第55話 いつも一緒だよ

「そういえば、雪愛は何か聞きたいことあるか?」

「え?」

「いや、俺が話してばっかだったからさ」

「……いいの?」

「ああ、もちろん」

 あの後、しばらく二人は抱き合っていたが、次に目を合わせたとき、キスをして、それを合図にするかのように、二人とも腕を解き、元の位置に戻っていた。


 雪愛は春陽に言われ、すぐに二つのことが思い浮かぶ。

 話を聴いているときから気になっていたことだ。

 だが、どちらもかなりデリケートな部分で、軽々しく聞いていいことではない。

 春陽を見ると、柔らかい表情で雪愛を見つめている。

 雪愛は、意を決して一歩踏み込んだ。

「……春陽くんは本当のお父さんのことは聞いてるの?」

「いや、全く知らない。どこの誰だかわかんないままだな」

「気になったりはしない?」

「別に。興味ないかな」

「そっか……」

 春陽の素っ気なくも感じる答えに雪愛の表情が曇る。

 自分の父親のことをそんな簡単に割り切れるものなのだろうか。

 知ったところでどうにもならないと諦めているのだろうか。

「そんな顔しないでくれ。本当に知りたいと思ったことはないんだ。それに意味があるとも思えなくてな」

 そんな雪愛の様子に春陽が言葉を重ねる。

「うん……ごめんね。……春陽くんは、この間、美優さんに会うまで、ご家族とは誰とも会っていなかったんだよね?」

 雪愛はもう一つを聞くことにした。

 こちらは話を聴いていてどうしても腑に落ちなかった点だ。

「ああ、誰とも会ってなかったよ。三人ともどこにいるかも何をしているかも知らなかった」

 直哉のことを家族、と言っていいのかは微妙だけどな、と思い苦笑してしまったが。

「美優さんと話したのは、離れ離れになった後のことと最近のこと、だったんだよね?」

「ああ」

 雪愛が確認するように聞くので、春陽は思い出しながら美優と話した内容をできるだけ雪愛に伝えた。

 雪愛を悪く言われたことだけは伝えなかったが。

「美優さんがどうしてきたかとか美優さんの最近のことは何か聞いたのかな?」

「いや、向こうから色々聞かれたことにこっちが答えたって感じで、俺から何かを聞いたりはしなかったな」

「……なんだかね、話を聴いていて思ったの。美優さんは春陽くんのことを本当に、その、……嫌っていたのかなって」

 言い難そうに雪愛は言葉にした。

「……どういうことだ?」

 雪愛は自分の推測になってしまうけど、と断りを入れて、話し始めた。


 美優はずっと春陽に優しかった。

 だからこそ春陽もお姉ちゃん子だったと自分で言えるほど美優に懐いていた。

 そんな相手が内心ではずっと春陽を嫌っていたというのが雪愛にはどうしても腑に落ちなかったのだ。

 それよりも。

 静香の嘘を吐くやり方。

 それがご飯の量の話だけではないとしたら。

 そんな些細なことでも嘘で塗り固めるくらいなのだ。

 春陽が目にした限りでも、静香は美優に対する態度と春陽に対する態度であまりにも違いすぎる。

 それを美優の前ではずっと隠していたのだとしたら。

「美優さんは勘違い……ううん、お母さんの言葉で春陽くんを、……恨むように、憎むように……誘導されちゃったんじゃないかな、って」


「……けど、この間も嫌われてるのは変わりなかったぞ?」

 雪愛とのことで嫌味を言われたのだ。

 それは間違いないだろう。

「うん、だからあまり自信がないんだけど……。春陽くんのことを色々聞いたのは、美優さんもお母さんのこととか色々知ってて、それだけ心配していたからじゃないかって思ったんだけど……」



 雪愛の言葉を受けて、春陽はあらためて、美優と話したときのことを思い出す。


 あの時は、体調が悪かったこともあり、聞かれたことに答えるだけで精一杯で深く考えたりできなかったが、美優も静香のことをあの人、と蔑むように呼んでいた。

 加えて、『あんた、あの人とか私にされたこと忘れちゃったの?』だ。

 美優は、静香がしてきたことを知っている、のかもしれない。

 それに、確かに話の流れは春陽を心配している、という風に取れなくもない。

『いいね、あんたは楽しそうで』

 春陽が今、バイトして一人暮らしをしていると話したとき、美優は確かにそう言った。

 今にして思えば、そこに楽しそうなんて感じる要素はないのではないだろうか。

 もしも、そんなことを楽しそう、と感じる状態に美優がいるとしたら。


 静香が自分のことしか考えていない人間だということは十二分にわかっている。

 大きくなって思うのは、直哉もその傾向があったということ。

 そんな相手とずっと暮らしてきたとしたら……、美優は思った以上に辛い生活をしてきたのだろうか。


『その彼女も内心どう思ってるかわかんないでしょ?あんたのこと裏切るかもよ?』

 彼女裏切る、それは美優自身、春陽を裏切ったと考えているということだろうか。


 美優の言葉を良く受け取り過ぎな気もする。

 単に世間話に始まり、春陽に嫌味を言っただけという可能性が高いと春陽は思っている。

 けれど、雪愛の言葉を考えすぎと切り捨てることは春陽にはできない。

 だから。

「……連絡先はわかってるし、今度もう一度会って話してみるよ。まあ、向こうが会ってくれればだけど」

 春陽は雪愛の言葉を信じる方を選択する。

 もう一度会って、今度は美優の話を聞いてみよう、と。

 それでどうなるかはまったくわからないが、今より悪くなることはないだろう。

「春陽くん……。うん!…私にできることなんて何もないかもしれないけど、それでも、何かあったら何でも言ってね。すぐに駆けつけるから!」

 何かあればすぐに駆けつける、何とも男前なその言葉に春陽は思わず笑ってしまう。

「くくっ、ありがとう」

「どうして笑うの!?」

 雪愛は本気で言ったのに春陽に笑われ、心外だと頬を膨らませる。

「悪い。あまりにもかっこいい言葉だったからつい。雪愛が何もできないなんてことはないよ。一緒にいてくれるだけでこんなにも満たされた気持ちになれるんだから」

 春陽の不意打ちぎみのまっすぐな言葉に雪愛の頬は萎み、代わりに赤みが差した。

 そんな雪愛に春陽はナチュラルに追い打ちをかける。

「俺も、雪愛に何かあれば、…いや、何もなくても、雪愛が求めてくれたらすぐに駆けつけるから」

 春陽は、花火大会でも海の家でも、いつも雪愛が声に出さなくても駆けつけてくれている。

 春陽からそんなことを言われた雪愛は春陽への想いが飽和してしまい、春陽の胸へと抱きついた。

「おっ、と…」

「うぅぅ………うぅぅぅ……」

 言葉にならないのか、雪愛は抱きついたまま、春陽の胸に頭をぐりぐりしながら可愛い声で唸っていた。

 そして今、奇しくも雪愛の耳は春陽の胸に押し当てられた形になっている。

 さっきとは逆だなと春陽は柔らかな笑みを浮かべると、雪愛を抱きしめ返し、その頭をそっと撫でるのだった。


 その後、遅めの昼食をどうしようかという話になったときに、二人は少し揉めた。

 と言っても、雪愛が作ると言って、春陽が申し訳ないから、と断るという構図で、一種のじゃれ合いだ。


 最終的には、春陽が宅配ピザを頼むことで落ち着き、併せて、雪愛が昨日作ってくれたスープの残りを温め、二人で食べることになった。

 食べているときのこと。

「ねえ、春陽くん」

「どうした?」

「今回はお見舞いってことで春陽くんのお家に来たけど、お見舞いじゃなくても、これからも来てもいいかな?」

「いいけど、こんな何にもない部屋来てもしょうがなくないか?」

「うーん、あのね?こうして春陽くんとゆっくり話せるだけで私は嬉しいんだよ?」

「っ、それはまあ、俺も雪愛とこうしているだけで全然いいけど……」

「それにね、春陽くんにちゃんとしたご飯作ってあげたいなって。風邪引いちゃったし、栄養のあるもの食べてほしいなって思って。春陽くんの食事やっぱり心配だから。このお家食べられるものカップ麺しかなかったんだもん」

「いやいや、そんなのマジで悪いから!カップ麺だけじゃなくて弁当とかも買って食べたりしてるから!」

「……駄目?時々でいいから私が作ったの食べてほしいなって思ったんだけど……」

「駄目とかじゃなくて。そりゃ雪愛の作ってくれるものは弁当も、今回のおかゆとスープも、どれも全部美味かったけど――――」

「ありがとう!ふふっ、私が作った料理を春陽くんが美味しいって言って食べてくれるのすごく嬉しいんだ。もっとしたいって思っちゃうの」

「……はぁ。ありがとうはこっちの言葉だから。……わかった。でも雪愛の負担にならないようにしてくれ。後、その時は、材料費は俺が出すから。これは譲れない」

「むぅ。気にしなくていいのに。でもそうやって気遣ってくれるのも嬉しい」


 こうして、時々雪愛と春陽は、春陽のバイトが休みの日に、二人でスーパーに買い出しに行き、雪愛の作った料理を一緒に食べるという時間を過ごすことになる。

 スーパーで食材の入った買い物かごを持ってレジに行った際に、レジのおばちゃんに生温かい目で「あらあら、まあまあ」と揶揄うように言われ、雪愛が嬉しそうに、春陽が恥ずかしそうにする、ということがあるのだが、それはまた別の話だ。


 夕方、春陽が雪愛を送っていこうとしたが、「春陽くんは病み上がりなんだから駄目だよ。それに私ちょっと寄りたいところもあるから」と雪愛が断り、暗くなる前に帰っていった後、春陽は自分の部屋の小さな変化に気づいた。

 テーブルの角に、小さなシールが貼ってあったのだ。

 それは、春陽と雪愛が撮ったプリントシールだった。

 シールの中で春陽と雪愛が笑っている。

 見れば、春陽の分のシールが一枚なくなっていたので、それを貼ったのだろう。

 春陽の口元に思わず笑みが零れる。

 だが、それだけではなかった。

 洗面台に立ったとき、鏡の縁に同じように二人が写ったシールが貼られていた。

 春陽が持っていたものではない。

 雪愛は自分の分をわざわざ家から持ってきて、貼ったようだ。


 その日の夜、春陽が雪愛に電話して、気づいたことを言うと、

「えへへっ。すぐ見つかっちゃったね。いつも一緒だよって伝えたくて」

 昨日春陽の部屋でシールを見て、雪愛は今日自分の分を持ってきていた。

 最初はどこかに貼らないかと提案しようと思っていたらしいが、春陽が一緒にいてくれるだけで――――と言ったことで、サプライズでしようと思ったそうだ。


 嫌だったら剥がして?とも言われたが、当然春陽は剥がさなかった。

 春陽の無色だった部屋が僅かに、けれど確かに色づいたのだった。


 そうして、夏休みが終わり、春陽達は新学期を迎えた。

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