第30話


駅ビルの一階、出入り口まで行くと、新村がダイアンの紙袋を手に提げ待っていた。

お客はまだたくさん入り口から駅ビルへ入っていく。


新村を初めて見たのはあゆみの運動会の時だ。あれから十数年。顔が大人になっていて全く分からなかった。でも、よく見れば面影は残っている。今は爽やかな色白系の好青年といったところだろうか。


「夕飯は?」

「まだです」

「一人暮らしか?」

「はい」

「なら、一緒に食事でもしよう」


駅ビルから離れると、階段を下り、外を歩いて隠れ家的なレストランに入った。


ハンバーグを売りにしている。だが、ビーフシチューやオムレツも旨い店だ。


店員が水とおしぼりを運んでくると、恭介はおしぼりで手を拭きながら言った。


「奢るよ。遠慮しないでくれ」

「え、悪いですよ」

「いいんだよ。娘の彼氏だ」


すると、新村は寂しそうに笑った。


「まだ、彼氏でいてもいいですか」

「新村君がいいならな」 


そう言ってメニューを広げる。

新村がハンバーグが食べたいと言ったので、恭介も同じものを頼むことにした。


「でもいきなり俺に会いに来るなんて、本当にどうした」


注文を終え、店員が去ったあとで落ち着いて言うことにした。


「……あゆみさんが亡くなって三年経ちましたが、気持ちの整理がつかないんです。お葬式にも行けませんでしたし。自殺の原因も僕は知りません。ただ、やっぱりお母さんがデート中に割って入って、別れさせようとしたことも原因の一つにあるのではないかと、ずっと思っていたんです」


そうだ。あゆみが自殺する最大の引き金となった事件。


「あゆみも相当悲しい思いをしたみたいだ」

「でも僕は、別れる気なんてなかったんです」

「明絵は――俺の元妻はどうやって別れさせたんだ」


それは、恭介が新村の視点から知りたいことでもあった。


「僕とあゆみさんの間に本当に割って入って、あゆみさんに十分ほど責め続けていました。僕が何を言っても聞いて下さらなくて。最終的に、別れるって言え! と大声で命令していましたね。それも何度も。あゆみさんはお母さんに恐れをなしたようで、泣きながら僕に別れる、ごめんと言いました。それから引きずられるように帰っていきました」

「元妻はもともとあんなでな。君もびっくりしただろう」


新村は頷いた。

ハンバーグが運ばれてくる。サラダにライス付き。二人で最初にサラダを食べた。


「何度連絡しても出てくれないし。でもその時泣いているんだろうなとは察していました。多分お母さんが出させないようにしたんでしょう。こんなことを言っていいのかわかりませんが、ちょっと僕にとっては信じられないお母さんでした」


「だろう? 俺も参ったよ。若い時はあんなじゃなかった。いや、もともと癇癪持ちだったのを隠していたのかもしれない。離婚して、一度も会っていない。あゆみは、心が折れてしまったって」


「そうなんですね。あの時、僕のことを嫌いになったわけじゃないと知っていましたから、駆け落ち同然で迎えに行くことも考えたんですよ。でも当時は大学生だし、お金もない。僕にはどうすることもできなかった」


「明絵は怒鳴りだすと手が付けられないんだ。でも、父親である俺も、あゆみをどうして守ってやれなかったのだろうと後悔している日々だよ。本当にね。君にもあゆみにも、謝りたい。すまなかった」


「お父さんが謝ることでは。でも、三年経った今も、あゆみさんのことが忘れられないんです。自殺と聞いた時はショックで頭が真っ白になりました」


言ってハンバーグをナイフで切って食べている。


「こうして、向き合って食事をすることももうできない。彼女の笑顔が好きでした。小さい頃から。それが、無理やり泣きながら別れることになって。あの泣き顔が今でも忘れられません」

「それだけ娘のことを大切に思ってくれていたんだね。ありがとう。娘も君と再会できて幸せだったんじゃないかな。多分、忘れられなくてもいいんだよ」


ポタリ、と目の前のテーブルに水が滴った。見ると新村は泣いていた。


「わかっているんです。全部わかっているんですよ。忘れられなくていいことも、自分の人生を生きて行かなければならないことも。でも、どうにもならない感情が毎日のように溢れてきて。仕事をしているときは集中して忘れていますが、仕事が終わると腑抜けたようになって。せめて生きてさえいてくれれば、迎えに行けました。今ならもう働いていますし。彼女と幸せになりたかった。彼女と、家庭を築きたかった……中途半端な別れ方をしたせいだからそう思うのか、自殺したからそう思うのか、生きていたら、彼女とは結婚なんてせずに別れていたのか……その辺がもうわからないんです」


新村はしばらく泣いていた。他の客が何事かというように見ている。


だが気にしないことにした。


「なにか飲むか?」


メニューを開くが、新村は首を振る。


「冷めないうちに食べよう」


言って、恭介もハンバーグを食べる。でも、新村が泣いているせいか、緊張感があってあまり味を感じられない。多分新村も相当抱え込んできたものがあるのだろう。それで耐えきれなくなって、恭介のもとへ来たのだ。


「俺もあゆみが自殺して、気持ちの整理はまだついていないよ」


あゆみと話すことはできた。でも自ら死んでしまったショックは未だ大きい。


「そうですよね……お父さんも苦しいのに。こんな、みっともなく泣いてしまって申し訳ありません」

「いや。いいよ。泣きたいときは泣かないと、無理に我慢したって心身に悪い。そうだ、君の気持ちの整理がつくまで、二、三か月に一度、食事でもしないか。共にあゆみのことを語って、気持ちを落ち着かせていこう。いつでも付き合うよ」


新村は顔をあげた。


「いいんですか」

「もちろん。気持ちの整理が三年もつかないから、今日ここへ来たんだろ。春が来たら四年になるのじゃないか? あとにも戻れない、先にも進めない。だから君も不安になっているんだろう。連絡先とアドレスを交換しよう」


恭介は鞄からスマホを取り出した。新村もスマホを取り出し、互いにアドレスと電話番号、ラインの交換をする。


「遠慮しなくていいからね。話したいときはいつでも言って。俺からも連絡するから」

「はい……ありがとうございます。お父さんは、あゆみさんに似ていますね」

「そんなこと言ったらあいつ、怒るぞ。顔の父親似は嫌だって言っていたから」


明絵は、顔だけは美人だった。容姿はやはり母親に似たかったのだろう。


恭介は涙を流したまま笑った。気持ちの整理がつくには多分、時間がかかる。


「結婚は、俺は賛成だからな」

「そう言われると、救われた気持ちになります」


新村は泣きそうなのを我慢して笑っている。


「でも、生きていてほしかったです」


あゆみは今、天国から見ているだろうか。

ほら、新村君がお前のことを思って俺のもとまでやって来たぞ。忘れられないって。

もう少し頑張って生きていれば、幸せになれたかもしれないぞ。


そう心の中で呼びかける。だが、ここまで我慢できなかったこともわかっていた。


あゆみが自殺しなければ、離婚はしなかっただろうから。恭介も家族の理想像にとらわれて、現状維持を望んだだろう。今なら過去の自分の行動がわかる。


「あゆみは新村君と結婚できない世界で生きていくのは耐えられないって言ってたぞ」

「そうなんですね。俺も……俺はどうなんだろう。今、どうしたいのか、本当にわからなくて」


きっと混乱しているのだ。


恭介はハンバーグを食べ終えてから一時間ほど、慰め続けた。


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