第3話 迷惑

「あのさぁ、困るんだよね。用もないのに呼ばれちゃさぁ」


 玄関前。アパートの鉄格子に身体を預けたその警官は、気だるそうに愚痴を吐いた。胸ポケットから電子タバコを取り出すと、怒りを誤魔化すようにそれを吸う。


「こっちだって暇じゃないんだよ。まったく」


「タバコ、勤務中に吸っていいのかよ」


「電子だからいいの。匂いも無いしバレないバレない」


「そういう問題かよ……」


 はぁー、と盛大に煙を吹かすあたり、相当ストレスが溜まっているようだ。その迷いのない非道っぷりは、学生の頃から何ら変わっていない。


 というのも、俺はこの警官を知っている。

 佐久間さくま倫太郎りんたろう。それがこの汚職警官の名だ。


 茶色く染められた短髪に、ガラの悪い目つき。それに相応しいソース顔のイケメン面は、本来法と秩序を守るためにあるその制服を、見事に台無しにしていた。


 佐久間と俺は高校の同級生であり、地元に帰った際には、たまに二人で飲みに行くような間柄だった。


 それでもここ2、3年は、連絡を取っていなかったから、どこにいるのかすら知らなかったが。まさか東京に転勤してきていたとはな。


「で、電話よこしたのはどこの誰」


「あれだよあれ。あそこにいる狂人」


 俺は迷いなく、佐久間の乗って来た自転車をまさぐる九条さんを指差した。

 子供のように目を輝かせながら、車体の周りをグルグルしているからして、どうやらあの人は好奇心の化身らしい。


「そんなに見て面白いか? あのチャリンコ」


「まあ、警察の私物だからな。一般人にとっては珍しくはある」


「ほーん」


 と、九条さんの興味は自転車から俺たちへ。

 早足で駆け寄って来たかと思えば、タバコを吹かす佐久間に詰め寄った。


「なあなあ! 銃はないのか銃は!」


「銃? ああ、銃ならここに——」


「それっ、ちょっとだけ見せてもらえないだろうかッ!」


 今度は何を言い出すのかと思えば……はぁ、本当にこの人は。


「いや、どう考えても無理でしょうよ。んなことしたら、オレの首が飛ぶわ」


「飛ばないようにするから! ちゃんと人いない方に向けて撃つから!」


 撃つのかよ……。だったらなおさら手にしちゃダメだよ。


「あんたみたいなヤバい人に渡せないっての」


「むぅ~、ケチだなぁ。発田さんの友達は」


 頬を膨らませた九条さんは、不服そうに眉を顰める。

 むしろ佐久間は普通の人よりも、その辺りの判断が緩い人間だ。そんな佐久間が苦虫を噛んだような顔をしているのだから、九条さんのイカれ具合がよくわかる。


「じゃあせめて、その帽子をボクに貸してくれよ」


「帽子……? まあ、そんくらいなら」


「本当か!」


 わーいわーいと、ぴょんぴょこ飛び跳ねる九条さん。

 そうやって不用意に動かれると、俺としては目のやり場に困る。下は最悪パンツがあるからいいとして、上はノーブラだと言っていた。


 もし何かの拍子でポロったら。

 そんな不安が脳裏に湧いて、俺は気が気でなかった。


「で、あの人はなんで110番したの」


 帽子を被って満足そうにする九条さんを尻目に、佐久間は言った。


「何か事件があったとも思えないけど」


「それは……」


 親しい相手とはいえ、佐久間は警察官だ。

 教師という立場がある以上、事実を口には出来なかった。


「まあ、何でもいいけどさ。いたずらだけは勘弁してくれよ」


「あ、ああ。悪かったよ、呼び出して」


「オレだったからいいけどよ。もし他の警官だったら確実に説教されてたぞ、お前」


 27にもなって、警官に説教されたくはない。

 不幸中の幸いに安堵する俺に対し、相変わらず九条さんは警察の帽子に釘付けだった。


「じゃ、オレ戻っから」


 そう言って電子タバコをしまった佐久間。九条さんの元へと歩み寄ると、後ろから盗むようにして帽子を剥ぎ取った。取られた本人からは、不満の声が漏れる。


「あんまり問題起こすなよ。めんどいから」


 そんな言葉を最後に、佐久間は自転車で去って行った。


 その後ろ姿を見て思う。

 やっぱりあいつには、警察の制服は似合わないと。


 *


 九条さんと別れ、部屋へと戻る。

 複雑な気持ちのまま居間に向かえば、柚木は隅っこで体育座りをしていた。


「警察、帰ったぞ」


「うん」


 膝元に顔を埋める柚木に、最初ほどの元気はなかった。


 九条さんが来たぐらいからだろうか。

 元から騒がしい子ではなかったが、それでも俺と二人の時の彼女には、女子高生らしい快活さがあった。それが今は、別人のように大人しい。


「ごめんね、ほっちゃん」


「どうしたんだ、急に」


「迷惑……掛けちゃって」


 ああ、なるほど。そういうことか。

 だからこの子は、露骨に元気がなくなったのか。


「何かお礼したかっただけなんだけど、まさかこんなことになるなんて……」


「まあ、確かに迷惑っちゃ迷惑だが」


 俺はそう言って、柚木から少し離れた場所に腰を下ろす。


「子供ってのは、大人に迷惑をかけて成長するもんだ」


「そう、なのかな」


「ああ、だから気にしなくていい。それよりもお前は、ここから出た後のことを考えろ」


 今の柚木には、少し酷な言葉かとも思った。

 でも、だからって甘い言葉をかけたところで事態は好転しない。


 この子は考えなければならないのだ。

 パパ活に頼らず、自分自身の力で生きていく方法を。


「ホントどうしようね。この先」


「ひとまずは渡した金があるだろ。それが尽きるまでに真っ当なバイトでも見つけるか、無理そうなら児童養護施設にでも行ってみるといい」


「やっぱそうなるよねぇ」


 力なく笑った柚木は、未来を憂うような面持ちで続ける。


「ウチさ、実は前にちょこっとだけ居たことあるんだよね。養護施設」


「そうなのか?」


「でもさ、あそこってほら、雰囲気とかもろもろ家族っぽいじゃん? だからさ、あんまり肌に合わなくて。戻しちゃうんだよね」


「戻すってのは……」


「もう、JKに言わせないでよ」


 眉を顰めた柚木は、口の前で手を開いたり閉じたりした。

 戻す……つまりは、吐いてしまうということだろう。


「他にも眠れなかったり、周りに馴染めなかったりでさ。正直言って住めるような状態じゃなかったんだよね。だから、こうなってるっていうか」


 どうしてこんな子がパパ活に手を出したのかと、少し疑問に思っていたが。まさかそんな事情があったなんて。


 そこまで彼女を追いつめる要因は……そう考えた時に真っ先に浮かんだのが、やはり『両親がいない』という一般的とは言えない環境だった。


「ウチも出来れば真っ当に生きたいなって思うんだよ? でも、身体がそれを受け付けなくてね。気づいたら、知らないおじさんにお金を貰うようになってた」


「柚木はいつからパパ活をするようになったんだ」


「半年くらい前かな。その前は施設に居て、その前は……」


 途中で言葉を切った柚木は、何かを誤魔化すように笑った。


「とにかくね、ほっちゃんには凄く感謝してるの。どこの誰とも知らないJKに、優しくしてくれてさ。ましてやお金までくれて。もうなんてお礼したらいいかわかんなーいって感じ」


「別に、感謝されるようなことは何もしてない。むしろ俺は教師の端くれとして、本当ならお前の救いにならなきゃいけないんだ。なのに……」


 なのに、そうすることはできない。

 俺には覚悟が無いのだ。女子高生一人を救うために、全てを懸けるその覚悟が。


「わるいな、力になってやれなくて」


「ううん、いいの。もう十分すぎるくらいに助けてもらったから」


 よっ、と立ち上がった柚木は、両手でスカートのしわを伸ばす。


「じゃあウチ、今度こそ行くね」


「ああ、気を付けてな」


「うん。ありがとね、ほっちゃん」


 タシ、タシ、と、静かに俺の前を通り過ぎていく。

 ガチャリと開かれた玄関の扉。柚木がいなくなったその静寂には、肌をひっかくような無力感とやるせなさだけが残った。

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