第24話 クレーム *柚木視点*

「だからさぁ、シャバすぎて具合悪くなったって言ってんの」


「はあ」


「はあ、じゃねえんだよ。今すぐ責任者呼べよ、責任者よぉ」


 受付にて、とある中年の男性客とトラブルになった。

 会計の対応をしていた私は、どうしていいか分からずてんやわんや。すぐにミサトさんがフォローに来てくれたけど、男性の怒りは治まるどころか、更に激しさを増した。


「あんなんをカレーとかふざけてんだろ。ったく具合悪いなぁ」


「はあ」


「だからぁ、はあ、ってなんだよ。はあ、って」


「はあ」


 ミサトさんの対応が気に入らないのだろう。

 男性はギギギと歯ぎしりをして、血筋を浮かべた。

 さすがにまずいと思った私は、ミサトさんに耳打ちをする。


「あ、あの、ミサトさん……! 店長さんに連絡した方が……!」


「ああ、いいよ別に。ここはアタシらが何とかするから」


「で、でも……」


 すでに何とかできる範囲を超えている気がする。


 始まりは、『カレーがしゃびしゃびで具合が悪くなった』というクレームだった。

 私の対応が悪かったのか、次第に男性の口調は強くなっていって、気づいたら『責任を取って無料にしろ』という理不尽な主張に変わっていた。


「この店の従業員は客の言うことも聞けねぇのかよぉ!」


 怖い……本能的にそう思ってしまう自分がいた。

 男性の大きな声は苦手だ。内臓を鋭い針で刺されているような、そんな不快な感覚に意図せずとも陥ってしまう。


 逃げたい……でも、これもある意味仕事のうちだ。

 ミサトさんを一人にして逃げるわけにはいかない。


「おいっ! てめぇら耳聞こえてねぇのかぁ? あぁん?」


 男性のイライラが最高潮に差し掛かったその時だった。


「あのー、お客さまー」


 店内からのそのそとやって来たのは、黒羽さんだった。

 その手には掃除道具と、そして客室にあるごみ箱が握られている。


「もう少し静かにしてもらっていいですかねぇ。他のお客さまもいるんで」


「静かにしてくださいだぁ? ふざけるのもいい加減にしろよこらっ!」


「別にふざけてるつもりはないっすけど」


 はぁぁ、と長いため息を吐いて黒羽さんは続ける。


「てかお客さま、カレーめちゃくちゃ食ってましたよね?」


「は、はぁ? 何の話だよ」


「いやいや、オレがちゃんと見てるんで。何回もおかわりするとこ。それで文句を言うのは、さすがに苦しいんじゃないですかね」


「はんっ。たとえ俺が何度おかわりしてようと、あのカレーを食ったせいで具合が悪くなったのには代わりねぇ」


 このおじさん……なんてひどい言い分なのだろう。

 世の中には、こんな理不尽な人もいるんだ。


 それにしても黒羽さんは、よく平気な顔で対応できるな。

 ミサトさんに関しては……あくびまでしちゃってるし。


「だからって無料にしろってのは、あまりに虫が良すぎるっすよ」


「はぁ? 客にこんな思いさせといて、まさか金を取るっていうのかぁ?」


「そりゃあ、利用された分はしっかり払ってもらうすけど」


 ふざけるんじゃねぇ! と、受付の台を思いっきり叩いた男性。

 ドンッ! という大きな音で、私の身体がびくりと跳ねる。


「てめぇらみたいなガキじゃ話にならねぇ。いいから責任者呼んで来いっ!」


「どっちがガキだよ」


 ボソッと、ミサトさんはぼやいた。

 幸い男性には聞こえなかったらしい。


 はぁぁぁぁ……と、またしてもため息を吐いた黒羽さんは、抱えていた掃除道具を壁に立てかける。そして背中に隠していたDVDらしき物を取り出した。


「これ、お客さまの部屋にあったんすけど」


「……っ!」


「今日ご覧になられたっすよね」


 それは、いわゆる大人のDVDだった。

 眼鏡っ子とキモデブ教師の秘密時間。初恋よりも甘い禁断の愛の母乳ミルク……って、タイトルのガチ感が半端じゃない。


 このおじさん、そういうのが趣味なんだ……。

 自然と顔が引きつる。


「うえっ、きぃーもぉ」


 ちなみにミサトさんは、今にも吐きそうな顔をしていた。

 こんな物を晒されて、平常心でいられるわけもなく。先ほどまでの理不尽な態度が嘘のように、おじさんの態度は小さくなった。


「別にこれを観るのはいいんすけどね。問題はこれっすよ」


 続けて黒羽さんが提示したのは、客室に設置されているゴミ箱。よく見るとその中には、明らかにやっただろっていうしおれ方のティッシュがあった。


「注意の張り紙もさせてもらってる通り、うちの店はそういうの禁止なんすよ」


「ん、んなこと知るかよ」


 おじさんの声が明らかに震えている。


「それにあんた、食べ放題のパンこっそり持ち帰ってるっすよね。それも店のルールで禁止されてるんすけど。まさかそっちも知らなかったとかすか?」


「ぐぬぬ……」


「ぐぬぬじゃなくて。理由を答えろって言ってんだよ」


 黒羽さんの口調が一変した。

 今の彼には先ほどまでのくたびれた雰囲気はなく、その鋭い眼光がまっすぐにおじさんを捉えている。顎に付いているピアスが、より一層輝いて見えた。


「別に今からあんたの鞄を見てやってもいいが。どうするよ」


 素直にカッコいいと思った。

 てっきりやる気のない不愛想な先輩なのかと思ってたけど、どうやら違ったらしい。


 さすがはほっちゃんの教え子だ。

 このおじさんとは、比べ物にならないくらい人ができてる。


「……らう」


「ああ?」


「……払う。払えばいいんだろ、くそっ……」


 ここまで言われてしまっては、おじさんだって屈するしかない。

 しぶしぶ会計を済ませたおじさんは、「二度と来るか」という一言を残して去っていった。新人の私としては、そうしてもらえた方が嬉しい。


「ふぅ、サンキュ黒羽」


「ういっす」


 それだけ言って、黒羽さんは裏へと入っていった。

 いつの間にか雰囲気は元通り。随分と猫背な去り姿だった。


「ごめんね、柚木ちゃん。怖かったでしょ」


「は、はい。少し」


「裏に避難してもらおうとも思ったんだけど、ああいうクレーマー多いからさ。ちょっと酷だけど、慣れてもらうためにあえて隣に居てもらったの」


 なるほど、そういうことだったんだ。


「でも、よく逃げずに堪えたね。偉いよ」


「ふ、二人が助けてくれたので」


 ミサトさんの笑みで、私は何だか救われたような気持ちになった。


「じゃあアタシは別な仕事するから。受付任せちゃってもいい?」


「はい。わかりました」


「また何かあったらすぐ呼んでね。フォローするからさ」


 よろしくー、と言って客室のある方へ向かうミサトさん。

 まさかバイト先に、こんなにも頼りになる先輩たちが居るなんて思わなかった。


 この店なら、何とか仕事を続けられそう。

 そんな前向きな感想を抱き、私は来店したお客様に挨拶をする。


「いらっしゃいませ」

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