第27話 義務

 電車に乗った直後。

 乙川先生から謝罪のメッセージが届いた。


 その文面からして、かなり気に病んでいるようだったが。俺としては先生の普段見れない一面が見れたし、むしろ素敵な時間をありがとうって感じである。


 だから気にしないでほしいという旨のメッセージに加え、改めて俺の方から花火大会に誘ったところ、乙川先生は快くその誘いを受けてくれた。


 やっぱり今日の俺はついている。

 そんな浮かれた気持ちのまま電車を降り、アパートまでの道を歩いていると。


 とんとん、と後ろから不意に肩を叩かれた。

 驚きと共に振り返れば、ぐにゅっと俺の頬に指が刺さる。


「あははっ、引っかかった」


 いたずらな笑みを浮かべるのは柚木だった。

 俺はホッと息を吐く。


「はぁ……びっくりするだろ」


「ごめんごめん。つい悪戯したくなっちゃって」


 けらけらと笑いながら、両手を合わせる柚木。

 どうやら柚木も今帰りらしい。


「飲み会って言ってたから、もっと帰りが遅いのかと思ってた」


「今日は一次会で切り上げてきた。それよりもどうだった、バイトは」


「うん、凄く楽しかったよ。ちゃんと続けられそう」


「そうか」


 笑顔でそう言えるのなら、俺としても安心だ。


「でさ、聞いてよ」


「ん」


「今日の昼過ぎくらいかな。絵に描いたようなクレーマーのおじさんが来てね」


「初日からクレーマーが来たのかよ……それは大変だったな」


「そうなの。でもね、困ってるところを黒羽さんに助けてもらってさ。最初は不愛想な人だなぁって思ったけど、黒羽さんって実は凄くいい人なんだね」


「まあ、あいつは昔から人付き合いが苦手だったからな。そのくせ人がいいから、何かある度に仕事を任されたり、雑用に回ることが多かった」


 ある意味クラスメイトに信頼されていた、とも言えるが。それでももう少し、自分の気持ちを素直に口に出しても損はしないと思う。


 俺の知ってる黒羽は、そういうやつだ。

 柚木の話を聞いた限りだと、今も相変わらずらしいな。


「一人で無理することもあるだろうから、そういう時は力になってやってくれ」


「もちろんだよ」


 笑顔で頷いてくれた柚木は、嬉しそうに続ける。


「それとね、仲良しの先輩が出来たの!」


「先輩?」


「そう! ミサトさんっていうんだけど。凄く頼りになる人で、クレーマーが来た時も顔色一つ変えなくてね。カッコいいギャルって感じの人だった!」


 ほう、それは随分と心強い先輩だ。


「その人は同年代なのか?」


「うん、今日聞いたら大学二年生って言ってた」


 てことは、黒羽と同い年か。


「黒羽さんと同じ大学らしいよ」


「え、そうなの。もしかしてあいつの彼女?」


「そういう感じには見えなかったけど。かなり仲は良さげだったかも」


 それは少し意外だ。事あるごとに女子が苦手とぼやいていたあの黒羽に、仲のいい女子がいるとは。あいつもあいつでちゃんと成長しているんだな。


「ほっちゃんはどうだった? 飲み会」


「ああ、普通に楽しかったぞ。なんたって今日は席がよかったからなぁ」


 俺がそう呟くと、何やら柚木は横から顔を覗き込んでくる。


「もしかしておとちゃんと一緒だった?」


「え、なんでわかるの」


「今顔にそう書いてあったよ」


 平然とした調子でそう語る柚木。

 そんな悟られるような顔をしたつもりはないのだが。


「その感じだと、何か進展がありましたな?」


「んん……」


「うわっ、ホントにあったんだ」


 俺が眉を顰めれば、柚木は驚いたように目を見開く。

 まさかカマをかけられるとは……。


「で、で、何があったのか教えてよっ」


 ここぞとばかりにグイグイと身を寄せてくる柚木。

 この子のこういうところには、いつまで経っても慣れない。

 俺は「はぁ……」とため息をついて、仕方なく話を進める。


「花火大会に行く約束をしたんだよ」


「花火大会? それって来月の頭にある花火大会?」


「そう。同僚からペア優待チケット貰ってさ。せっかくだし一緒に行こうって」


 何をしたところで結局はいじられるのだろう。

 諦めて正直に話した俺だったが、柚木の反応は意外なものだった。


「どうしたよ。そんな顔して」


「え、あ、うん。ちょっとびっくりして」


「びっくり?」


「ウチもさ、花火大会に行く約束したから。偶然だなって」


 柚木が花火大会に行く約束をした……?


「その相手って……もしかして吉見か?」


「う、うん、そう。そらっち」


「ほーん」


 さっきまでの勢いが嘘のように、隣で小さく肩を丸めている柚木。

 その横顔には、明らかな恥じらいがある。


「なるほどなぁー、そっかそっかぁー」


「も、もうっ。なによっ」


「いやぁ、青春だなぁーと思ってさ」


 仕返しだとばかりに口角を上げれば、柚木はぷくっと頬を膨らませ俺を睨んだ。


「ほっちゃんだって青春してるじゃん」


「やめてくれ。俺のは青春とか、そういうんじゃない」


「じゃあ何だっていうのよぉ」


「そうだなぁー。しいて言うなら義務だな」


「義務?」


 まあ、この表現だって正しいとは思わないが。だからと言って俺みたいな大人の

恋愛事情を、高校生たちの青春と重ねるのは違うんじゃないかと思う。


 若者は自由であれ。大人は正直であれ。


 なんて、学生時代にきばちゃん先生……担任の榊原さかきばら先生に言われたことがあった。当時は何のこっちゃわからなかったが、今となってはその意味も少しはわかるようになった。


 だからこそ言える。俺の青春は、もうすでに終わっているのだと。


「俺もいつかは結婚する。これは俺が自分に課した目標で、誰かに押し付けられたものじゃない。だからこそいつかは成し遂げたいと思っているし、それを成し遂げるためには、目の前にある義務を果たさないといけないって思うんだ」


「ほっちゃんは、おとちゃんのこと本気で好きなわけじゃないの?」


「いやいや、本気も本気、超本気よ。できることなら付き合いたいっても思うし、結婚相手が乙川先生ならいいなっても思う。でもそれってさ、あくまで願望だろ?」


「まあ、今のところはそうかも」


「だからその願望を叶えるためにさ、俺は一歩踏み出そうって決めたんだ。今まで何かと理由をつけてサボってきた恋愛という義務と、真正面から向き合おうって」


 こんなにも恋愛に熱くなっている自分が少し意外だ。

 思いの丈をそのまま吐き出せば、柚木は平然とした口調で言った。


「ほっちゃんってさ。ちょっとめんどくさいよね」


「なっ……」


 それは……かなり心に来る一言である。


「まあでも、頑張ろうとしてるのは凄く伝わった」


 そう付け足すと、パタパタと俺の前を走る。

 やがてコンビニの前で立ち止まった柚木は、


「ねぇ、ほっちゃん。アイス買って帰ろうよ」


 小さく微笑み、少し意外な提案を口にした。

 俺は熱くなっていた気持ちを落ち着け、柚木の提案に乗っかる。


「お、いいな。じゃあ俺はそのついでに酒でも買お」


「えぇー、まだ飲むのー? 飲み過ぎると身体壊しちゃうぞー」


「あと一本くらいなら平気平気」


 たかがアイス。

 でもこうして欲しいものを素直に言ってくれるのは、俺としても嬉しいことだ。それこそ出会った当時、遠慮ばかりしていた頃の柚木とは、大きな違いだろう。


 俺に対して少しずつ心を開いてくれている……ということなのだろうか。

 何にせよ、俺はいつか家で、柚木と一緒に飯を食いたいと思ってる。


 難しいことなのはわかってる。

 でも柚木の保護者として、仮の父として。あの子に普通で穏やかな日常を与えてやりたい。そのために俺は俺のペースで、ゆっくりと歩みを進めていこうと思う。

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