第6話 保護者

「つまり佐久間は、たまたま柚木を見つけただけと」


「ああ。そんで詳しい事情を聞いてたら、お前が来たってわけ」


 佐久間からの説明で、俺の頭はようやく事態に追い付いた。


「てか、教師ってこんなに帰り遅いのかよ。大変だな」


「いや、今日は同僚と飲んできただけ。いつもはもっと早い」


 それにしても、凄いタイミングだ。

 たまたま夜勤だった佐久間が、巡回中にたまたま柚木を見つけて、事情聴取しているところに、たまたま俺が通りかかったというのだから。


「で、発田はこのJKと知り合いなわけ? もしや教え子とか?」


「いや、うちの生徒じゃない」


「じゃあ何。まさかよからぬ関係じゃないだろうな」


 佐久間に訝しむような目を向けられる。


 事実として俺と柚木の間には、何らやましいことはない。

 だが世間的に見たら、俺たちは立派なよからぬ関係になり得る。


 俺は佐久間の後ろに佇む柚木を見た。

 目が合った彼女はハッとすると、もの言いたげな顔で俯く。グッと下唇を噛んでいるその様子からして、おそらくは申し訳なさを感じているんだと思う。


「はぁ」


 何やらため息を吐いた佐久間は、首筋をポリポリと掻いて続ける。


「お前のこと信用してっから、いいから正直に言ってみ」


「んん……」


「別に通報なんてしねぇよ。親友をしょっ引くとかこっちから願い下げだ」


 俺はその言葉を信じ、ありのままを佐久間に語った。

 柚木に出会った日のこと。その翌日、柚木が家を訪ねてきたこと。そうなるに至った事情も簡単に交えながら、俺は正直ベースで話を進める。


 話しているうちに段々と、全て夢だったんじゃないかと思えてきた。

 それくらい柚木には、一筋縄じゃいかない問題がある。


「なるほどな。この間の110番はそういうことだったのか」


「あれに関しては隣人の悪戯だが。まあ、概ねそういうことだ」

 

 俺が全て語り終えると、佐久間はため息と共に頭を抱えた。


「どうすんだよ、これがもし世間にバレたら」


「バレるも何も、お前は警察だろ? もうバレてるようなもんだろこれ」


「そうなんだよなぁぁぁぁ」


 ああぁぁ……と、悶絶している佐久間。

 きっと今、こいつの心の中では大きな葛藤が起きているのだろう。親友である俺をしょっ引くか、それとも親友だからと見逃すか。何にせよ、佐久間らしいと思った。


「決めた」


 3分……いや、5分ほどは待っただろうか。

 現実に戻って来た佐久間は、俺の肩をポンと叩いては言った。


「お前に任せる」


「は」


「正直これは、オレごとき下っ端じゃどうにもならん。だから、お前に任せる」


「それはつまり、見逃してくれるってことか」


「見逃すも何も、オレは何も見ていない。夜間巡回中にたまたま知り合いに会って、数年ぶりに再開したそいつには高校生の娘がいた。ただそれだけの話だ」


「む、娘⁉ 柚木が、俺の⁉」


「まあ、発田って歳の割には老けてるし。ギリ行けるだろ」


 どう考えたら行けるんだよ……。

 てか、数年ぶりに会った親友のことそんな風に思ってたのか……。


「ってことで、この件は万事解決だ」


 勝手に話を締めた佐久間は、乗って来た自転車にまたがる。

 そして、未だ俯いたままの柚木を見た。


「柚木ちゃん、って言ったっけ」


「は、はい」


「正直言って、この話は持ち帰って上に掛け合いたいところなんだけどさ。そうなるとこの馬鹿が、世間の晒し物にされちゃうわけよ」


 誰が馬鹿だ。誰が。


「君みたいな境遇の子には、同情の念すらあるけどね。でも、それとこれとは別なんだ。オレも大人になってから知ったけど、社会って厳しいからさ。色々とね」


「それは……理解してます」


 まさかあの佐久間が、学生であることを盾にやりたい放題していた佐久間が。女子高生に社会の厳しさを説く日が来るとは……。


「何がともあれ。少なくともオレは、君の味方でありたいと思ってる」


「えっ……」


「多分それは発田も同じなんだよ。まあこいつの場合、言葉足らずだと思うけど」


 そう言うと佐久間は、俺の額を指の腹で押した。

 ぐらりと頭が揺れる。普通に痛いしウザい。


「こいつは見ての通りお人よしだ。自分を正義だと勘違いしている馬鹿だ」


「おい……」


「でもな、まっさらな善意で他人に寄り添えるいい人間でもある。だから遠慮なく頼ればいい」


 そんなむず痒い台詞を口にした佐久間は、穏やかな笑みを浮かべる。


「子供は大人に迷惑をかけて成長するもんだ。だから柚木ちゃんも、いっぱい迷惑を掛けたらいい。きっと君の周りには、そんな君を受け入れてくれる人がいる」


「……っ」


 言葉に詰まる柚木の目には、光るものがあった。

 この子がどれだけの物を背負い、どれだけの苦労をしてきたのか。ぬるま湯に浸かりきった俺には、その一片すらもわかりはしない。


 でも、俺は知っている。

 柚木がその派手な見た目に反して律儀な子であることを。環境に言い訳をしない強い人間であることを。そして――美味い味噌汁を作れることを。


「どーれ、オレはぼちぼち交番に戻ろうかね」


 佐久間はそう言うと、右手をひょいと上げた。


「じゃあな、お二人さん」


「おう。ありがとな、佐久間」


 ニッとガキみたいな笑みを浮かべ、奴は去って行く。


 その猫背な後ろ姿を見て、俺は改めて思った。

 やっぱりあの男に、警察の制服は似合わないと。


 *


「で、どうしてあいつに捕まったんだ?」


 しばらくの沈黙を跨いだ末に、俺は柚木に尋ねた。


「とっくに22時は過ぎてる。外に出たら補導されることくらい分かるだろ」


「お、お金……」


「お金?」


「お金……盗まれちゃって……」


 未だしゅんとしたままの柚木は、弱弱しくそう呟いた。


「お金って、俺が渡した10万か?」


「そう」


「いつ盗まれたんだ」


「今日の夕方くらいかな。ネカフェでトイレに行った隙に……」


 なるほど。確かここのネカフェは、たまにそういった事案が発生すると聞く。そういう意味でも警察は、この辺りを巡回することが多いのかもしれない。


「ほっちゃんに迷惑かけたくないから、今日中には別の場所に移ろうと思ってて……そしたらお金盗まれちゃって……ウチ、どうすることも出来なくて……」


「それで、もし佐久間に捕まらなかったらどうするつもりだったんだ」


「それは……」


 言われなくとも、柚木が言うことはわかる。

 今までそうやって生きて来た人間が、たかが一度知らないおっさんに説教されたからって、簡単に別の生き方なんて出来るはずがないのだ。


「ごめんなさい……ウチ、また迷惑かけて……」


 この子は……いい意味でも悪い意味でも素直すぎる。

 きっと自分が異質であると思い込んでいるのだろう。だからこそ、ある意味で吹っ切れているし、だからこそ、周囲への迷惑に敏感になってしまっている。


 まるで崩れかけの花瓶のようだと思った。

 花は立派に咲いているのに、それを支える器が壊れかけている。


 お前に任せる、なんて、佐久間には言われたが。正直俺がこの子にしてあげられることは限られている。それこそ、片手で数えられるほどだろう。


「ねぇ、ほっちゃん。これからどうしたらいいのかな……」


 絞り出すように呟いた柚木の顔は、涙で歪んでいた。


「ウチ、このまま死んじゃうのかな……」


 子供のこんな姿は、正直見たくなかった。

 目を瞑ってしまいたい。僅かにでもそう思ってしまう俺は、やはりずるい大人なんだと思う。十年前の自分が知ったら、きっと自分の情けなさに失望するだろうな。


 でも——。


「そんな簡単に死なせてたまるかよ」


「えっ……」


「俺は教師の端くれだ。目の前に困った若者がいるのに、それを見て見ぬフリをするほどプライドを捨てちゃいない」


 はぁぁ……と、長い長い息を吐き出した。

 これはため息じゃない。俺の中にあった常識に似た何かを、全て吐き出したまでのこと。それに代わって大きく息を吸い込めば、世界がほんの少し明るくなったような気がした。


「うちに来い、柚木」


「……っ⁉」


「あの部屋じゃ不満かもしれないが、今のお前には帰る家が必要だろ」


「で、でも……それだとほっちゃんに迷惑を——」


「迷惑なんて気にしなくていい。俺はすでに加害者なんだ。どうせ世間様のお咎めを受けるなら、たくさん迷惑を掛けられた後の方がよっぽどお得だろう?」


 これに関しては0か1。やったかやってないかだ。

 今後柚木をかくまうことで、多少罰則が重くなることはあっても、俺が世間の晒し物になる未来は変えようがない。


 すでに1であるのなら、俺はそれを2にでも3にでもしてやる腹積もりだ。


「とはいえ、ただとはいかない。最低限のことはきっちりしてもらう」


「それって……」


「まずは家事をやれ。それと、お前には定期的に宿題を課す」


「宿題?」


「学生の本分は勉強だ。なら、本来高校生であるはずの柚木にも、同じように勉学に取り組んでもらわなきゃ困る」


 いつか家を出ることになった時に、使える知識があるに越したことはないだろう。勉強によって、この子の将来に繋がる何かが見つかる可能性も大いにある。


 まあ、最初のうちは、生物が中心の宿題にはなるだろうが。


「あとは好きに居てくれて構わない。どんなに迷惑をかけたっていい。真っ当な道を進むと決心できるその日まで、俺がお前の保護者になってやる」


「……っ」


 つい感情が高ぶって、またしても臭い台詞が出た。

 でも、不思議と今はこれで良かったと思ってる。


 きっと今の柚木には、熱い言葉が必要だ。

 まっさらな心で向き合う強い信念が必要だ。

 それぐらいの覚悟を持って訴えかけなければ、この子の心の氷を解かすことは出来ないだろう。


「もちろんこれは、おっさんの独り語りだ。どうするかは、柚木が決めろ」


「ウ、ウチは……」


 下唇を噛んだ柚木は、険しい表情で俯いた。


「ほっちゃんの人生、狂わせちゃうかもよ……?」


「別にいい」


「先生じゃなくなっちゃうかもしれないんだよ……?」


「別にいい」


「ウチ、心が壊れてるから……たくさんたくさん迷惑をかけるよ……?」


「別にいい」


「一生決心できないままかもしれないよ……?」


「その時は俺が何とかしてやる。教師ってのは、子供に知識を与えるのと同時に、その成長を手助けする立場でもあるからな」


 俺はそう言って、涙を堪える柚木の頭に手を置いた。


「悲しければ泣けばいいし、辛かったら逃げればいい。少しずつでもいいから、歩く練習をしてみろ。もし倒れそうになった時は、何度だって肩を貸してやる」


「うえぇぇーん」


 堪えていた涙を決壊させた柚木は、俺の胸元にその顔を埋めた。

 ほっちゃん、ほっちゃん……と、震えた声で繰り返す彼女は、やはり女子高生だった。例え外側が大人びていたとしても、この子には支えになる存在が必要なのだ。


「ぐしゅん……スーツ、タバコくちゃい……」


「そりゃ飲み帰りだからな。隣で飲んでたOLに文句を言ってくれ」


 こうして、俺の平凡な日常は変わった。


 あれだけ変わらないことを願っていたというのに……なぜだろう。

 不思議と悪い気はしなかった。

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