第11話 性交渉

 今日の昼はチャーハンにした。

 ウーベーするか悩んだが、柚木に外出させておいてゴロゴロしているのも気が引けた。故に俺は近所のスーパーで材料を買って、久しぶりに料理をすることにしたのだ。


「柚木のやつ、何食ってんのかな」


 あの子のことだ。

 どうせ一番安い物を選ぶんだろう。


「一緒に飯が食えたらいいんだけどな」


 それなら少しくらい、良い物を食わせてやれるんだが。あいにくと俺たちは、同じ食卓に着くことが出来ない。体質の問題だから、仕方がない事ではあるが。


「飯を別々で食うってのも、少し寂しいもんだよな」


 そんな独り言を呟いて、俺はチャーハンを頬張る。

 我ながら味はそこそこで、人に出しても恥ずかしくない出来栄えだ。いつか一緒に飯が食えるようになったら、柚木にもこれを振舞ってやりたいと思う。


「にしても、作りすぎた……」


 冷蔵庫にあった白米を全部入れたら、大変な量になった。

 こりゃあ今日の夕飯もチャーハンだな。

 そんなことを考えながら食べ進めていると。


 ピンポーン。


 不意にチャイムが鳴った。

 立ち上がるのが面倒だったので、一瞬無視しようかと思ったが。トントコトン、という妙なリズムで玄関の扉を叩かれたので、仕方なく出ることにした。


「やあやあ、発田さん」


 訪ねてきたのは九条さんだった。

 格好は桃色のパーカーと、相変わらず部屋着全開である。


「何の用ですか……」


「むぅ、ボクを見て露骨に嫌な顔をしないでくれよ」


 まったく失礼しちゃうなぁ、と眉を顰める九条さん。

 そりゃあ変人を前にしたら、誰だって嫌な顔くらいする。


「実は一つお願いがあって……ん? 何だか良い匂いがするね」


「今、昼飯を食ってたところだったんですよ」


「ほーう。で、その昼飯とは」


「チャーハンです」


「チャーハン! ちなみにそれは発田さんの手作りかい?」


「一応そうですけど」


「ちなみにちなみに、それは余っていたりとかするのかい?」


「まあ、余ってるっちゃ余ってますけど……」


 がめつく聞いてくるこの感じ……さてはチャーハンを狙ってやがるな。


「これは運命だよ発田さん!」


 と、突然グイッと身を寄せてくる九条さん。


「ちょうどボクはお腹を空かせていてね。これからお昼を買いに行くところだったんだ」


「そうですか」


「でも、こうして運命の出会いをしてしまったからには、その神の思し召しにかなうほか道はない。ボクのお昼は、チャーハンと決められていたんだ!」


 そう言うと、両手を大きく広げる九条さん。

 パーカーの裾部分が持ち上げられたのにもかかわらず、色白の生脚しか確認できない。どうやら今日も今日とて、下は何も履いていないらしい。


「そうは思わないだろうか! 発田さん!」


「あの、食うなら食うでいいですから。近所迷惑になるので早く入ってください」


「わーい!」


 幼げに喜んだ九条さんは、トコトコと家に入ってくる。

 そして居間に腰を下ろしては、「チャーハン! チャーハン!」とウキウキしながら口ずさんでいた。そうも期待されると、出す方も出しにくい。


「どうぞ。足りなかったら言ってください。まだまだあるんで」


「いただきまーす!」


 溌溂とそう言った九条さんは、早速一口目をパクリ。


「うん! これは非常に美味だ! やるじゃないか発田さん!」


「そりゃどうも」


 妙に上からの誉め言葉に引っ掛かりつつも、やはり自分の料理が褒められるのは嬉しいと思う俺である。


 というのも、俺の唯一の趣味が料理だ。

 最近は柚木に家事を任せているから、料理をすることも減ったが。それまでは頻繁に台所に立っては、ネットを頼りに様々な料理を生み出していた。


 中でもチャーハンは、俺の得意料理である。

 だからこそ九条さんの急な押しかけには、迷惑こそすれ断ることはしない。

 むしろ、美味い美味いというその反応は、俺にとっての蜜ですらあった。


「ぷはぁ、お腹いっぱい大満足ー!」


 結局九条さんは、二回もおかわりをした。

 量にして白米2合分くらい。

 一体その小さな身体のどこに、あの量の米が消えているのだろう。


「わるいねぇ、発田さん。ごちそうになっちゃって」


「最初からそのつもりで来たんでしょ」


「いやいや。ボクはそんなにがめつい人間じゃないよ」


 あんだけ食っておいてよく言うな。


「今日は発田さんにお願いがあって来たんだ」


「はあ。お願いですか」


「実は今、執筆の方が行き詰っててね。できればボクに協力してほしいんだよ」


「また素材集めですか……大変ですね、小説家も」


 なんて言ったものの、正直言ってあまり手伝いたくはなかった。

 この間もそうだが、この人の素材集めの方法はかなり乱暴だ。素材になり得そうな物のためなら、何をしでかすか分かったもんじゃない。


「で、何を手伝えばいいんです」


「ああ、それなんだけどね」


 ひとまずは要件を聞いてからにしよう。

 そんな緩い考えの俺に、九条さんは平然と言った。


「ボクと性交渉してくれないだろうか」


「……は? 今なんて……?」


「性交渉だよ、性交渉」


 ……それはつまり、セックスのことだろうか。


「いやぁ、作中でとあるキャラがそういう雰囲気になっていてね。どうやらこの流れだと、性交渉を回避できそうにないんだよ」


「それでなぜ、俺に性交渉を……」


「なぜって、そりゃあボクが処女だからさ。実際に一度経験してみて、それに基づいた知識でシーンを描きたいんだよ。じゃないとリアルじゃないからね」


「い、いやいや。だったら調べればいいでしょ。ネットにはいくらでもそういった知識が乗ってるんですから」


「ボクもそう思ってその手の動画を観たんだけどさ」


 観たんだ、動画。


「なーんかしっくりこなくてねー。やっぱりああいうのって、ある程度は演出で成り立ってたりするじゃない? だからあんまり参考にならなくてさ」


「だからって俺にお願いするのはどうなんですか……」


「だって知り合いで頼めそうなの発田さんしかいないし」


 九条さんはそう言うと、何やらムスッとした顔になる。


「それともあれかい。ボクじゃ不満だとでも言いたいのかい?」


「別にそういうわけじゃないですけど……」


 中身はまだしも、九条さんは美人だ。

 故に不満はない。不満はないが……。


「九条さん言いましたよね、自分は処女だって」


「いかにも。ボクは処女だ」


「なら初めての相手は、もっと慎重に選んだ方がいいと思いますよ。いくら素材集めのためとはいえ、こんなくたびれたおっさんとしたくもないでしょう」


「別にボクは発田さんでも問題なく性交渉できるぞ」


「……っ」


「それに発田さんは一児の父親だ。そんな人と性交渉できる機会は中々ない。奥さんがいれば更によかったが、これはこれで面白い素材になりそうだしな」


 そんなぶっ飛んだ持論を語った九条さんは、四つん這いでスリスリと距離を縮めてくる。


「で、何から始めたらいいだろうか」


「ちょ、本気でやるつもりなんですか……⁉」


「当たり前さ。あ、ちなみに今日はちゃーんと下着を身に着けてるからね。脱がす楽しみ? というのだろうか。きっとそれもあると思うぞ! うん!」


 大きく開かれた襟元からは、胸の谷間が覗いていた。

 下着の色は黒。服の上からだと気づかなかったが、どうやら九条さんは中々に胸があるらしい……じゃない。なんでその気になってるんだ俺は。


「いや、本当。シャレにならないですから……!」


「むぅ、往生際が悪いな。さっさと服を脱いでくれ。あ、もしやボクから脱いだ方がいいのだろうか? それならそうと、早く教えてくれればいいのに」


「脱ぐなぁぁぁぁぁ——‼」


 *


 なんてことがあり、今に至る。


「ウチがいない間に女連れ込んで……ほっちゃんってそういう人だったの⁉」


 明らかに誤解しているであろう柚木から、冷たい視線が飛んでくる。


「ち、違う。これはその……不可抗力で……」


「はいはーい。ボクは今、発田さんに襲われてまーす」


 この変態小説家め……自分から仕掛けておいて被害者面をするとは……。


「とりあえず、これは誤解だ。俺にそういう気は全くない」


「じゃあ、その体勢は何……? ウチにはほっちゃんが九条さんを押し倒してるように見えるけど……」


「いかにも。ボクは発田さんに押し倒されて——」


 俺は無理やり九条さんのうるさい口を塞いだ。


「いきなりこの人が襲ってきて、取っ組み合いをしてるうちにこうなった。その証拠にほら、この手の見ろ。俺のズボンを必死に脱がそうとしてるだろ」


「確かに……」


 こんな状況になっても、九条さんの暴走は進行中。

 先ほどから隙を見ては、俺のズボンを脱がそうとしてくる。


「いやぁ、脱がせばその気になってくれるかなって」


「んなわけないでしょ……ましてや柚木の前なんですから」


 むぅ、残念……と、わかりやすく眉を下げた九条さん。

 この感じ、ようやく諦める気になったらしい。

 俺は一つため息を吐いて、九条さんから身を引いた。


「いくら素材が欲しいからって、こういった真似はやめてください」


「じゃあ、ボクはどうしたら……」


「今ある素材で妥協するしかないでしょ。もしくは展開を変えるとか」


「そんなぁ……」


 一度はがっくりと肩を落とした九条さんだったが。


「あ、でも。確かにここで安易に性交渉をさせずに、更に性格を拗らせるのもアリかもしれない。そうすればよりキャラも立つだろうし」


 どうやら新たな展開を思いついたらしい。

 ぶつぶつと独り言を呟いては、満面の笑みで言った。


「さすがは発田さん! 教師の肩書は伊達ではないな!」


 教師はあまり関係ないと思うが。


「そうと決まれば早く続きを書かなくては!」


 勢いよく立ち上がった九条さんは、速足で玄関へと向かった。

 なんてせわしない人なんだ。


「ボクは失礼する! チャーハン、凄く美味だった!」


「は、はあ」


「お邪魔しましたー!」


 バタンと、玄関の扉が閉まる。

 九条さんが居なくなった部屋は、まるで嵐が去った後のように静かだった。

 はぁ……と、疲労を含んだため息が漏れる。


「本当何なんだ、あの人は……」


 閉じた扉に向かってそう呟いて、居間へと引き返す。

 すると仁王立ち状態の柚木は、不機嫌そうに頬を膨らませていた。


「で、今のは何だったの」


「い、いや。だから何でもないんだって。昼飯食べてたら急に九条さんが押しかけてきて、腹減ったっていうからチャーハンを振舞ったんだよ」


「それで?」


「そしたら小説の素材だなんだって言って、急に襲い掛かって来てさ。俺は必死になって自衛してただけ。本当それだけだから」


「ふーん」


「ふーんって……」


 ぜんぜん信じてもらえている気がしない。まあ、柚木が帰って来たタイミングも悪かったから、仕方がないと言えばそれまでだが。


「悪かったよ。誤解を招くようなことになって」


「ホントそうだよ。ウチには買い物に行かせて、その隙になんてさっ」


「んん……」


 そう思われても仕方がないだろう。

 言い返す言葉も見つからない。


 さて、どうやって許してもらおう。

 思考を凝らしている最中だった。


「ぷっ」


「えっ」


「ぷはははっ」


 柚木は唐突に噴き出した。


「ウソウソ、冗談。ぜんぜん怒ってないから」


「あのなぁ……」


「初めてほっちゃんの隙が見えた気がしたから、つい嬉しくなっちゃって」


 ごめんね、と舌を出して謝る柚木。

 いくら隙が見えたからって、大の大人をからかわないで頂きたい。

 どうやらこの子は、中々のいたずらっ子のようだ。


「それよりもほっちゃん。部屋着、買ってきたよ」


「おっ、それはよかったな」


「今着替えるから待っててー」


 柚木はそう言うと、洗面所の扉を閉めた。

 俺は居間に腰を下ろし、着替えが終わるのを待つ。


「どう? 可愛くない?」


「おお。ジャージか。いいな」


「これなら外出も平気かなと思って」


 上はパープルで下はグレー。シンプルながら、中々にオシャレなデザインだ。よく似合っているし、これなら近場への外出にも十分に着て行けるだろう。


「これでパンチラも気にならないでしょ?」


「うぐっ……気づいてたのかよ……」


「まあね。ほっちゃんわかりやすいから」


 上手く誤魔化せていたと思っていた自分が恥ずかしい。


「ホントありがとね。ウチのためにいろいろしてくれて」


「気にするな。むしろ不要なパンチラが無くて俺も助かる」


「むぅ、JKのパンチラを不要と申しますか」


「非合法だからな」


 相手が乙川先生なら大喜びなのだが。


「あ、そうそう。それともう一つご報告が」


「ご報告?」


「うん、ウチの体質に関することなんだけどね——」

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