2章 共同生活

第8話 洗濯と服

「ほっちゃーん!」


 洗面所の方から名前を呼ばれた。

 寝ながら読書していた俺は、よいしょと重たい身体を起こす。


「また靴下裏返しのままカゴに入れたでしょー」


「あー、すまんすまん」


「もぉー、一昨日に言ったばっかりじゃーん」


 ひょっこり顔を出していた柚木は、ぷくっと頬を膨らませる。

 またもや、靴下で怒られてしまった。


 柚木がうちに来てから早3日。

 最初こそ違和感でしかなかったこの生活も、少しずつだが馴染んできたように思う。でもやはり俺はだらしないらしく、すでに洗濯物で2回も注意されている。


「仕事で疲れてるのはわかるけど、結婚したら奥さんに怒られちゃうよー」


「やっぱり女性ってそういうの気にするのかな」


「人によるとは思うけど、気にする人の方が多いんじゃないかな」


 果たして、乙川先生はどっちだろう。

 なんて思考が先に来るあたり、俺はダメな人間なのだ。


「とにかく、次からは気を付けてください」


「はい、そうします」


 俺が頷くと、柚木は満足そうに微笑み顔を引っ込めた。

 ピッという洗濯機の起動音が鳴り、やがて柚木は居間に戻ってくる。


「そういえば柚木。お前っていつも制服だよな」


「ああうん。これしか着れる服もってないから」


「洗濯とかどうしてるんだ?」


「ほっちゃんがお仕事に行っている間にちゃんとしてるよ」


 なるほど。それなら確かに清潔を保てる。

 だが、下着はどうなのだろう。


「むぅ、今下着はどうだとか考えたでしょ」


「うっ」


「まったくもう、失礼しちゃうなぁ」


 眉を顰めた柚木は、テーブルを挟んで向かい側に腰を下ろす。

 そして部屋の隅に置かれたバッグを指差した。


「替えの下着は持ってるから、そっちも大丈夫」


「でも、制服だけだといろいろ大変だろ」


「まあ、確かに動きにくくはあるけど」


 スカートを両手で摘まんでは、自分の格好を確認する柚木。一緒に暮らし始めて気づいたが、家の中でのスカートには、様々な問題が付き纏うのだ。


 特に俺が困るのは、ふとした瞬間のパンチラである。

 指摘するにも勇気がないので、今のところ見て見ぬフリをしているが。一緒に暮らす上で、これは早急に何とかしたい問題だった。


「ちょうどお昼時だし、昼飯ついでに部屋着でも買ってこい」


「え、別にいいよ制服のままで」


「俺がよくないから言ってるんだ」


 俺はテーブルにあった財布から、1万円を引き抜いた。


「飯代を含めてこれで足りそうか?」


「た、足りる足りる。むしろ多すぎるくらいだよ」


 柚木は慌てた様子で両手を振り振りしている。


「半分……ううん、3千円くらいあれば足りるから」


「3千円って……どんな安いの買おうとしてるんだよ」


 ユニキュロでももう少しするだろうに。


「長く使うことになるだろうし、せっかくならいいの買ってこい」


「うぅぅ……」


 目尻を下げて口ごもる柚木。

 共同生活が板についてきたとはいえ、こうした遠慮は相変わらずだった。


 まあ、この子の気持ちになれば分からなくもないが。俺としては早く、そういった部分も緩和できればいいなと思う。


 というのも、俺と柚木は一緒に食事が出来ないのだ。

 柚木がここに来た初日のこと。俺が作った豚の生姜焼きを食べた柚木は、それを戻してしまった。それは以前にこの子が語った、精神的な理由による反動だった。


 以来、俺は柚木との食卓を避け、別々の場所で食事を摂るようにしている。幸い近所には飲食店が多いから、今のところ大きな問題にはなっていないが。


「節約してくれるのは助かる。でもまずは、自分のことを第一に優先しろ」


「う、うん……」


 この子は今まで、たくさんの苦しい思いをしてきたはずだ。

 ならまずは、それによって傷ついた心を癒すところから始めていかなければ。


「いつも駅前の弁当だろうし。今日くらいは買い物ついでに少し遠出してみたらどうだ?」


「遠出?」


「ほら、二駅となりにショッピングモールがあるだろ?」


「ああうん。一回覗いてみたことあるけど、結構広いよね。あそこ」


「あの中なら服屋もいくつかあるし、フードコートもある。金が余れば必要な日用品だって揃えられるだろうし、行ってみたらいいんじゃないか?」


「そ、そんな。お金が余ったらちゃんと返すよ」


「返さんでいい。これはもうお前の金だ。仮に今日使わなくても、今後のために貯金しとけ」


 俺はそう言って、柚木に1万円を押し付ける。


「あとのことは俺がやるから、気にせず出かけてこい」


「そ、それはわるいよぉ」


「わるいわけあるか。ここ数日は、ほとんどの家事を柚木に任せっきりだったんだ。今日くらいは外でのんびりしてくるといい」


 居候を許す交換条件が家事とはいえ、休日は必要だろう。


 今日は幸い天気もいい。

 たまには陽の光に当たらないと、治る傷も治らないというものだ。


「ほれほれ、行った行った」


「え、あ、うん」


 手をひょいひょいと振って、柚木を買い物に駆り立てる。

 本人はあまり納得していないようだが。これくらいやらないと、この子は遠慮して動かないから、申し訳ないがお節介を焼かせてもらおう。


「じゃ、じゃあ。行って来るね」


「おう、気を付けてな」


 昼飯は何を作ろうか。

 そんなことを考えながら、俺は柚木を見送った。

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