第19話 食卓

「そろそろ説明してほしいなぁ」


 モール近くのファミレス。

 俺の向かいに座る柚木は、そう言ってドリアを口いっぱいに頬張る。


「どうふぃてふぉんふぁふぁふぁふぃふぃ——」


「口の中なくしてから喋れよ……」


 俺が呆れながら言うと、ごくりと喉を鳴らした柚木。


「どうしてこんな可愛い人と試着室にいたの?」


「だからそれは不可抗力みたいなもので……」


「二人で試着室に入ることが不可抗力なの?」


「お前らが居たもんだから、慌てて隠れたんだよ。本当それだけだから」


「ふーん」


 鼻を鳴らしてドリアをパクリ。

 この感じからして、全然信用されている気がしない。


「あ、あのー、いいでしょうか」


 隣に座る乙川先生が恐る恐る手を挙げる。


「発田先生とこちらの学生さんは、どのようなご関係なんですか?」


「ただの知り合いです」


「ただの知り合いでーす」


 息を合わせずとも返事が合った。

 俺はドリアに夢中な柚木をしり目に続ける。


「実は私と柚木は昔馴染みでして。家も近いので、たまに顔を合わせるんですよ」


「そうだったんですか。どうりで仲が良いなと思いました」


 即興ながら、中々に出来た言い訳である。


「見慣れない制服ですが、柚木さんはどちらの高校に通われているんですか?」


「ふぐっ……」


 うっかりドリアを噴き出しかけた柚木。

 普段はよく口が回るくせに、こういう時に限ってこの子は……。


「柚木は今、とある事情で休学中でして。な、柚木」


「ふんふんふん」


「そうでしたか。それは失礼しました」


 すかさず俺がフォローに入る。

 今柚木の素性を知られるのは、色々とまずい。

 無理やりにでも話題を変えよう。


「にしてもビックリしたぞ。まさか吉見と知り合いだったとはな」


「ウチもビックリ。そらっちってほっちゃんの教え子だったんだね」


「ぼ、僕もビックリしました。まさかこんな偶然があるなんて」


 吉見はそう言うと、俺と乙川先生の間で視線を往復させる。


 さては落ち着かないのだろうか。

 席についてからずっと、彼はこの調子だった。


「吉見、遠慮せず食えよ」


「え、あ、はい。ありがとうございます」


 それに料理もほとんど手を付けていない。

 吉見の性格を考えたら、遠慮したくなる気持ちはわかるが。食べてもらわないと俺としては困る。なぜならその料理は、今日の口止め料なのだから。


「あ、あの。発田先生」


「ん、どうした吉見」


「そ、その。ずっと気になってたんですけど」


 そう前置きした吉見は、またしても視線を反復横跳び。

 俺と乙川先生の間で二回ほど往復させては、弱弱しい声音で言った。


「ほ、発田先生と乙川先生は……つ、付き合っているのでしょうか?」


「ふぁっ……⁉」「ひゃい……⁉」


 それはあまりにも予想外な問いだった。

 おかげで俺と乙川先生からは、素っ頓狂な声が漏れた。


「よよよよよ吉見くんッ……! なななんて勘違いしてるんですかッ……!」


「ご、ごめんなさい。もしかするとそうなのかなぁって思ってしまって……」


「私と発田先生が、おぉ、お付き合いしているとか、あぁぁぁり得ませんからッ……! で、ですよねッ⁉ 発田先生ッ⁉」


「は、はい……」


 前のめりになって抗議している乙川先生。

 そうも全力で否定されると、それはそれで悲しいです。


「まあ、俺たちはアレだ。仕事の用事で一緒になっただけだ」


 という嘘を垂れ込めば、柚木から鋭い視線が飛んでくる。

 ホントは好きなくせに。

 とでも言われているような気分だった。


「吉見こそ、柚木と仲良くしてくれているようだが」


 歳下に責められるのは好かん。

 俺は半分無理やりに話題を変える。


「ぼ、僕が仲良くして頂いているんですよ。柚木さんは僕みたいな暗い人間にも、優しい人ですから。一緒にいて凄く落ち着くんです」


「ほーん」


 思った以上に二人の仲は良いらしい。

 俺は込み上げてくるニヤケを抑えながら、柚木を見やる。


 ストローを咥えているその顔は、それはもう分かりやすく照れていた。

 照れ隠しか。目が合った瞬間、鋭く睨まれてしまった。


「まあ、なんだ。これからも柚木をよろしく頼むよ」


「こ、こちらこそ。不束者ですが」


「そらっち……それじゃ新婚の挨拶みたいだよ……」


「ご、ごめん。こういう時なんて言っていいのか分からなくて」


「もうっ」


 不服そうに頬を膨らませた柚木は、フォークを構える。

 その手が向かうのは、吉見が注文したハンバーグプレート。鉄板の上にあったソーセージを一本搔っ攫うと、躊躇なく一口で頬張ってしまった。


「ぼ、僕のソーセージなのに……」


 何とも仲睦まじい光景である。

 柚木がこんなにも無邪気な姿は初めてだ。


 それに吉見も。

 こんなにも感情豊かなこの子は、学校でも見たことがない。


「何だか微笑ましいですね」


「ええ。学生時代に戻りたくなりますよ」


 まあ俺の場合、このやり取りの相手は男なのだが。それでも昔はよく、佐久間と近所のファミレスに行っては、料理のシェアをしていたっけ。


「発田先生は、どのような学生さんだったのですか?」


「あ、それウチも知りたーい」


 乙川先生の一言に、すぐさま便乗する柚木。


「特別話すようなこともないですよ。勉強なんてロクにしてませんでしたから、成績は中の下。目立った趣味も特技もない、平凡な学生でした」


「よくそれで学校の先生になろうと思ったね」


「当時の担任が面白い先生でな。今思えば密かに憧れてたんだと思う」


 きばちゃん先生……榊原さかきばら先生は、言わば第二の父のような存在だった。悪さを重ねる俺たちを、最後まで見放さなかった唯一の大人。もしあの人が担任じゃなかったら、俺や佐久間は高校を中退していたかもしれない。


 高校生は、人生で最初で最後のボーナスタイム——。


 あの言葉があったから、俺はギリギリのところで踏みとどまれたし。踏みとどまることが出来たからこそ、今の俺や佐久間がいる。


「あの人みたいな教師になりたいって、そう思って教育の道に進んだはいいが。実際はこの有り様だ。今年で6年目だってのに、その足元にも及んでない」


 俺もいつか立派な教師になれるんだろうって、甘っちょろい考えを持っていた。

 でも働けば働くほど、教育というモノの正解が見えなくなっていって。いつしか俺は、無難に日々をやり過ごすだけのくたびれた教師になっていた。


 まあ、最近は多少マシにはなったが。

 それでも俺が目指す教師像には、程遠いのが現実である。


「生徒を助ける立場のはずが、どうしてこうなったんだろうな。俺はいつも生徒に助けられてばっかで、本当情けない限りだよ」


「そ、そんなことないと思います」


 すっかり弱気になっていた俺は、その声でふと顔を上げる。


「発田先生は、僕の自慢の先生です」


 そう言ってくれたのは吉見だった。

 お世辞で慰めようとしてくれている雰囲気じゃない。

 彼が本心からそう思ってくれているのは、顔を見ればわかった。


「先生ほど、生徒の気持ちに寄り添ってくれる人はいません。僕が落ち込んでる時とか、独りでいる時とかに必ず声をかけてくれますし。少なくても僕は、そんな先生の優しさに何度も救われてます」


「そ、そうか」


「はい」


 力強く頷いた吉見は続ける。


「これは僕だけじゃない。きっとクラスのみんなだって、そう思っているはずです」


 なんだろう。

 胸の辺りがジーンと熱くなる感覚がある。


 俺は自分をダメな教師とばかり思っていたが。そんなダメな教師なりのやり方が、ちゃんと生徒の力になっていたらしい。


 嬉しい……素直に嬉しかった。


「で、ですので。そんなに自分を責めないであげてください」


「ああ。ありがとな、吉見」


 俺はつい零れ出た笑みと共に感謝を伝えた。

 やはり自分のしてきたことが生徒に認められるというのは、これ以上にない財産だと思う。どうやら俺は、またしても生徒に助けられてしまったらしい。


「よしっ、今日は食おう!」


「えっ」「えっ」「えっ」


「吉見も柚木も、ジャンジャン頼んでくれていいぞー」


「そうは言うけどほっちゃん。今日お洋服買ったんでしょ? お金大丈夫なの?」


「僕もこれ以上は流石に申し訳ないです……」


「んなもん子供が気にする必要ない。好きなもん食え食え」


 俺はそう言って、乙川先生に一つ謝罪する。


「申し訳ないのですが、お礼の食事はまた後日ということで。今日の分は私が持ちますので、お好きな物を頼んでください……って言っても、サ〇ゼなんですが」


「そ、そんな! 申し訳ないだなんて! 私サ〇ゼ大好きですよ!」


 必死に両手をフリフリしている乙川先生。

 サ〇ゼで喜んでくれるとか、やっぱり最高の女性だよこの人は。


「むしろ大勢で食事を出来て、とても楽しいです!」


 この笑顔……あまりにも尊いが過ぎる。


 結婚してください。

 俺は心の中で、軽く300回はプロポーズをした。

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