第20話 夜道

 会話は思った以上に盛り上がった。

 最初は他愛もない世間話から始まり、いつしか話題は勉強のことに。英語が苦手らしい吉見は、学校で聞けない分、乙川先生に色々なことを質問していた。


 そこに俺や柚木も加わって、途中からはほぼほぼ個別授業だった。プライベートにもかかわらず、嫌な顔一つせず対応してれる乙川先生には感謝しかない。


「じゃあウチら別ルートで駅向かうから!」


 そう言って住宅街へと入っていく柚木たち。

 もしや俺たちに気を遣ってくれたのか。それとも単に、向こうも二人きりの時間が欲しかったのか。その真意は分からないが、これだけは言いたい。


「ナイスだ、柚木」


 俺がグイと親指を立てれば、柚木も同じ動作で応えてくれた。

 なんて空気の読めるいい子なのだろう。


「それじゃ私たちも行きますか」


「は、はい」


 そう言って、俺は車道側に移動する。


「今日は本当にありがとうございました」


「わ、私の方こそ。ご馳走になってしまって」


「あのくらい当然ですよ。今日は吉見たちが居ましたし、後日改めてご馳走させてください」


 遠回しに次の誘いをすると、乙川先生は小さく微笑み俯いた。


「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで十分です」


「そ、そう、ですか……」


 予想外な返事に、つい言葉を詰まらせてしまった。

 俺はてっきり、今日で乙川先生との距離を縮められたものと思っていたのだが……どうやらそれは大きな勘違いだったらしい。


 心の大半を占めていた高揚感が、すぅーっと引いていくのがわかる。


「す、すみません調子に乗って。やはり私との食事は困りますよね」


「い、いえ……! そういうわけではなく……!」


 慌てた様子で両手を振った乙川先生。


「次からは私もお支払いします」


「えっ……」


「本当なら次は私が全額支払うと言いたいのですが、それだと発田先生を困らせてしまうかと思いまして。なので、せめて割り勘にと」


 なるほど……そういうことだったのか。


「でもしかし、今日の分のお礼ができていませんし。せめて次くらいは……」


「お礼ならもう十分に頂いてます。言ったじゃないですか、サ〇ゼが好きだって」


「ですが……」


 今日の会計は、4人合わせても五千円ほどだった。

 その中で乙川先生の分の支払いは、おそらく千円弱。

 俺の都合で一日拘束させてもらってそれでは、あまりにも安すぎる。


「いいですか、発田先生」


「は、はい」


 得意げに人差し指を立てた乙川先生。

 俺は思わず背筋を伸ばす。


「食事は値段ではなく、誰と食べるかが重要なんです。確かにサ〇ゼは安いですが、とても美味しいですし。何よりも今日の皆さんとの夕飯は、私にとって凄く有意義で楽しい時間でした。それこそ、高い料理を食べる時と同じくらいに」


 確かに、今日の食事は楽しかった。

 乙川先生の素敵な笑顔をたくさん見れたし。学校では見せない吉見の意外な一面も知れた。柚木だって、大勢での食事を凄く楽しんでくれていたと思う。


「私は独り暮らしですから、誰かとお話しながらの食事なんて滅多に経験できません。そういう意味でも今日のサ〇ゼは、十分すぎるほどのお礼でしたよ」


「そ、そういうものなんですかね」


「そういうものです」


 普段は見せない凛々しい表情で、乙川先生は言い切った。


「ですので、次は割り勘で美味しいお店に行きましょう。焼肉とかどうですか?」


「焼肉ですか。いいですね」


 好きな女性と行きたいランキング第2位(俺の中で)である。

 ちなみに第1位は、行きつけのやっすい大衆居酒屋。さすがにまだ、乙川先生をそういった店に誘う勇気はないが。


「そういえば。発田先生はお酒がお好きとか」


「え、あ、はい。よく高橋先生と二人で飲みに行きますね」


「そしたらお酒が美味しい焼き肉屋さんにしましょう! 私はあまりお酒に詳しくないので、色々とご教授いただけると嬉しいです」


 なんと。乙川先生からそう言ってくれるだなんて。


「酒に関しては任せてください。これでも私、酒豪王なんで」


「うふふっ、王様がいるなら心強いです」


 まあ、職場の飲み会で付けられた異名だが。

 何にせよ、乙川先生と次の予定について話し合うことが出来たのはよかった。


 しかも自ら割り勘を望むだなんて。

 やはりこの人は、他の女性とは一味も二味も違う素敵な人だと思う。


「楽しみですね」


「ええ、凄く楽しみです」


 俺は今、人生で一番の幸福を感じている。

 ただ夜道を歩いているだけなのに、こんなにも心が満たされるだなんて——。


 やっぱり俺は、乙川先生のことが大好きだ。

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