第18話 試着

 流石は元アパレル店員なだけあって、服選びにかける乙川先生の熱意は凄かった。

 俺は今、お勧めされた服と共に試着室内にいる。


「着替えられましたか?」


「も、もう少しです」


「サイズとか、大丈夫そうですか?」


「サイズは大丈夫なんですが……」


 鏡に映る自分を前に、俺はつい押し黙った。

 というのも、あまりにも服のチョイスが若すぎるのだ。


 乙川先生が言うに、これが最近の流行りらしいのだが。だとしても27歳のおっさんには、少しばかりハードルが高い。明らかに顔だけが浮いている。


「発田先生? どうかされましたか?」


 だからと言って、先生のご厚意を蔑ろにするわけにもいかないし……。


 ええい。この際だ。

 どれだけ似合っていなかろうと、とことん試着してやろうじゃないか。


「お、お待たせしました」


 俺は意を決してカーテンを開ける。


「こ、こんな感じなのですが……どうですかね」


「いい! 凄くいいですよ!」


 どうせ微妙な反応をされるのだろう。

 そんな俺の予想には反して、乙川先生は溌溂とした調子でそう言った。


「やはり先生はまだまだお若いです!」


「そ、そうですかね。俺にはイマイチよくわからないのですが……」


「サイズ感もピッタリですし、凄くお似合いですよ!」


 俺はもう一度、鏡に映る自分を見る。

 言われてみると確かに、そこそこ似合っているような気もしないことはない。


 俺には若すぎると思っていた柄物のシャツも。太もも回りにゆとりのあるズボンも。ちゃんと一つのファッションとして成立しているような感じがする。


 そりゃあ顔は年相応だが、髭を剃れば多少はマシになるだろうし。髪だって美容室に行けばどうとでもなる。つまり努力次第で改善は可能というわけだ。


「どうです? もう一つの方も着てみませんか?」


 そう呟く乙川先生の手には、別の服が抱えられていた。


「きっとこれも先生に似合うと思いますよ」


 俺のためにここまでしてくれるなんて。

 本当に乙川先生には、助けられてばかりだ。


「ありがとうございます。それも着てみますね」


「ぜひ」


 *


 新たな服を試着し、乙川先生の感想を聞いている時だった。


「ん?」


 真正面の棚の向こう側の、見知った後ろ姿が目についた。


「発田先生? どうかされましたか?」


「え、ああ、いや……」


 艶のある長い金髪。

 棚が邪魔をしてよく見えないが、格好は制服だろう。


「……柚木?」


 一瞬見えたその横顔からして、間違いない。あれは柚木だ。見たところ、あの子も服を買いに来たようだが……まさか来る店が被るなんて。


「……はっ?」


 そんな偶然に驚いていた俺の思考は、完全なる停止をした。


「よ、吉見……?」

 

 視界の端からフェードインしてきた教え子が、柚木と会話を始めたのだ。

 それはもう楽しそうに、持ち寄った服を見せ合っている。


「柚木が言ってた男子って、まさか吉見のことだったのか……⁉」


 だとしたらとんでもない偶然だ。

 俺が同居しているJKの友人が、担任クラスの教え子だったなんて。


「発田先生? 大丈夫ですか?」


 あまりの衝撃に脳が追いつかない。

 一体絶対どうなったら、この組み合わせが生まれるんだ?


 とりあえず向こうは、まだ俺たちに気づいていないようではあるが。もし吉見に今日のことを知られたら、間違いなく今後の教育に支障が出る。


 学校中で俺たちのことが噂になり。生徒たちにはいじり倒され。男性教員からは

白い眼を向けられる。そんな環境に耐えかねた乙川先生が、次第に俺と距離を取るようになり、最悪の場合は辞職……


 ……なんてことが、あり得るかもしれない。

 それだけは、何としても避けなければ——‼


「乙川先生! ちょっと失礼します!」


「ほ、発田先生……⁉」


 俺は衝動に身を任せ、乙川先生を試着室に引き込んだ。

 そして、急いでカーテンを閉める。


「ど、どうされたんですか……! 急にこんな……!」


「す、すみません。実は緊急事態でして……」


「緊急事態……?」


 困惑する乙川先生に、俺は吉見がいることを伝えた。

 柚木のことは……悩んだ挙句、伏せることにした。


「と、とにかく。今彼に見られたらまずいので、しばらく隠れましょう」


「それは、わかったのですけど……」


 ポツリと呟いた乙川先生は、不意に顔を伏せる。

 頬が高揚しているように見えるが。


「ち、近いですね……」


「……っ‼」


 そう言われてハッとした。

 咄嗟のことで動揺していたが、俺はなんて失礼なことをしてしまったんだ。

 それによく考えたら、この状況の方がよっぽどまずくないだろうか。


「あ、あのですね……これはその……」


「うぅぅ……」


 いつしか乙川先生の顔は、耳まで真っ赤になっていた。

 下唇を噛みながら、まるで小動物みたいな声を出している。


 男女で試着室にいること自体アウトなのに、よりにもよって乙川先生となんて——ダメだ……意識した瞬間、心臓が高鳴り始めやがった。


「す、すみません……こんなことになって……」


 ただただ、謝ることしかできない。


「きついですよね。俺みたいな奴と」


「そ、そんなことは……‼ た、ただ恥ずかしくて……」


 こんな状況で喜んでいる自分が恥ずかしい。


 ここは服屋、公共の場だ。

 もし店員に見つかったら、俺たちの今後がどうなるのかは、容易に想像がつく。吉見たちに見つかった方が、よっぽどマシな選択だっただろう。


「……」「……」


 永遠とも思える無言。

 その中に、ドクンドクンと心臓の鼓動だけが響いている。


「ふ、不思議ですね」


「えっ……」


「私は男性に近づくことが、苦手なはずだったのですが」


 そう呟いた乙川先生は、伏せていた顔を上げた。

 頬を高揚させたまま、穏やかな笑みを浮かべる。


「先ほども、そして今も。ぜんぜん嫌じゃありません」


「それは……」


 ……一体どういう意味なのだろう。


「恥ずかしさはありますけどね」


「乙川先生……」


 思えば今日は、想い人の乙川先生と幾度となく接近した。

 それは身体的な距離ももちろんだが、内面的にも、乙川先生との距離を縮められたような気がしている。


 今までの俺は知らなかった。

 乙川先生に恋愛経験がないことも。ショッピングが好きなことも。一度スイッチが入ると、周りが見えなくなるくらいグイグイ来ることも。


 何一つとして知らなかった。

 でも……今はそれを知っている。


 知ってもなお、俺は乙川先生が魅力的な女性だと思う。

 その溢れんばかりの巨乳ごと、この人を抱きしめたいと思う。


「乙川先生、俺は——」





 シャーッと、試着室のカーテンが開いた。

 気分が高揚する俺の視界に現れたのは、制服姿のギャル——柚木だった。


「何してるの、ほっちゃん……」


 いつも笑顔に溢れているはずのその顔は、物の見事に引きつっている。さらにはそのゴミを見るような目……これは、終わった。

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