第22話 ヘラる
今日は随分と濃い一日だった。
乙川先生に英語を教えてもらうだけのつもりが、デートにまで発展するし。偶然にも柚木と遭遇したかと思ったら、教え子の吉見が一緒に居るし。そんで、なぜか4人でサ〇ゼに行ったし——極めつけには、我が家が空き巣被害に遭ってるし。
「そう落ち込むな、柚木」
「だってぇ……」
ある意味充実した一日の締めくくりがこれだ。
口では慰めたものの、柚木が落ち込むのも当然だろう。
「ウチがベランダの鍵をちゃんと閉めてれば……」
「さっき佐久間も言ってたろ。前々から狙われてた可能性が高いって」
「でもぉ……」
今にも泣きそうな顔で、下唇を噛んだ柚木。
空き巣に入られたとはいえ、幸い被害は最小限で済んだ。
取られたのは、引き出しに入れていた現金数千円くらいのもので、それ以外に目立った損失はない。通帳も無事だし、仕事用PCも無事だ。
「次から気を付けるようにすれば、それでいいって」
「うーん……」
それにしても、空き巣とは随分と物騒な話である。
現場を精査した佐久間たちの話では、どうやらこのアパート、もしくは俺たちの部屋は、前々から狙われていた可能性が高いと言う。
戸締りを忘れたタイミングと、空き巣を試みたタイミングが偶然かみ合った可能性もあるにはあるが。この辺りの治安を鑑みても、今回の犯行には計画性があると考えた方が自然らしい。
以前にも柚木は、ネカフェで大金を盗まれている。
その件と今回が同一犯かはまだわからないが、近ごろ起きている窃盗事件との関連性も踏まえて、警察は捜査を進めてくれるようだ。
「ホントにごめん……ほっちゃん……」
「おいおい、何回謝ったら気が済むんだよ。もういいっての」
「だってぇぇぇぇ……」
これは想像以上に落ち込んでるらしい。
顔のあらゆるパーツが見事に弧を描いている。
「そりゃ戸締りはちゃんとしてもらわなきゃ困るが、被害は最小限なわけだし、大家さん曰くアパートの防犯設備を強化してくれるって話だから、むしろ良かったろ」
「でも、お金取られちゃったんだよ……?」
「勉強代と思えば安いもんだ。これで次の犯罪を防止できるならお釣りが来る」
すでにアパートの各部屋には、警告の通知が行っているはず。
それに一度空き巣に入った場所に、もう一度トライするというのも考えにくいわけで。むしろ柚木のおかげで、アパート全体の安全性が増したまである。
「あとは佐久間たち警察に任せて、俺たちは今まで通り過ごせばいい」
「うん……わかった……」
まだ少し自分を許せていない感じもするが。
柚木にとっても、今日の件はいい教訓になったろう。
もし将来独り暮らしをする時にでも、役に立ててほしいものだ。
「よしっ、じゃあ先に風呂入っちまえ。俺はちょっくら仕事する」
「うん」
小さく頷いた柚木は、おもむろに立ち上がる。
着替えを手にすると、とてとてと静かな足取りで浴室に向かった。
「空き巣ねぇ……」
独りになった居間にぽつりと溢す。
色々と解釈をしたのはいいが、やっぱり知らない人間が家に侵入したというのは、どうしても気分が悪いものだ。
もしかすると盗聴器が仕掛けられているかもしれない。
……なんて、要らぬ想像をしてしまう。
これが仮に現金目当てではなく、柚木の衣類を目的にした犯行だとしたら、こうもあっさりと事態を受け入れてはいなかったと思う。
そういう点で言えば、今回は不幸中の幸いだ。
「明日掃除するか」
*
20分経っても、30分経っても柚木が風呂からあがらない。
まさかのぼせてるんじゃあるまいな?
なんてハラハラした気分で仕事をしていると、ガラガラッと脱衣所の扉が開いた。
「今日は随分と長風呂なのな」
「うん、ちょっと考え事してて」
「考え事?」
さてはまだ落ち込んでいるのだろうか。
濡れた髪のままの柚木は、やけに真剣な面持ちをしていた。
と思ったら、何やら俺の方に歩み寄ってくる。
やがて目の前に正座した柚木は、
「ほっちゃん。お願いがあるんだけど」
「ど、どうしたよ。急に改まって」
「ウチ、バイトがしたい」
何の脈略もなく、そんなことを口にした。
「あそこのネカフェでバイトしたい」
「ネカフェ……? 家の近所の……?」
「そう、そのネカフェ」
バイトしたいのはともかくとして。
なぜあそこのネカフェなんだろう。
「理由を聞いてもいいか」
「ウチね、今回の件で思ったの。もうほっちゃんには迷惑を掛けたくないって。でもこれを言うとほっちゃんは、そんなこと気にする必要ないって言うでしょ?」
「そりゃあ……まあ」
「だからね、自分のことは自分で何とか出来るようになろうって。でもそうなるためには自分で稼いだお金が必要だから、バイトを始めたいって思ったの」
これが一つ目の理由、と柚木は続ける。
「二つ目は、ほっちゃんとの約束を守りたいから。あそこのネカフェなら家からも近いし、家事だって勉強だって今まで通り出来ると思う」
確かに。バイト先に向かう手間がほとんどない分、生活は今までとそう変わらないはずだ。そういう意味でも、あのネカフェは働くのにちょうどいい。
「三つ目は、泥棒を捕まえたいから」
「はっ……⁉」
ここまでの流れから逸脱した理由に、つい大きな声が出た。
「泥棒を捕まえたいって……冗談だろ……?」
「ううん、至って真面目」
柚木はあくまで真剣な面持ちのまま続ける。
「佐久間さんの話を聞いて思ったんだ。狙われた原因はウチにあるって」
「それはどういう……」
「前にほっちゃんから貰ったお金盗まれたでしょ? あの時確か、9万円近く現金が残ってたの。それをウチの不注意で盗まれて、犯人は味を占めたんじゃないかな」
「つまり今回の空き巣は、あの時と同一犯ということか?」
「って、ウチは思ってる」
確かに……柚木の言うことは一理ある。
前々からこの近辺、特にあのネカフェでは、窃盗事件が起こっていた。佐久間からちらっと聞いていた話では、ほとんどが現金を狙った犯行らしい。
事実として柚木も、現金を狙われた。
しかもこの子の場合、9万円という大金だ。
それでいて今回の空き巣で盗まれたのも現金。
計画性のある犯行という警察の話と照らし合わせるに、同一犯である可能性は十分にあり得る……が、しかしだ。
「仮に同一犯だとして、どうして柚木が犯人を捕まえなきゃならん」
「それは……」
「捕まえるのは警察の仕事だろ」
正論と知りつつもそう言えば、柚木は悔しそうに口を噤んだ。
「だって、どうしても許せないんだもん……」
「許せない?」
「ほっちゃんの優しさに甘えて、迷惑ばかりかける自分のことが……」
すると柚木は、ついさっきと同じような顔をした。
どうやら未だに、吹っ切れられていないらしい。
それくらいこの子は責任感が強く、そして頑固なのだろう。
「今の自分が相当めんどくさいことはわかってるの……」
「別にそんなことはねぇけど」
「あるもん。だって今のウチ、完全にヘラってるもん……」
ヘラってるって……そういうのって自分で言うか普通。
「もう犯人を捕まえるくらいしか、自分を許せる方法がなくて……」
「それもそれで極端だな……まあ、気持ちは分からなくもないが」
2度もやられたのだ。
そりゃあ自分の手で、犯人をとっ捕まえたくもなる。
「でもダメだ。あまりにも危険すぎる」
「ほっちゃーん……」
またしても柚木の顔パーツが、見事な弧を描いた。
「じゃあバイトを許してくれないってこと……?」
「そうとは言ってない。ただ一つ約束をしてほしい」
「約束?」
俺は今にも泣きそうな柚木を宥めるように続ける。
「万が一怪しいやつを前にしても、絶対に一人では行動するな。何かあったらすぐに近くの大人に報告、近くに大人がいないなら俺や警察に連絡、相談をしろ」
「わ、わかった……」
「あと、バイトで貰った給料の一割を家賃として貰うことにする。そうすれば多少は、この部屋にも居やすくなるだろ」
「一割でいいの?」
「いい」
「ウチは別に半分くらい渡せるけど」
「半分も貰ったらお前の自由に使えるお金が無くなるだろ。それこそ、自分で自分を何とか出来なくなるぞ」
「確かに……」
俺はさらにもう一つ付け足す。
「それと、あのネカフェには俺の元教え子が働いてる。ちょっとばかし不愛想ではあるが、良いやつだから。仕事で困ったことがあったら頼ってやってほしい」
「ほっちゃんの元教え子も働いてるなら安心だ」
まあ、ぶっちゃけバイトを許す一番の理由がこれだ。
信用している人間が近くにいるというのは、それ以上にない安心材料になる。連絡先も知ってるし、あとで柚木のことを面倒見てもらえるように頼むとしよう。
「以上。これを約束できるなら働いてもいい。って言っても、まずは面接を通らなきゃ始まらないが」
「面接かぁ、どんな服装で行けばいいかな」
「まあ、無難に私服だろうな。今日買った服を着てくのはどうだ」
「あ、そうそう! 洋服見せようと思ってたの!」
「その前に髪乾かしてこい。風邪ひくぞ」
「ほーい」
どうやらすっかり元気を取り戻したらしい。
その後、俺たちは、今日買ってきた服を互いに見せ合いっこした。
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