第15話 デート

 俺は今、人生で一番緊張している。

 起きた瞬間から……いや、昨日寝る前からそればっかりを考えているせいで、寝不足な上に心のざわつきが治まらない。


「またスマホ見てる」


「ぐっ……」


「昨日からずっとその調子だよね、ほっちゃん」


 これでは平静を保てるわけもなく。

 味噌汁片手の柚木に、訝しげな顔でそう言われた。


「もしかして、例の気になってる人関係?」


「まあ……そんなとこだ」


「ふーん」


 ズズッと、味噌汁を啜った柚木は続ける。


「やっぱり今日はその人との予定なんだ」


「……っ‼」


「うわっ、わかりやすっ」


 柚木はそう言うと、ケタケタと笑った。

 悟られないようにしていたのに、なぜバレた⁉


「なんでバレたって顔してるけど、そりゃバレるよー」


「そ、そんなにわかりやすかったか……?」


「うん。だって起きたら急に出かけるって言いだすし。昨日から明らかにそわそわしてたし。多分デートするんだろうなーって」


 笑ってしまうほどバレバレだったようだ。

 柚木の言う通り、今の俺は自覚が及ぶほどにおかしい。何をするにも落ち着かないし、とにかくスマホが気になって仕方がない。


「でも、なんで隠してたの? 相談してくれたらよかったのに」


「い、いや、何というか」


「うん?」


「いざ相談するとなると、妙に恥ずかしくだな」


「恥ずかしい?」


 こうして柚木と話しているだけでも、顔に熱が溜まる。

 27歳にもなってこうなってる自分が、気持ち悪いのも理解している。


 でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 なぜなら俺にとって、これは初めての女性と二人での外出なのだから。


「ほっちゃんってさ、ピュアだよね」


「ぐぐっ……」


「たまーに中学生みたいなこと言うし」


「大人をガキ扱いするのはやめろ……」


「いやいや、ウチなんかよりもよっぽどガキっぽい反応だって」


 正論すぎて言い返せる言葉がない。


「でもそっかぁー、ついにデートするんだぁー」


 ニタニタと、羞恥を煽るような顔を浮かべる柚木。


「で、どこ行くの? 映画? それとも遊園地?」


「んん……」


「もしかして家に連れ込んだりする? ならウチ、いない方がいいよね?」


 デートとわかるなりこの饒舌っぷりだ。

 明らかに俺をおちょくっている。


「これだから言いたくなかったんだよ……」


「えぇー、いいじゃーん。教えてよぉー」


 ねぇねぇー、と猫なで声で聞き出そうとしてくる。

 そんな風に迫られたところで、教えるつもりはない。


「おちょくるのをやめるまでは絶対に教えん」


「むぅ~、ほっちゃんのケチッ」


 柚木は不満げに頬を膨らませると、卵焼きを一口で頬張った。


「でも、順調そうでよかったね」


「まあ、これに関しては前々から約束はしてたからな」


 デートなんて大げさな表現をしたが、今日行くのは図書館だ。

 もちろん同行する相手は乙川先生。高校英語を教えてもらうという約束が、色々あって今日になったのだ。


「そういうわけで、今日は何時に帰るかわからん。場合によっては夕飯も食べてくるかもしれん」


「それはいいんだけど——」


 と、テーブルに置いていた柚木のスマホが鳴った。

 慌てて通知を確認したかと思えば、何やらハッとした顔に。


「どうした、そんな顔して」


「え、えっと……」


 さては良からぬ相手からの通知だろうか。

 だとしたら、すぐにでもブロックさせなければ。


「ねぇ、ほっちゃん。ウチも今日お出かけしていい?」


「出かける? 一体誰と」


「それは……」


 この歯切れの悪い感じ……怪しい。


「まさか変な奴じゃないだろうな」


「変じゃない変じゃない。全然そういうんじゃなくてね」


「うん?」


 顔の前で両手をぶんぶん振った柚木は、ポッと頬を赤らめる。


「ほら、この間仲良くなった人がいるって話したじゃん?」


「ああ、あのフードコートで同席したっていう」


「今その人から連絡きてさ。今日空いてるかって」


 ほーう……友達の男子からの連絡ねぇ……ん?


「それってつまり、デートってことか?」


「ち、違うよッ……! ただ前からちょくちょくやり取りしてて、いつかまた遊びに行こうって話してただけで……ホント、デートとかじゃないからッ……!」


 それをデートと言うと思うのだが。

 にしても柚木の取り乱し方が凄い。

 ついさっきまで人をおちょくっていたとは思えない動揺っぷりだ。


「と、とにかく。ウチも出かけようと思うんだけど、いいかな?」


「それは別に構わんが。服はどうするんだ」


「制服で行くつもり。前会った時もそうだったし」


 まあ、同年代の子との外出なら、それでもいいのだろうが。


「そしたら、せっかくだし洋服でも買って来い」


「え、別にいいよ。ジャージもあるし」


「ジャージじゃ遠出はできんだろ。今後も外出はするだろうし、今のうちにそれ用の服を買っておいた方がいい」


 俺はそう言って、財布から1万円を取り出した。

 だが、果たしてこれで足りるだろうか。あいにくと俺はユニキュロしか着ないから、女子高生が好んで着る服の値段がわからない。


「このくらいあれば買えそうか?」


「に、2万円⁉ さすがにこれは多すぎだよ!」


「いいからいいから。好きな服買って来い。どうせ一緒に出掛けるなら、その子に選んでもらったらいいだろ?」


「選んでもらうって……それじゃまるでデートみたいじゃん……」


「いやいや、端からそれはデートだろ」


「だから違うってば……」


 ムスッとした顔で口ごもる柚木。

 さっきは散々俺のことをピュアいじりしてくれたが、この子だって十分すぎるほど純情である。


 例の男子と知り合ってからの柚木は、何だかとても楽しそうだった。

 スマホに通知が届くと、嬉しそうな顔でそれを確認するし。一緒に過ごしている中で、笑顔を見せることも増えたような気がしている。


 一日のほとんどを家の中で過ごす柚木には、娯楽と呼べるものが少ない。本当なら学校に通わせて、同年代の子らのように青春を生きてほしいと思ってる。


 でも、そうもいかないのが現実だ。

 だからこそ俺は、その男子に期待をしてしまっている。柚木の退屈を埋める良き友人になってくれるんじゃないかと。


「とりあえずこれは持っておけ。使わないならそれでいいから」


「う、うん……いつもごめんね」


「ごめんじゃなくて、ありがとうだろ」


「うん。ありがとう。ほっちゃん」


「おう」

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