第34話


「こちらの靴はイタリア製でございます。当店の自慢の商品となっております」


革靴の生産国を訊ねられたので、そう答えた。


ダイアンは値が張るが、日本製や、イタリア製のものもある。


秋のフェアが始まって、フロアにはお客で溢れかえっていた。


本社からの助っ人も来ている。


生産国を聞いたお客は、満足そうに革靴を買い、ノベルティであるエコバッグを貰って去っていった。


店内は次々と客が来て、従業員は忙しく動いている。フェアが始まってからの売り上げは、今までの八倍になった。


フェアが終われば歳末セールまでまた暇になるだろうけれど、客は来てくれるという自信があった。


もう、沙耶はいないから。


忙しさに疲れもするが、体調は今までになく好調で、血色がよくなったと朝岡や蓮美、迫田、深沢に言われた。この調子で、歳末セールも乗り切れそうだ。


発注しておいたB56番も飛ぶように売れ、また売り切れになった。


在庫を確認しても、どの色ももうどこにもない状態だ。みんな忙しそうに接客をしている。深沢は正社員として働くことが決まってから、今まで以上に、やる気を見せている。


フェアの間は迫田にも休日は朝から、大学が終わってからはすぐ来てもらうようにしていた。


客の前では言葉遣いは丁寧だし、レジからノベルティを渡すまでの流れも器用にこなす。社員に遅番も早番も関係なくなる。恭介も朝岡も朝から夜まで働きどおしだ。朝岡は、相変わらずクリーナーやブラシなどの小物を恭介の許可なく売りつけていた。

売り上げに繋がるから、恭介も黙認している。


だが、忙しすぎて助っ人は去年と同じように泣き出しそうな顔をしている。恭介も気持ち的には泣き出したい忙しさ。これが本来の、恭介のいるダイアンの姿だ。


元に戻っただけ。だが、どことなく心に穴が開いたような感覚にとらわれる。


近く、蓮美は恭介の部屋に引っ越してくる予定だ。フェアが終わったら指輪を買いに行こう。


フェア最終日には、より一層多くの客が来た。さすがに一週間も経つとみんな疲弊している様子で、普段は飄々としている迫田が珍しく根をあげていた。


「きついっす」

「頑張れ」


午後六時。そっと言って、背中を押す。朝から来ているバイトや助っ人には昼休憩の他にも、十分ほどの休憩を二回取ってもらっている。


恭介も流石に体が重く感じられるようになってきた。


八時五分前になって「蛍の光」が流れ始める。それでも滑り込んでくる客が何人かいて、対応に追われた。最後の一人の客が帰ると、集まってくれたみんなに頭を下げた。


「皆さんのおかげでこの忙しいフェアを乗り切ることができました。どうもありがとうございました」


拍手が起こる。朝岡も聞いているのだろうが、忙しそうに出しっぱなしになっている靴の後片付けをしていた。八時半になっても片づけは終わらない。迫田と助っ人を帰して、朝岡と二人で残る。今日はさすがに残業だ。


レジ締めをし、売上金を金庫に入れた後で、靴の片づけと陳列棚の整理、品出し、在庫管理をする。一通り終えるころには九時半になっていた。


「お疲れ様です」

「お疲れ」

「忙しくて死にそうになりましたけど、お客が来てくれて本当によかったです」

「これも朝岡君のおかげなんだろうな」


沙耶がいたら、多分フェアは成功しなかっただろう。


「俺はなにもしていませんよ」

「いや、色々してくれただろ」

「じゃ、お先に」


朝岡が店を去る。


「また明日」


恭介は一人で、薄暗くなったフロアの中を見渡していた。ここで十年世話になった。


これから、どうしようか。迫田や深沢のことを心配していたけれど、自分のこともまた、考える時期に来ているのかもしれない。


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