第1話 おじさんとJK
そのギャルは、昨日と同じ制服を着ていた。
「おまっ……なんでここに?」
「なんでって。おじさんに会いに」
「なんで女子高生がおじさんに会いに来てんだよッ!」
ビビッと、寝起きの頭に電気が走った。
二日酔いで急に叫ぶもんじゃない。
「だっていっぱいお金貰っちゃったし、なんか罪悪感わいちゃってさ」
「金貰って罪悪感を覚えるような奴が、パパ活なんてすんなよ……」
「あははっ、その通りだね」
「その通りだねって……はぁ……」
ため息しかない。
寝起きの頭にこの状況は荷が重すぎる。
「で、昨日はちゃんと帰ったのか」
「もちもち、あそこのネカフェ泊まったよ」
「あそこの……?」
ギャルが指差したのは、家の近くにあるネカフェだった。
「いや待て。そもそもなんでここに居る?」
「そりゃあついてきたから」
「ついてきた? 俺に?」
「そそ」
全くもって意味が分からない。
「なんでまた」
「あんなにお金貰っちゃったからね。何かお礼しないと思って」
「別にそんなつもりで金を渡したわけじゃないぞ」
「おじさんがそうでも、ウチの気が収まらないの」
ギャルはそう言うと、おもむろに靴を脱ぎだした。
よく見れば、その手にはレジ袋が握られている。
「とりま、おじゃまするよーん」
「ちょ、おじゃまするって……」
俺と壁の隙間をスリスリッと抜けていくギャル。
ふわりとシャンプーの香りが鼻孔に届いた。この感じからして、ちゃんと風呂には入れたらしい……なんて、今はそんなことを考えている場合ではない。
「うわぁ、さすが男の独り暮らしだねー。散らかっとる散らかっとる」
「感心してる場合か! 何勝手に入ってるんだ!」
「えー、おじゃまするって言ったよ?」
「ハイどうぞがまだだろ! ハイどうぞが!」
俺の言葉を気にも留めず、台所の前に立ったギャル。
レジ袋を床に置くと、中から食材らしき物を取り出し始めた。
「ねぇ、おじさん。味噌はある?」
「冷蔵庫に……じゃない。はよ帰れ!」
「おっけーい」
これは……まずいことになった。
向こうから勝手にとはいえ、女子高生を家にあげてしまった。仮にもこれが世間様にバレたら、きっと大変なことになる。懲戒免職まちがいなしだ。
「おじさん寝起き感ヤバいし、とりま歯磨いて顔洗ったら?」
「んなことどうだっていい。何してんだよお前は」
「何って、味噌汁作ってる」
なんで知らんおっさんの家で味噌汁作ってんだこの子は。
「お玉は?」
「その上の棚」
「ほーい」
考えれば考えるほど訳が分からん。
段々とアホらしくなってきた。
「アサリの味噌汁。二日酔いに効くと思ってさー」
「材料買ってきてくれたのか」
「そそ、昨日のお礼」
その好意は素直にありがたいが。だからって現状を良しとするほど、俺は人生を捨てちゃいない。
「それ作ったらすぐに出てけよ」
「わかったわかった。あ、でも、味の感想は知りたいかも」
「じゃあ……食べ終わったらすぐに出てけ」
「ほいほーい」
「はぁ……」
俺は一つため息を吐いては、洗面所に向かう。鼻歌を奏でながら台所に向かう彼女の長い金髪は、ヒラヒラと上機嫌に揺れていた。
*
「で、名前は」
「
「どっから来た。出身は」
「東北……って、そろそろその質問責めやめにしない?」
台所でチラリと振り返った柚木は、困ったように笑いそう言った。
「もっと楽しい話しようよ。あ、しりとりでもする? りんご」
「勝手に始めるな……」
これが女子高生のノリなのだろうか。
少なくともうちのクラスに、こんなフレンドリーな子はいない。
「ご両親は……そういやいないんだったな。親戚は」
「いるにはいるけど、仲良くはないかな」
「じゃあお前が今、ここにいることも知らないのか?」
「どうだろうね」
投げやりな感じでそう言った柚木は、味噌汁の味見をする。
「よしっ、良い感じ。お椀どこー?」
「その左の棚」
俺の質問をことごとく受け流すからして、あまり素性を明かしたくはないのだろう。俺だって気分を害したくは無いから、これ以上無理に聞く気はない。
この子とは今だけの付き合いだ。
何も聞かずに味噌汁飲んで、さっさと出てってもらおう。
「ほい、お待ちどうさまー」
そんなこんなしているうちに、味噌汁が運ばれてきた。
テーブルに置かれた瞬間、ふわっと出汁のいい香りが届き、食欲を煽る。
「お前は食べないのか」
「うん、ネカフェで朝ごはん食べたから」
「そうか」
ちゃんと食べたならそれでいい。
俺は両手を合わせ、小さく「いただきます」と呟いた。
一口、啜ってみる。
次の瞬間、舌の上にうま味の電撃が走った。
所詮は女子高生の作った味噌汁だ。なんて、甘く考えていた俺が馬鹿だった。
美味い……ビックリするくらい美味かった。普段食べるインスタントとはわけが違う。
「どう? おいし?」
「美味い、めっちゃ美味い」
「そっか! ならよかった!」
こりゃあ10万円払った甲斐がある。とまでは言わないが。女子高生の急な来訪を許したリスク分は、十分回収させてもらったなって感じだ。
「はぁ、ごちそうさん」
「お粗末様でしたー」
モノの数分で味噌汁を間食し、俺は幸福の吐息を漏らした。食べてる姿をじっと見ていた柚木は立ち上がると、今度は率先して片づけを始める。
こうしてみると、よくできた子だなと思う。
その派手な見た目にそぐわず、人当たりがよくて律儀だし。パパ活をしている部分を除けば、一般的な女子高生と何ら変わりはない。
「どうしてパパ活なんてしてるんだ」
最後に一つだけ。
そんな思いで、俺はその質問を口にした。
「昨日も言ったけど、お金がほしいの。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「じゃあ……」
じゃあ、アルバイトをすればいいだろ。
言いかけたその言葉を、俺はすかさず飲み込んだ。
一人暮らしはそう甘くない。
そもそも、身元不明の女子高生に物件を貸す不動産は少ないだろうし。例え家が見つかったとしても、一人で全ての生活費を賄うには、相当な苦労が付きまとう。
「親戚の家に世話になるわけにはいかんのか」
「まあ、無理だろうねー。そもそもウチが認知されてるかすら怪しいし」
よしっ、と声を漏らした柚木は、俺に向かってひょいと手を上げる。
「じゃあ、そろそろ行くね。お金、ホントに貰っちゃっていいの?」
「ああ。その代わり、出来る限りパパ活はするな」
「わかった。お金があるうちは何もしないよ」
俺はよいしょと立ち上がり、柚木の後を追って玄関に向かう。
靴を履きながら、柚木は思い立ったような顔をした。
「そうだ。おじさんの名前、まだ聞いてなかった」
「別にいいだろ、名前とか」
「いいから、教えてよ」
「……
「じゃあほっちゃんだ!」
なんで俺の学校でのあだ名を知ってるんだよ。
あれか。女子高生の特殊能力か何かか。実はどこかで、思考が繋がってたりするのか。
「じゃあね、ほっちゃん」
「おう。気を付けてな」
にっと笑った柚木が、玄関の扉を開いた。
その瞬間——ガゴンと鈍い音が鳴って扉は止まり、「いでっ!」という声が扉の向こうから聞こえてきた。嫌な予感が全身を走る。
今、完全に人の声がした。
俺たちは無言で顔を見合わせる。そして、再び柚木が扉を開くと。
「もぉ~、開けるなら開けるって言ってよぉ……お?」
そこには額をさすりながらぼやく、丸眼鏡の女性がいた。女性は俺たちに気づくと、ひょっとこのような顔で停止する。
終わった……その思考を最後に、俺の頭は真っ白に。続けて血の気が波のように引いて、額からは冷や汗が溢れ出る。
それは柚木も同じようで、口を開けたまま固まっていた。
やがて目を丸くした女性は、俺たちの間で視線を一往復。
そして確認するように呟いた。
「おじさんと、JK?」
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