『異端の中の異端』 (中)


 ある日の集会で、まだ若い、チャーミングなアリスさんが言った。


 『あなた、マゼールさまとウィーン・フィルのマーラーは聴いた?』


 『まあ、一応は。』


 『どう思った?』

  

 『そりゃ、オケはうまいし、完璧だろうな。でも、なんか、共感できなかったんだ。』


 『なぜ?』


 『さて。なぜ? マーラー先生の音楽って、ある意味危機的なんだよな。安心して聴けるマーラー先生は、逆説的だけど、何故だか内面に響かないのかも。でも、それは、ぼくが、危機感を勝手に望んでいるのかもなあ。』


 『社会のなかでも?』

 

 『うんだ。矛盾だけどね。社会に埋没した方が、たぶん、生きやすい。あえて、異端者なんかやるか?』


 『でも、歴史上、異端を貫いた人は沢山あるよ。殺された人も多いよ。長崎でも、カタリ派でも。』


 『うんだ。この国では、ある意味、生かさず殺さずなんだ。生殺しだな。それでも、無事に異端でいることが可能なんだ。』


 『あたしは、だから、こんどは、60点を越そうかと思う。』


 『そりゃ、立派だけど、厳しいよ。きっと。』


 『わかってるわ。』


 アリスさんは、やがて、次の異端審問で、60点を遥かに越して逮捕され、それから、消息を絶ったのだった。


 ぼくは、自分は、単なる偽善者に違いないと思った。


 しかし、偽善ではあっても、果たして音楽を聴けない環境に進んで入る勇気はあるか?


 いや、やはり、無かったのである。

   

      👹

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