けられないから」


「……そうか。柚木がそう言うなら仕方ないな」


「ごめんね、ほっちゃん。せっかく気を遣ってくれたのに」


「いやいや。俺の方こそ無理強いしようとして悪かった」


 いくら柚木に喜んでもらいたいからとはいえ、今のはよくなかった。

 最近は素直に物を言うことも増えたこの子だが、それでもまだ俺に対する遠慮は残っているらしい。そこに対する配慮に欠けていた。


 にしても。本当に欲のない子だなと思う。

 自分が我慢すればそれでいい。

 そんな風に思っていたりもするのだろう。


「……」


 少し寂しげな顔で、じっとテレビを見つめる柚木。

 彼女が目を向けるその先には、やはり浴衣があった。


「〇奈ちゃん。やっぱり可愛いね」


「ああ、そうだな」


 出来ることなら、柚木に浴衣を着せてあげたい。

 買うでもなく、レンタルでもない。何かいい方法があればいいのだが。


 *


「ど、どうですか? 苦しかったりしないですか?」


「ぜんぜん大丈夫。むしろピッタリすぎてビックリだよ」


 そんな柚木の反応を前に、乙川先生はホッと息を吐いた。


「それならよかったです。私と柚木さんでは身長差があるので、もし小さかったらどうしようかと」


 俺たちに見せるように、柚木はくるりと一回転する。そして壁に立てかけてある姿見で、念入りに自分の格好を確認していた。


「この浴衣、ホントに可愛い……」


「私も凄くお気に入りの浴衣なんですよ?」


「え、そんなの借りちゃっていいの?」


「はい。どうせ私も妹も浴衣は着ませんから」


 ほえぇぇ、なんて不思議な声を漏らした柚木は、またしても鏡を見る。


 それにしても、本当に良い浴衣だと思う。

 桃色ベースの滑らかな生地に、赤い花びらが舞っているようなデザインで、明るい髪、そして明るい性格の柚木にもよく似合っている。


 もし乙川先生がこれを着ていたら、俺はきっと尊すぎて直視できないだろう。

 そう思うと、浴衣を着ているのが柚木でよかった気もする。


「いひひっ、なんかJKっぽい!」


 今のあの子は、見るからに上機嫌だ。

 浴衣を着れたことが、よっぽど嬉しいのだろう。

 鏡に映る柚木の瞳は、キラキラと輝いているように見えた。


「すみません、乙川先生。無理なお願いを聞いて頂いて」


「そんな、いいんですよ。むしろ私の方こそすみません。わざわざ家にまで来て頂くことになってしまって」


 どうにか柚木に浴衣を着せてあげられないか。

 しばらく悩んだ末に俺が頼ったのは、他でもない乙川先生だった。


 浴衣をお借りしたい。

 そんな唐突なお願いを、快く引き受けてくれた乙川先生。一度試着をしておいた方がいいという先生からの提案で、俺たちは今、先生のお宅にお邪魔している。


「それにしても、先生は着付けまで出来るんですね」


「昔母に習ったので。それなのに活かす機会がほとんどなくて、少し寂しい感じがしていたのですが。こうして柚木さんに喜んでもらえてよかったです」


「妹さんと二人暮らしと聞きましたが。妹さんは浴衣を着られないんですか?」


「ええ、あの子はそういう服装に興味が無くて。花火大会はいつも私服参加なんです。私が着付けを手伝うと言っても、着るのがめんどくさいの一点張りで」


 こんな良い浴衣なのにもったいない。

 柚木と同じ女子高生らしいが、多分柚木とは違って大人しい子なのだろう。


「おとちゃん、ホントにありがと! ウチ今、すっごい楽しい!」


「花火大会当日は、もっと楽しいことがたくさんあると思いますよ」


「それは超楽しみ!」


 こんなにもはしゃいでいる柚木を見るのは初めてだ。

 余計なお世話かもと手を引きそうになったが、浴衣を諦めなくて本当によかった。協力してくれた乙川先生には、頭が上がらない。


「当日も私が着付けしますので。今日のように家まで来て頂いてもよろしいでしょうか?」


「わかりました。ちょうどいいので二人でお伺いさせて頂きます」


「まーす!」


 乙川先生とは現地集合の予定だったが。

 家から一緒に行けるなんて願ってもないことだ。


 ……いや、待てよ。

 そもそも俺は今、乙川先生の家にお邪魔してるじゃないか。浴衣に夢中ですっかり忘れていたが、まさか意中の女性の自宅に招かれるなんて――。


「発田先生? どうかされましたか?」


「ああいや、何でもないです。何でも」


 まずい。

 意識した瞬間に、家の中が気になり始めたではないか。


 ここはリビング。うちとは違って立派な四人掛けのテーブルが置いてあり、キッチンも広い。隅々まで整理整頓が行き届いている辺りが、何とも乙川先生らしい。


 右手と前方に扉があるからして、おそらくどちらかが乙川先生の部屋で、もう片方が妹さんの部屋なのだろう。


 というか、俺がここに居てしまって本当に良いのだろうか。

 そりゃあ乙川先生の許可は貰ってあるが、もし妹さんがこれを知ったら嫌な思いをするんじゃないか?


「あ、あの。乙川先生」


「はい?」


「私が自宅にお邪魔してることって妹さんは――」


 妹さんは知ってるんですよね。

 言いかけたその時、ガチャリと玄関の扉が開いた。


「ただいまー。しずくねぇ、たまりお腹空いたんだけど……ニャ?」


 現れたその少女は、俺たちを見るなり口を開けたまま固まった。

 脱ぎかけていた靴が、ぽとっと玄関の床に落ちる。


「ど、どちら様にゃ……?」

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