第9話 同席 *柚木視点*
今日は絶好のお出かけ日和だ。
天気はいいし、たまに吹く風も心地いい。ただ外を歩いているだけなのに、段々と心まで晴れやかになってきた。
こんな気持ちになれるのも、全部ほっちゃんのおかげ。
何の繋がりもない、出会って間もないはずの私に優しくしてくれて。今日だって服を買ってきなさいって、1万円も持たせてくれた。
それだけじゃない。
家で一緒にご飯が食べられない私を気遣って、外食を許してくれたり。反対に外食してから家に帰ってきたりもする。
それにはたくさんのお金が掛かるはず。
でもほっちゃんは、一度たりともお金に関して言及したことはない。
それどころか、いつもお釣りが出るくらい、多めにお金を渡してくれる。
金は天下の回りものだ。なんて、ほっちゃんは言うけれど。それでもやっぱり罪悪感は生まれちゃう。
今日だってやらなきゃいけないことがたくさんあった。
それをやらずに買い物なんて……ホントにいいのだろうか。
「いけないいけない。遠慮しちゃダメだよ、柚木」
自分に言い聞かせるように呟いて、ペチペチと頬を叩いた。
ここまで来て遠慮したら、それこそほっちゃんに怒られちゃう。ならいっそのこと、気に入った部屋着を買って、ほっちゃんに見せてあげよう。
「うーん……でもやっぱりどれも高い……」
とりあえずユニキュロに来てみたけど、それでも最低4千円くらいは掛かりそうだ。部屋着だけでこの値段だから、外出用の服も買うとなればもっと高い。
「ジャージなら、外にも着て行けるよね」
そう思った私は早速ジャージコーナーに。
端から目を通していると、よさげなジャージが目に留まった。
「3980円。いいじゃんこれ」
色は上がパープルで下がグレー。
デザインもシンプルかつオシャレだし、これなら家と外で併用できそう。
洗濯は……ほっちゃんが居ない時にすればいい。
「これに決めたっ」
小さく呟いて、そのジャージを両手に抱えた。
帰ったらすぐに着替えて、ほっちゃんに感想を聞いてみよう。
*
服は無事に買えたから、次はお昼ご飯だ。
このショッピングモールには、フードコートがある。それなりにお手軽な値段で好きな物を食べられるから、今日はそこでお昼を食べて帰るとしよう。
なんて、思っていたけど。
「うわっ、人すごっ……」
さすがは土曜日なだけあって、家族連れが凄い。
パッと見た感じ、空いている席は片手で数えるほどしかない。ホントなら一番安いうどんを食べようと思ったけど、列に並んでいる間に席が埋まりそうだ。
次に安そうなのは……あの牛丼屋さんかな。
列もほとんど出来てないし、今日はあそこでお昼を買おう。
「すみません、牛丼の並を一つください」
注文を伝えて、お会計を済ませる。
財布をしまう頃には、頼んだ牛丼が出来上がっていた。
ビックリするくらい早い。牛丼ってホント凄い。
「うーん、空いてる席は……」
ぐるっと辺りを見渡したけど、座れそうなところはなかった。
と、思ったその時。端っこに座っていたカップルが、ちょうど席を空けるところだった。このチャンスを逃したら、きっとしばらく立ったまま待つことになる。
急げっ、急げっ——。
そう心の中で呟きながら、早足で席に向かった。
そしてテーブルに牛丼を置こうとしたのだけど……。
「あっ……」「あっ……」
私とはまた別のトレイが、テーブルに置かれた。
ハッとしてそちらを見れば、そこには同い年くらいの男の子が立っていた。不意に目が合ったと思ったら、彼は困ったように目を泳がせる。
「え、っと、その……ご、ごめんなさい」
「ウチの方こそごめんね」
随分と気弱そうな子だなと思った。
「せ、席どうぞ」
「えっ、でも」
彼はそう言うけど、譲ってもらうのも気が引けた。
というのも、彼のトレイに乗っていたのはラーメンだった。こっちは牛丼だからまだしも。このまま私がこの席に座ったら、彼のラーメンが伸びてしまう。
「君、ラーメンみたいだし。この席つかってよ」
「そ、そんな。申し訳ないですよ」
「いいのいいの。別に急いでるわけでもないし、牛丼は伸びないし」
私はそう言って、テーブルに置いたトレイを手に取る。
そして別の席を探そうとしたのだけど。
「あ、あのッ……!」
「うん?」
「も、もしよかったらなんですけど。席、ご一緒しませんか?」
「えっ……」
彼の思わぬ一言に、私はついポカンとしてしまった。
「い、いやその……へ、変な意味とかではなくて……!」
別に変な意味に捉えたりはしていないけど。
顔を真っ赤に染めた彼は、慌てた様子で補足の言葉を口にした。
「ふ、二人席ですし。他に席空いてないですし」
きっとこれは彼の親切心なんだろう。
でもあいにくと、私は誰かと一緒に食事をすることが出来ない。
つい先日も、家でほっちゃんとご飯を食べた時に戻しちゃったし。もしここでそうなったら、彼にも他のお客さんにも迷惑が掛かる。
「気を遣ってくれてありがと。でもごめんね、ウチ……」
ウチ、他の席を探すから。
そう言いかけて、私は言葉を切った。
ふと脳裏をよぎったのは、あの時のこと。
あれはほっちゃんと出会う少し前。当時パパ活で繋がっていたおじさんに、私は一度だけご飯に連れてってもらったことがあった。
確かあの時は、同じテーブルでご飯を食べた。
でも、私は戻さなかった。
何の問題もなく誰かと食事が出来たのだ。
戻す時と戻さない時。その二つに決定的な違いがあるとするなら……それは多分、家か外か。これしか考えられない。
「あ、あの……どうかしましたか?」
「あ、ごめんごめん。少し考え事しちゃってて」
もしそれが事実なら、この体質の克服に一歩近づけるかもしれない。ほっちゃんとだって、一緒にご飯が食べられるかもしれない。
試してみる価値はある。
「や、やっぱり、ご一緒するのはまずかったですよね。ごめんなさい」
「ううん。そんなことないよ」
苦笑いを浮かべる彼に、私は改めてお願いする。
「君さえよかったら、同席させてもらえないかな?」
「えっ……い、いいんですか?」
「うん、他に席も空いてないし」
「そ、その……よく考えたら僕、ラーメンですし。音とか凄そうですし」
「あはは、そんなの気にしない気にしない」
私は笑い混じりに言って、奥側の椅子に腰を下ろした。
「これも何かの縁だし、お話しながら食べよ」
「は、はい」
失礼します。と言って、彼は向かいの椅子に腰を下ろした。
改めて、気の弱そうな男の子だなと思う。
まあ、だからこそ同席を決めたのだけど。
「ウチは柚木。君の名前は?」
「空……よ、
「じゃあ、そらっちだね」
「そらっ……⁉」
「じゃあ、一緒にいただきますしよっか」
私たちは揃って両手を合わせる。
いただきますと呟いて、割り箸をパカッと割った。
さっそく一口、食べてみる。
よく噛んで飲み込んでみたけど、特に何の問題もなさそうだった。
二口目、三口目も食べてみる。
それでも吐き気は無く、胃の中にスッと食べ物が落ちていくのがわかった。やっぱり、私の予想した通りだ。
「そらっちは一人で買い物に来たの?」
「は、はい。母に頼まれているので」
「へぇー! 偉いじゃん!」
「そ、そんなことは……」
ポッと頬を赤く染めたそらっちは、目線を伏せたまま言った。
「ゆ、柚木さんもお一人ですか?」
「うん、一人。お洋服買いに来たの」
「そ、そうなんですね」
その言葉を最後に、私たちの会話は途絶えた。
同じ席なのに、無言でご飯を食べるこの感じは、ちょっとだけ可笑しくも思えた。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
無言が続けば続くほど、そらっちの様子が落ち着かない感じになる。
きっと人と関わるのが苦手な子なんだろう。
それでも彼は、真っ先に同席を提案してくれた。
もしかするとそれは、ただの勢いだったのかもしれないけど。彼なりに私を気遣ってくれたことは、今の彼を見ていればわかる。
「そんなに固くならなくても。もっとズバズバ行っちゃお、ズバズバ」
「ズ、ズバズバですか⁉」
「そそ。周りはみんな話に夢中だし、大丈夫大丈夫」
「わ、わかりました」
するとそらっちは、覚悟を決めたような顔で頷いた。
そしてラーメンを箸で持ち上げて、勢いよくそれを啜った。
ちゅるちゅる~。
思った以上に吸引力が弱かった。
凄く必死な顔をしているのに、ぜんぜん麺を啜れてない。
なんか、小動物みたいで可愛い……というか、段々と面白く見えてきた。
「ぷっ、あはははっ!」
「……っ⁉ ゆ、柚木さん……⁉」
「ご、ごめんごめん。何だか可笑しくって」
笑いと一緒に溢れた涙を指で拭う。
「そらっち、実は不器用でしょ?」
「うっ……。ぶ、不器用……だと思います。よく母にも怒られますし」
「そうなの? 別に怒らなくてもいいのにね。こんなに可愛いんだし」
「か、可愛い⁉」
「うん、可愛い」
私はそう言って、牛丼を口いっぱいに頬張る。
「そ、そう言う柚木さんこそ、可愛いじゃないですか」
「……⁉」
「顔、リスみたいになってますし」
思わぬ反撃が飛んできた。
余裕をこいていたせいで、うっかり牛丼をぶーっ! ってしそうになったけど、何とか堪える。私は慌てて口の中を空っぽにした。
「もうっ! 女の子の顔をいじるとか最低だよ!」
「ご、ご、ごめんなさい……! つい勢いで……!」
責められたまま終わるのも面白くない。
不機嫌を装い私が言うと、そらっちはまんまと慌ててくれた。
ホントに可愛いな、この子は。
「ウソウソ、冗談。ぜんぜん怒ってないから」
「な、なんだ……びっくりした……」
ホッと息を吐いたそらっちには、笑みがあった。
「やっと笑ってくれた」
「えっ……?」
「そらっち、ずっとガチガチだったから。やっと笑ってくれたなぁって」
私が言うと、今度は顔を真っ赤にするそらっち。
またもや初心で可愛い反応だ。
最初の気難しそうなイメージとは違って、意外と感情が豊かな子らしい。
「そうやってリラックスしてた方が、きっとラーメンも美味しくなるよ」
「そ、そうですよね。僕の方から同席を提案したのに……ごめんなさい、気を遣わせてしまって」
「ううん。むしろ、そらっちの色んな反応が見れて楽しかった」
うぅ……と、背中を丸めるそらっち。
これ以上は流石に可哀そうだから、その手の発言は控えよう。
それから私たちは、他愛もない会話を交わしながら食事を続けた。
「そらっちはこの後どうするの?」
「僕はこれから頼まれた日用品を買いに」
「そっか。そしたらウチもついていっていい?」
「か、構わないですけど。大丈夫なんですか? 柚木さん制服ですし、学校の用事とかあるんじゃ」
「ああ、これね。これは単なる趣味」
「趣味?」
「制服着てお出かけするのって、なんかよくない?」
「そ、そう……なんですかね。僕はしたことがないので何とも」
そう口では言ったけど、実際は制服意外に着る服がないだけ。
でも、外出において制服は、かなり優秀な効果を発揮してくれる。
私には身分証がない。
本来ならば高校生であることを証明しないといけないところを、制服があれば確認なしでスルーしてもらえるのだ。
「JKはJKであることに誇りを持っているのですよ」
「な、なるほどです」
「だからそらっちも、制服でお出かけしてみるといいよ」
そんなちょっぴりくだらない話でも、そらっちは真剣な顔で聞いてくれていた。
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