第7話 パパ

「ねぇ、ほっちゃん」


「んー」


「そういえばなんだけどさ。さっきのお巡りさん……確か佐久間さんだっけ。あの人ってほっちゃんの知り合いなの?」


 家に帰るその途中。

 柚木は不意にそんなことを言った。


「あいつは高校の同級生。最近こっちに転勤してきたんだと」


「親友って言ってたし、結構仲良さげな感じなんだ」


「まあ、当時はよく馬鹿やってたな。主にあいつが」


 免許取り立てのバイクで登校して生徒指導。

 夜の学校を散策しようと忍び込み、警報が鳴って生徒指導。


 思い返せば、馬鹿じゃない部分を探す方が難しい。

 俺と佐久間の日常は、いつだってハチャメチャだった。


「で、どうしたよ。急にそんなこと聞いて」


「何というか、似てるなぁと思って」


「はっ? 似てる? 俺と佐久間が⁉」


「そうそう。雰囲気とか話し方とか、そっくりだったから」


 それは……何とも反応に困る意見である。


 あいつは天性の阿呆だ。

 そんな奴に似ていると言われても、これっぽっちも嬉しくはない。

 むしろ、ちょっと落ち込んだりもする。


「それに佐久間さん、ほっちゃんと同じこと言ってた」


 すると柚木は得意げに人差し指を立てる。


「子供は大人に迷惑をかけて成長するもんだ、って」


「ああ」


 これにはつい、納得の声が漏れてしまった。


「あれは元々、佐久間がよく口にしてた言葉だ」


「そうなの?」


「まあ、あいつの場合、その言葉を盾に悪さしていただけだけどな」


 昔から佐久間は、何かに縛られることを嫌っていた。

 だから校則は当たり前のように破るし、大人に対して一切耳を貸そうとはしなかった。そうやって懲りずに悪さを続け、ある日その言葉を呟いたのだ。


 当時はただの免罪符かと思われたそれだったが、今の佐久間を見ていると、奴の言っていたこともあながち間違いではなかったように思える。


 そうでもなければ、自ら望んで警察官になどなるはずがない。


「にしても、やっぱりあいつはどうしようもない阿呆だ」


「どうして?」


「本来取り締まらないといけない相手を見逃したんだ。立派な汚職警官だよ」


 感情論一本で生きている感じが、最高に佐久間らしい。

 流石の俺も法まで無視するとは思わなかったが。この歳になっても奴の根本が変わっていないその事実に、少しだけホッとする自分がいた。


「バレたら俺ともども職無しだな」


「しょ、職無し……⁉ 佐久間さんまで……⁉」


「おうっ」


 何だろう。無性に笑いが込み上げてくる。


「ど、どうしてそんな楽しそうなの⁉」


「さあ、どうしてだろうな」


 *


 長らく夜風に当たったせいで、すっかり酔いはさめた。

 今まで幾度となく歩いたアパートまでの道は、やけに新鮮に感じられた。それは柚木と一緒だからか。それとも、俺の中で何かが吹っ切れたからか。


「ほれっ。鍵、開けてみろ」


「ウ、ウチが?」


 俺は財布から取り出した鍵を柚木へと投げる。


「今日からここがお前の家だ。遠慮しなくていい」


「う、うん」


 小さく頷いた柚木は、緊張した様子で鍵を差し込んだ。

 そして右に半回転させると、『スカッ』という乾いた音が鳴る。


「ぎゃ、逆だ」


「逆だな」


 改めて左に回せば、今度はしっかり音が鳴った。

 柚木は扉に手を触れようとして……やめた。


「ホ、ホントにいいのかな」


「なんだ。まだ気を遣ってるのか?」


「そりゃあ遣うよ。だってウチら他人だもん」


 確かに、俺と柚木は他人だ。

 でも、だからって力になっちゃいけない理由はないわけで。


「俺はただ、柚木に普通を知ってほしいだけだ」


「普通……?」


「そう、普通だ。とはいえ、俺はこの普通という言葉があまり好きではないんだが。要は安心できる寝床で横になり、それなりに美味い飯を食うってことだな」


 まあ、柚木にとってのこの家が、安心できる寝床になり得るかはわからないが。一日でも早くそう思ってもらえたらいいなって、俺は思う。


「最初はお互い探り探りやっていこう。何か気になることがあったら、言ってくれると助かる。将来、嫁さんが出来た時に役に立つだろうしな」


「え、ほっちゃんって結婚願望あるんだ。なんか意外」


「そりゃあ27にもなればな」


「27歳だったの⁉」


「あれ、言ってなかったっけ」


 謎にめっちゃ驚かれた。

 この困ったような反応からして……おそらくはもっと上だと思っていたのだろう。佐久間いわく、どうやら俺は老け顔らしいからな。


「そんなことより、はよ玄関あけろい」


「え、あ、うん」


 俺が言うと、ようやく扉に手を触れた柚木。一つ息を吐いた彼女は、緊張した様子で腕に力を込めた——その時だった。


 ガチャリと、うちの玄関ではない音が鳴った。

 開かれたのは、隣の部屋の玄関。背筋がヒヤッとなった俺の目に飛び込んできたのは、桃色のパーカーに身を包む九条さんだった。


「お酒っラーメンっからあげぼーう……あ?」


 スマホを見ながら妙な歌を口ずさんでいた彼女は、俺たちに気づくなり口を開けたまま固まった。そして、俺と柚木の間で視線を反復横跳びさせる。


「えっ、えっ、えっ? やっぱり二人はそういう……」


「違うッ‼」


 俺は声を大にして否定する。


「これはその……たまたまここで会っただけで……!」


「い、いやいや、たまたまな訳ないでしょ。扉開けさせてるし」


 ぐうの音も出ないご指摘である。


「あれだよね。これは俗にいうパパ活ってやつだよねぇ! ねぇ!」


「んん……」


 うかつだった……まさかこの時間になって、外出する人がいるとは。


 しかもまた、下履いてないし。

 その格好で不審者に遭遇したらどうするってんだ……いや、そんな人の心配をしている場合じゃないんだった。このままだと、俺が不審者にされてしまう。


「これ、いよいよ通報チャンスだよねッ⁉ さすがにいいよねッ⁉」


 スマホをこちらに向け、息を荒げる九条さん。

 その妙に高揚した感じ……まさかこの状況を楽しんでいる訳じゃあるまいな。目つきがヤバい上に「はぁ、はぁ、はぁ」って——。


「通報したら発田さんは終わり。通報したら発田さんは終わり……くふふっ」


 ……いや、間違いない。

 この変態は今、すこぶる興奮してやがる。


「いいかいッ⁉ 押すよッ⁉ 押しちゃうよッ⁉」


 九条さんの指がスマホの通話ボタンへと向かう。

 どうにかして止めたいが……良い説得の言葉が浮かんでこない。


 このままだと、柚木を家にあがらせる前に全てが終わる。

 ただ臭い台詞を連ねただけのおっさんで終わってしまう。


 何か、何かないのか……。


「あのッ‼」


 どうすることも出来ないその最中、柚木は声を張り上げた。

 そして、俺と九条さんの間に立ちはだかる。


「通報、しなくていいですから!」


「でもこれは絶好のチャンス……じゃなくて、パパ活の現場だよ?」


「パパ活じゃないです。この人は正真正銘、ウチのパパです」


 続けて柚木は、毅然とした調子でそう言った。

 その瞬間、俺の頭の中は『?』という記号で埋め尽くされる。


「パパ? 発田さんが? 柚木ちゃんの?」


「はい、そうです」


 自信満々に頷いたかと思えば、


「そうだよね。パパ」


 未だ困惑する俺に同意を求める柚木。

 その澄んだ瞳は「いいから頷いて!」と言っているようだ。


「あ、ああ。俺がパパだ」


「そうだよね、パパ」


 もうどうにでもなれ。

 そんな思いで頷けば、九条さんは顎に手を置き眉を顰める。


「ほほーん。二人が親子ねぇ、ふーん」


 どう考えても苦しすぎる言い訳だった。

 にもかかわらず九条さんは、「なら、通報しなくていっか」とあっさりと納得したではないか。


「そうだ! こんなことをしている場合じゃない! コンビニに行かなくては!」


 お酒っラーメンっからあげぼーう、そんな背徳の歌を口ずさみながら、夜の街へと消えていく九条さん。俺はその陽気な後ろ姿に、深いため息を吐いた。


「だはぁぁ……終わったかと思った……」


「あはは、何とかなったっぽいね」


 ケタケタと笑う柚木に細い目を向ける。


「それにしても。今のはなんだ今のは」


「なんだって、事実を伝えただけだよ?」


「事実?」


 そう言って玄関を開いた柚木は、にししっと年相応の笑みを浮かべ呟いた。


「これからよろしくね。パーパ」

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