3章 第一歩

第23話 初出勤 *柚木視点*

「3号室の清掃終わりました」


「うぃーす」


 私が掃除用具を手に受付に戻れば、台の上に突っ伏していた黒羽くろばさんは、気の抜けた声を上げた。


「それ片づけたらそのまま休憩入っちゃっていいよ」


「あ、はい。わかりました」


「はぁぁ……」


 なぜか特大のため息を溢している。

 そんなに私との会話が疲れるのだろうか。


 この人がほっちゃんの言っていた教え子兼バイトの先輩——黒羽くろば光也こうやさん。男性にしては長い黒髪に、顎ピアスが特徴的な少し変わった人だ。


 今日初めて顔を合わせた時から、妙にくたびれた雰囲気を醸し出している彼は、ほっちゃんからの前情報通り、ちょっぴり不愛想。それでも仕事は丁寧に教えてくれるし、悪い人ではないと思うんだけど。


「あ、あの。大丈夫ですか?」


「ん? 何が?」


「何だか体調悪そうですけど」


「え、別に普通だけど」


 そう言う割には目の下のクマが凄い。


「ウチ……じゃなくて。私は後からでも平気なので、黒羽さん先に休憩した方が」


「平気平気。こうやって受付に突っ伏してるのも休憩みたいなもんだから」


 それは……確かにそうかもしれない。

 思えばこの人は、ずっとこの体勢で受付にいる。


「オレのことは気にせず休憩を……はわぁぁぁ……」


「あ、はい。それじゃ休憩いただきます」


 こんなにも生気がない人を見るのは初めてだった。

 私はあくびを繰り返す黒羽さんを置いて、スタッフルームに向かう。掃除用具を全て片付け、スタッフルームの扉を開けば。


「ん? あ、もしかして新しい子?」


 中でスマホを弄っていた女性に話かけられた。

 そういえばさっき、この人がスタッフルームに向かうのを見た。仕事中だったから挨拶できなかったけど、きっとこの人も先輩なのだろう。


「女子高生とは聞いてたけど、ちゃんとギャルじゃん」


姫川ひめかわ柚木ゆきです。よろしくお願いします」


「アタシは最川さいかわミサト。ミサトでいいよ」


「じゃ、じゃあミサトさんで」


 ミサトさんは、私とはまた違ったタイプのギャルだった。

 歳はたぶん大学生くらいだと思う。明るい茶髪のゆるふわロングに、可愛いネイルが施された手。化粧は薄めだけど、それでも十分すぎるほどの美人だった。


「休憩でしょ? こっち来て座りなよ」


「は、はい。失礼します」


 ミサトさんには、先輩としての風格があった。

 だからだろうか。妙な緊張をしている私がいる。


「別にそんなかしこまらなくても。柚木ちゃんを取って食べたりしないって」


「いやその。こうして年上の同性と関わった経験があまりなくて」


「そうなの? でも高校にもいるでしょ、女子の先輩」


「私高校いってないので」


「ああー」


 納得したような声を漏らしたミサトさんは、スマホを弄るのをやめた。


 今のは余計な一言だっただろうか。

 もしかしたら何か突っ込まれるかもしれない。

 そんな私の不安に反して、ミサトさんは得意げに人差し指を立てた。


「じゃあ、アタシが柚木ちゃんにとって唯一の仲良し先輩だ」


「えっ……」


「そうだ。連絡先交換しようよ」


 そう言って、スマホをぽちぽちするミサトさん。

 コミュ力が凄い。


「はい、これでオッケー。あ、そうだ。バイトのグループにも誘っとくね」


「あ、ありがとうございます」


 そんなこんなで、流れるようにグループの一員になった私。ネカフェは基本マイペースな職場と聞いていたけど、どうやらこの店に関しては違うらしい。


 一人、凄くマイペースな人もいるけど。

 それでも従業員同士の繋がりがあるのは意外だった。


「で、柚木ちゃんはなんで、ここでバイトしようと思ったの?」


「自由に使えるお金が欲しくて。ネカフェなら仕事も楽かなって思って」


「なるほどねー。ちなみに家はどの辺なの?」


「い、家ですか?」


「そう、家」


 これは……どう返事するのが正解だろう。

 正直に答えて、変な疑いを持たれるのも嫌だし……。


「あ、別に答えたくないなら無理に答えなくてもいいよ」


「い、いえ……そんなことは……」


「ごめんね、会って早々質問攻めしちゃって」


 申し訳なさそうに両手を合わせるミサトさん。

 もしかして私、今嫌な顔でもしちゃったかな。

 だとしたら申し訳ない。


「同年代の女子って他にいないからさ。ついテンション上がっちゃって」


「そうなんですか?」


「うんうん。この店で若者は、アタシと黒羽と柚木ちゃんだけ。あとは自称独身貴族の痛くてキモいおじさんたちとか、子育て中の主婦さんとかだから」


「へ、へぇ……」


 独身のおじさんにだけ言葉が強い気がするけど……さては仲が悪いのだろうか。面接をしてくれた店長さんは、普通に優しそうなおじさんだったけど。


「とにかく、何かあったら遠慮なくアタシに相談してよ。ぴちぴちの若者同士、仲良くやろ」


「はい。よろしくお願いします」


 ニコッと明るい笑みを浮かべたミサトさんは、不意に立ち上がる。


「それじゃアタシはぼちぼち仕事入るから。柚木ちゃんはごゆっくりー」


 タイムカードを切って、スタッフルームを出る。

 私はその背中を見送って、ふぅ、と一つ息を吐いた。


「優しそうな人だったな。ミサトさん」


 それでも、初対面の人と話すのはやっぱり体力を使う。

 ほっちゃんとか、おとちゃんとか、一回り歳が離れている人には逆に気を遣わないのだけど。同世代との関りを極力避けてきた私にとって、まるでここは学校みたいだと思った。


「あれ? でもなんでそらっちは平気なんだろう」


 今思えばそうだ。

 黒羽さんやミサトさん。多少なりとも緊張から入った二人とは違って、そらっちは最初から何の緊張も警戒もなく、自然の流れで会話できていた気がする。


 そらっちだって同年代の男子。

 そりゃ黒羽さんたちとは少し歳は離れてるけど、それでも最初から自然に話せるというのもおかしな話だ。


「まあ、そらっちはそらっちだし。気にしなくていっか」


 そうだ、彼のいいところは、安心してそばにいられるところ。

 たぶんそれに同年代とか、初対面とかは関係ないんだ。それは初めて会ったあの日。妙な親近感を覚えたからこその、特別な何かなんだと思う。


「そうだ。そらっちに初出勤なうって連絡しよ」


 教室で授業を受けるそらっちを想像しながら、私はスマホをパカパカ鳴らした。

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