第33話


だが。だが、沙耶はすぐに生まれ変わることができる。なら俺は。


恭介は考えた。もし許されるならば、俺も父親として、やり直すチャンスが欲しい。

でも一番は、沙耶が選択することだ。そして蓮美の意思も当然ある。


一人では決められないし、沙耶が選択するまではなにも言えない。


「沙耶、どうする」


まずは沙耶の意見を聞いてみることにした。


沙耶は困惑した表情で恭介を見て、それから地蔵菩薩を見る。


「いきなり言われても、どうすればいいんでしょう。選ばせていただけるだけありがたいですけれど、私は神様になんかなりたくありません。だから一番目は却下です。神様にそうお伝えください。それから、二番目。仏様に導かれて、極楽へ行くとどうなるのですか」


「これまでお世話になった人にお別れを言います。あなたを死に至らしめた青天目啓二さんのところへも挨拶へ行くことになります。そのあと数十、数百年は沙耶さんの姿のまま、極楽で暮らします。極楽は人間にとっていいところですが、解脱するわけではないので、生前の苦しみはそのまま引きずります。そこを我々仏が救済に入るのですが、それでも薄皮をはぐように少しずつ、少しずつ、心の膿を取り除いていく感じです」


「それも辛いかな……」


沙耶は呟いた。


「神々と我々で一致したのは福田恭介さん岡田蓮美さん、お二方との間の転生です。これは沙耶さんが生まれる遥か前から善行を繰り返してきた、特典のようなものです」

「記憶は引き継げませんよね」

「はい。忘れて一からやり直します」


沙耶はそのまま考え込んでしまった。なにも言わずにいる。


「沙耶ちゃんが三番目の選択肢を選んでも私は別に構わない」


蓮美がはっきりとした声で言った。


恭介も別に構わなかった。今四十七。生まれるころには四十八、九。


「蓮美は大丈夫なのか。その、体力や年齢的なものは」


四十近い。今から妊娠となると、蓮美の体にも負担がかかるはずだ。


だが蓮美は微笑んだ。


「平気よ。仏様のお墨付きだもの。でしょ?」


蓮見は地蔵菩薩に訊ねる。


「そこは保証いたしましょう」


沙耶が二十歳になったら六十七、八。この時ばかりは定年が遅くてもいいと思った。


定年後もどこかで働けるように健康でいよう。


心の底にあった感情が、表に突き抜けて出てくる。もう、迷わない。


「蓮美、結婚しよう。今は指輪もないけど、いずれ買う」

「はい」


蓮美はあっさり、素直に答えた。


「沙耶、俺たちの子供になれ」

「え。でも……いいんですか」


恭介は頷くと、天井を見上げて叫んだ。


「あゆみ。お前ももう一度俺の子になれ! 頼む。父親としてやり直させてくれ。俺も勉強し直させてくれ。これは最大のチャンスなんだ。二人一緒に面倒を見てやる。もう、二人とも二度と泣かせない。蓮美と二人なら大丈夫だ。絶対に、絶対に、絶対に幸せにしてやる。二人がやりたくてもできなかったこと、させてやる。進学もさせてやる。沙耶もあゆみも、大好きになった人とちゃんと結婚させてやる。俺は反対なんかしない。お前たちの恋に、反対なんてしない。仮に暴力男と付き合う羽目になったら、撃退してやる。親としてできる限り、生きたい人生を送らせてやる。担任に暴言も言わせない。いじめにあったら徹底的に解決する。蓮美も俺もちゃんと育てる。だから沙耶もあゆみも、安心して俺たちのもとに来い!」



恭介は泣きながら叫んでいた。神様仏様。俺にも、父親としてもう一度やり直すチャンスをください。娘二人を、幸せにさせてください。そう何度も心で唱える。

姉妹として生まれてきたとしても、二、三歳差。大丈夫。健康でいられるよう努力しますから、お願いします――。



空気がビビッと震えたような気がした。多分、あゆみが驚いているのだろう、と直感的に思った。恭介は立ち上がると、朝岡の顔をした地蔵の前に回り込み、土下座をした。


「地蔵菩薩様。どうかあゆみも転生させてください。もう一度俺のもとへ来ていただけますよう、お願いします……」


しばらくの沈黙があった。それから地蔵菩薩はため息をつき、言った。


「いいでしょう。私たちの世界、都合で沙耶さんを彷徨わせ続け、あなた方の許可なく私たちが勝手に決めたことです。願を一つ、聞き入れて差し上げましょう。でも、私たちはいつでも見ていますからね」


いつでも見ている。子供を不幸にすることはできない、ということだろう。


「沙耶、それでいいか?」


沙耶も涙を流していた。そうして、笑った。


「はい。はい! 恭介さんと蓮美さんのもとで、生きさせてください。やりたいこと、たくさんやらせてください。天水沙耶としてできなかったことを、やらせてください」

「あゆみはどうだ?」


再び空気がビビッと震える。


「――行く、と極楽より申し上げております」

「なら来い! ためらわずにまた俺の子になって人生をやり直せ!」


空気は震えたままだった。あゆみは驚いている。そんな気がする。


しばらく空気は震えたまま、沈黙が続いていた。


「あ。すみません」


沙耶は恐る恐る手を挙げた。


「私の死んでしまった赤ちゃんはどうなるんですか」

「赤子と子供、ある程度大人になった方とは行く場所が異なりますので。あなたの子供も私、地蔵が救い、面倒を見ます。でもそうですね、もしかしたら将来、またあなたの子供になって戻ってくることもあるかもしれません。これはまだなにも決まってはいませんけどね」


沙耶は笑顔を作った。


「次に妊娠するときは、素直に喜びたいです。そういう環境であって欲しいですし、私と赤ちゃんを、ちゃんと愛してくれる男性と一緒に喜びたいです。今度はちゃんと進学して、しかるべき時期に、そういう男性とめぐり合わせて下さい。暴力はもう、嫌です」

「わかりました」


地蔵菩薩は静かに言う。これで、沙耶もあゆみも消えるのか?


「では、ここで沙耶さん、あゆみさんを生まれ変わりの準備に入らせます。天水沙耶さん、そして福田あゆみさんとして最後の言葉を」


地蔵菩薩は立ち上がると、沙耶の頭に手をかざした。


沙耶も慎ましく立ち上がる。そうして恭介たちを見て笑った。


「福田さん、蓮美さん、朝岡さん。今までありがとうございました。記憶がなくなってもまた会えるのが嬉しいです。赤ちゃんに戻っても、よろしくお願いいたします。あゆみさんも、もし本当に姉妹として出会えるのならよろしくお願いいたします」


その言葉を、粛々と受け止める。


「こちらこそありがとう。幸せにすることを約束する」


あゆみからの返事は分からない。


沙耶は泣きながら微笑んで恭介を見た。そうしてぱっといなくなった。


思わず立ち上がった。追いかけてしまいたいような、そんな気持ちに駆られたのだ。


「これで沙耶さんはいなくなりました」


「あゆみは何と言っていますか」


「沙耶と姉妹になるのはいいけど、絶対幸せにしてよ、と。もう毒親は嫌だと」


「わかった」


「私も毒親にならないよう、気を付ける。そして二人とも大事に育てるから」


蓮美が覚悟を決めたように言った。


「あゆみさん、もう言いたいことはないですね?」


地蔵菩薩が一点を見てそう言う。そうして手を高くあげた。


恭介の感じていた空気の振動が、ぴたりとやみ、静寂が訪れる。


「これで二人とも、いなくなりました。あなた方の知っている、あゆみさん、沙耶さんはどこにもおらず、あるのは魂だけです。魂は一度、連れ帰ります」


それを聞いて、無性に寂しくなった。神仏がかかわると、こんなにもあっさり消えてしまうものなのだ。普通の人間には遠く、できないことだ。


「さて、役目を終えたので、私もそろそろ立ち去ります。いつまでも朝岡唯人さんの体を借りているわけにもいきませんし」


そうして一礼をする。


「ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします」


深々とお辞儀をする。


すると、急に表情がいつもの朝岡に戻った。


「地蔵菩薩様、出て行きました。俺もちゃんと、話を聞いていましたよ。婚姻届け、今から出しに行ってください。婚姻届けだけは夜間でも土日祝日でも可能ですよ」

「そうなのか?」

「はい。窓口確認して、行ってみてください」

「なら、今すぐ婚姻届け、出しに行くか?」


蓮美に訊ねる。蓮美は嬉しそうな、照れたような顔で、うん、と答えた。


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