第10話 交換 *柚木視点*

 お昼ご飯を食べた私たちは、早速フロアを巡った。


「それで、日用品を買うんだっけ?」


「はい。不足している物をメモしてきたので、それを」


「そらっちはホントに偉いね。お母さんも大助かりだ」


「そんな、我が家では普通のことですから」


 そう呟くそらっちの笑顔は、少しぎこちなかった。

 あまり深くは聞いていないけど、どうやらそらっちは、お母さんと二人暮らしをしているらしい。さっき、似た境遇だねって、ちょっとだけ話が盛り上がった。


「一人で買い物に来たってことは、お母さんはお仕事?」


「はい、今日も朝早くに家を出ました。休みも少ないので、基本僕が家のことをやらないとで」


「高校生なのに大変だ」


「柚木さんこそ、お父さんと二人暮らしなんですよね?」


「え、あ、そうそう。二人暮らし二人暮らし」


 急に聞かれたからつい動揺してしまった。

 まあ、厳密に言うと私のお父さんと呼べる人は、もうすでにこの世にいない。だから私の場合は、お父さん的な人との二人暮らしだ。


「やっぱり、家事とかやるんですか?」


「するよー。掃除とか、洗濯とか、料理とか。そらっちほど大変じゃないと思うけど。ウチのパパ、ちょーっとだらしないところあるから」


 私はそう言いながら、先ほどのことを思い出す。


「靴下裏返しのまま洗濯カゴに入れたりするし、朝はなかなか起きないし。それでホントに教師やっていけるのかよーって、たまにツッコミたくなるの」


「お父さんは先生なんですね」


「え、あ。うん、そうそう……」


 いけないいけない。

 うっかり余計なことを言ってしまった。


「そらっちのお母さんは何やってるの?」


「ぼ、僕の母ですか?」


「うん、言いたいくないなら無理に聞かないけど」


「いえ、そんなことは」


 そらっちは慌てたように両手を振って続ける。


「僕の母は社長業をやっていまして」


「社長⁉ 凄いね!」


「い、いえ。小さなコンサルティング会社ですから。それでいつも仕事が忙しくて、家に帰ってきてもお風呂に入って寝るだけの人なんです」


「ご飯とかは? 一緒に食べたりはしないの?」


「一応用意はしますけど、ほとんど食べないですね」


 それは……少し寂しいなと思う。

 私のように特異な理由があるならまだしも。せっかくお母さんのためにと用意したご飯を食べてもらえないというのは、そらっち的にも思うところはあるはず。


「柚木さんは、お父さんと一緒にご飯食べますか?」


「あー、うん。何というか、ウチにも色々と事情があってね」


「そうですか。まあ、色々ありますよね」


 そらっちはそう呟くと、陳列されていた洗剤をカゴに入れた。それ以上何も聞いてこないあたり、きっと私に気を遣ってくれたのだろう。


 家庭においての食卓は、家族が唯一同じ目線になる瞬間だと私は思う。


 普段は仕事で忙しい親も、学校に通い部活や勉学に追われる子供も。誰もがみんな同じテーブルに座ってご飯を食べる。


 言ってしまえばそれは、自分たちは家族であると、互いが認識しあうただ一つの瞬間で。家族にとっての帰るべき場所そのものなんだろう。


 本来ならそれは、大切にするべき尊い時間のはず。

 でも私はそれを尊いと感じたことはないし、もしかするとそらっちも、私と同じことを思っているかもしれない。


「お互いに苦労するよね。親との二人暮らしも」


「そうですね。でも、母のおかげで今の僕がいるのは事実ですから。このくらいの苦労は、仕方のない事なんだと思います。ご飯は食べてほしいですけど」


「あはは。やっぱり凄いね、そらっちは」


 そんな世間話を交えながら、私たちは色んなお店を巡った。

 洗剤類にペーパー類。その他、生活に必要な日用品を、どんどんカゴに入れていくそらっち。まるで百戦錬磨の主婦のように、その選択に一切の迷いがない。


「そういえば、そらっちはどうしてショッピングモールに来たの? 日用品だけなら、近くのスーパーとかでも買えるよね?」


「僕の母は物にこだわる人でして。決まった物じゃないと、使ってくれないんです。そういう意味では、色々なお店のあるこの場が一番都合がいいんですよ」


「へぇー、何だか威厳のあるお母さんだね」


「そ、そんなこともないですよ。あまり怒ったりはしませんし。ただ、笑ったりすることもないので、少し不気味ではありますけど」


 何となくだけど、社長という肩書にピッタリなお母さんだなと思った。


「柚木さんのお父さんは、どんな方なんですか?」


「うーん。ウチのパパは何というか……」


 ほっちゃんを一言で表すとするなら。


「お人好しかな。それもかなりの」


「お、お人好し?」


「そうそう、お人好し」


 佐久間さんもそう言っていたし。

 あの人を表すにはこれが一番しっくりくる。


「自分のことは二の次で、すーぐウチの心配したがるし。今日だって服買うだけなのに、1万円も持たせてくれたし。ホント過保護で、そして凄く優しいパパかな」


 自分の娘でもない、全く無関係の私にこれだけ尽くしてくれる。それでいてほっちゃんは、何の見返りも求めようとはしなくて——。


 こんなにも欲がなくて優しい人、そうそういない。

 ほっちゃんに教わっている学生たちが、ホントに羨ましく思う。


「素敵なお父さんなんですね」


「うん、ちょっぴりだらしないけどね」


 なんて口では言ったけど、そのくらいの方が人間らしくて安心する。

 まあ、未来の奥さんには怒られちゃいそうだけど。


「それよりも、お買い物って楽しいんだね」


「えっ」


「ウチさ、今までどこかに出かけるにしても基本一人だったから。こうしてそらっちとお話しながら買い物できてることが、新鮮というか」


 私はポカンとしているそらっちの顔を見る。


「何だかデートしてるみたいでドキドキする」


「デデ、デート⁉」


「うん、デート」


 同年代の男の子との買い物だから、これが一番適切な表現かと思ったんだけど。何やらそらっちは顔を真っ赤にして、パチパチと目を瞬かせていた。


「そらっち、どうしたの?」


「え、あ、いや、その……」


「あれれー、もしかしてー」


 私はにしっと笑い、そらっちの胸元を指でツンってした。


「照れてるでしょー」


「うぐっ……」


「もぉ~、そらっちは可愛いなぁ、うりうり~」


「や、やめてください……! からかわないでください……!」


 まるで今にも爆発してしまいそうだった。

 ちょっぴり悪いとは思いつつも、そらっちをからかうのは面白い。何よりも反応が初心で可愛いし、照れてる彼の姿を見ていると、嫌なことが忘れられた。


「か、簡単にデ、デートとか言ったらダメですよ」


「うん? どうして?」


「僕らは恋人でもないわけですし。柚木さんはその……可愛いんですから、冗談でもそう言われると、か、勘違いしそうになるといいますか……」


「……っ」


「と、とにかく! お会計してきます!」


 そう言って、足早にレジへと向かうそらっち。


 可愛い……可愛いか……。年上ならまだしも、同年代の男の子に真正面からそう言われたのは初めてだった。


 さっきもそうだけど、物静かな風に見えて、意外とそらっちは言うことを言うタイプのようだ。おかげでまたしても、予期せぬカウンターを食らってしまった。


「そらっちのバカッ……」


 遠退くそらっちの背中に向けて、私は小さな反撃を呟く。

 この時触れた私の頬は、ほんの少しだけ火照っている気がした。


 *


 その後、私はそらっちと別れた。

 このまま何もなく別れてしまうのも寂しい感じがしたから、私はそらっちに連絡先の交換を申し出た。彼は少し戸惑っていたけど、快く連絡先を教えてくれた。


「帰ったらすぐに連絡するね!」


 私がそういうと、そらっちの顔が赤くなった。

 最後の最後まで、わかりやすい子だなと思った。


 すっかり慣れたアパートまでの道を歩く。


 時刻は14時半。

 きっとほっちゃんは、とっくにお昼ご飯を食べ終わって、今頃は居間でゴロゴロしているのだろう。もしかすると、昼寝をしているかもしれないな。


 仮にもそうなら、起こすのも申し訳ない。

 静かに玄関を開けて、そっと中へと入ろう。

 もし起きてた時は、「わっ!」って言ってビックリさせよう。


「そーっと、そーっと……」


 玄関の前へとたどり着いた私は、静かに扉を開いた。


 何やら中が騒がしい。誰かお客さんが来ているようだ。でも、明らかに普通な感じじゃない。何やら揉めているようだけど——。


「な、何やってるのッ⁉」


 その光景を目にした私は、思わず声を張り上げた。


「ち、違うぞ柚木ッ……! これは誤解でッ……!」


「これは柚木ちゃん! いいところに!」


 状況が理解できない。

 だって、ベッドの上に仰向けになっている九条さんの上に、ほっちゃんが四つん這いになっているのだから。これって……どう考えても——。


「見てッ! ボク今、発田さんに襲われてる!」


 そんなただならぬ台詞とは裏腹に、九条さんは心底楽しそうに笑っていた。

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