第17話 年齢

 勉強に区切りをつけた俺たちは、近くの商業施設にやって来た。

 夜まではまだ時間がある。

 という理由で、俺から乙川先生を誘ったのだ。


「発田先生はよくここに来られるのですか?」


「いえ、年に数回ほどです。たまに服を新調しに来るくらいで。乙川先生こそ、随分と歩き慣れているように見えますが」


「実は私、ショッピングが好きで」


 ほう、これまた新たな情報だ。


「用もないのにこういった場所によく来るんです。いろいろなお店がありますし、ただ歩いているだけでも楽しめちゃうんですよね」


「それは。何だか羨ましいです」


「羨ましい?」


「私は根っからのインドアなので、こういった場所には苦手意識があるんです。休みはいつも家で本を読むばかりで、極力外に出ることを避けている節があって」


 俺が歩く道は、いつも同じだった。

 家から学校まで通勤し、また同じ道を辿って家へと帰る。そんな色味のない日常を過ごしているうちに、いつしか俺は新しい景色という物を望まなくなっていた。


 平日は学校。休日は家。

 それが俺にとっての当たり前で、たまに美味い酒が飲めればそれだけで満足だったのだ。


 でも、柚木と出会ってその日常が変わった。

 飲み以外の外食をほとんどしなかった俺が、頻繁に外食をするようになった。

 次はどの店に行こうか。どんな飯を食おうか……って、ふとした瞬間に考えるようになっていた。


「まあ、最近少しはマシになったんですけどね」


「そうでしたか。何だかすみません。私ばかり楽しんでしまっているみたいで……」


「いやいや、誘ったのは私ですから。それに乙川先生とこうしている時間は、私だって凄く楽しいんですよ。それこそ、ただ歩いているだけなのに」


 自分でも不思議で仕方がない。

 いつもなら気おくれしてしまうこの場所も、苦手なはずの人混みも、乙川先生とならこれっぽっちも気にならない。


 むしろ、デートしてるぞ! って感じがして、心が躍るのだ。


「いい歳こいたおっさんが、何言ってんだって感じですよね。あはは……」


 俺は頬を掻きながら苦笑いをした。


「おっさんではありません!」


「えっ……」


 すると乙川先生は突然声を張り上げ、困惑する俺の前に立ち塞がる。


「発田先生はおっさんではありません!」


「お、乙川先生……? 急にどうされたんですか……?」


 胸の前で拳を作り、前のめりになって訴えている。

 何やら怒っているようにも見えるが……。


「発田先生は、まだまだお若いですよ!」


「そ、そうですかね」


「そうですよ! おっさんを名乗るのは早すぎます! それこそおっさんに失礼です!」


 あまりおっさんおっさん連呼しないでください乙川先生……周りの視線が……。


「で、でもほら、顔とか結構老けてますし」


「私はそうは思いません! 発田先生は凄くカッコ——」


「カッコ?」


「……格好次第でいくらでもお若くなれるお顔をしてます!」


 それは遠回しに俺を老け顔認定しているのでは?


「そもそも発田先生がおっさんでは、私もおばさんになってしまうではないですか!」


「乙川先生はまだまだお若いでしょう?」


「それは発田先生も同じです! 私たちの年齢は一つしか違わないのですから!」


 話しながらグイグイと距離を詰め来る乙川先生。

 近い、とにかく近かった。

 手を伸ばせば肩を抱き寄せられるくらいに、彼女は俺のすぐ目の前にいる。


 こうして見ると、やはり乙川先生は可愛いと思う。

 成人女性の中では小柄で、それに似合う愛くるしい目と、人を安心させるだけの包容力を持ち合わせている。極めつけには、その破壊力のある巨乳だ。


「とにかく、もっと自信を持ってください!」


 果たしてこれは何カップなのだろう……じゃなくて。これ以上近づかれると精神が持たない。俺は意を決して、乙川先生の肩を掴んだ。


「せ、先生。落ち着いてください」


「……っ!」


 俺の声でハッとした乙川先生は、分かりやすく目じりを下げる。


「若く見て頂けるのは有難いですが、一応人前ですので」


「す、すみません……私ったらまた……」


 近くを通る人たちが、俺たちに注目している。

 喧嘩か? 喧嘩だ。という声を聞くに、どうやら俺たちは、痴話喧嘩をしていると思われているようだ。注目されるのは好かないが、何だか悪くない気分である。


「気をつけていたのに、つい熱くなってしまって……」


「いえいえ、むしろ嬉しいですよ。私なんかのために」


 どうやら乙川先生は、見た目にそぐわず熱くなりやすいタイプらしい。

 今日は彼女の意外な一面をたくさん知れて最高の日だ。なんて浮かれた感想を抱いた俺は、ふと先ほどの乙川先生の言葉を思い出す。


「でも、確かに服は重要ですよね」


「えっ」


「春と秋で同じものを着てるし、これからは少し気を遣ってみるか」


 何度も言うが、俺は年に数回しか服を買わない。

 もっと言えば、同じ服を3、4年は使い回しにする。


 好みも無ければこだわりも無い。

 そんな服に無頓着な人間の私服が、オシャレなわけはなく。無地のTシャツとか、

ヨレヨレのワイシャツとかばっかり着ている。


 今日も例に漏れず、ユニキュロで買った紺Tにジーパンだ。

 恥ずかしながら、これが今の俺に出来る全力。柚木に服を買いに行かせておきながら、そう仕向けた張本人がオシャレを怠っているわけだ。


「でしたら、今からお洋服を見に行きましょう」


「えっ」


 脳内で独り語りをしていた俺は、その声でハッと我に返る。


「せっかく来たんですから、服を新調されてはどうですか?」


「い、いやでも。自分に何が似合うとか、今の流行りとか知りませんし」


「私がお手伝いしますよ。これでも学生時代は、アパレル業でアルバイトをしていたので。発田先生にお似合いの服を見つけられると思います」


 これまた新たな情報だ。

 乙川先生がアパレル店員……なんだろう。よくわからないがエロい。


「も、もちろん。発田先生が宜しければですが」


 先ほどのことを反省してか、一歩引いた様子で呟いた乙川先生。

 言われてみると確かに、せっかく来たなら服を新調したい気もする。


 それに乙川先生に選んでもらえるということは、乙川先生の好みの格好になれるということだ。こんな一石二鳥なことが、他にあるだろうか。


「わかりました。ぜひ、お願いします」


「は、はい! お任せください!」

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