第29話


朝が来て、朝食を作る。

 

サラダに、ベーコンを一緒に焼いた目玉焼き。味噌汁。それを一人で食べる。


沙耶はクローゼットから出てくると正面に座る。


「今日、昨日言われたとおり、自分の内面を探りながら、いろんな場所へ行ってみます。その、家とか思い出の場所とか」

「そうするといいよ。多分、どこかの場所で、心の箱が開くと思う」

「はい、ちょっと怖いですけど行ってきます。幸い幽霊になってから疲れませんし」

「そうなのか?」

「ええ、そこは幽霊のメリットです。あと飛べるので、どこでも行けます」

「幽霊にメリットあっても嬉しくないだろ」


恭介は冗談っぽく言い、二人で笑った。


沙耶と一緒に家を出て、恭介は仕事場へ向かう。


沙耶は始めに、家に行くと言って、渡り廊下から飛んでいった。


そういえば今日は、深沢の面接だったか。迫田も大学だ。バイト、増やそうか。


フェアの時は本社が集めた助っ人が派遣されてくる。


寒い。ちょっと前までは気持ちの良い秋を感じられたのに、季節が進んでいる。


厚手のコートを着てくればよかった。そんなことを思いながら裏口から警備員に通行証を見せ、ダイアンに行く。店のシャッターを開け、いつもの仕事を淡々とこなす。いつもなら深沢が来るが、一人だと、なんとなく寂しい。


開店時間になり、客が数人入って来る。


「いらっしゃいませ」


そう言うものの靴を見て回っていた数人の客は、みんななにも買わずに出て行った。


そういえば、B56番が在庫切れで大宮店に電話をかけたあのお客は、大宮まで行ったのだろうか。恭介も、離婚したあとスーツを何着も買ってしまった。物欲というのは、満たされない心を埋めるための一種の手段なのかもしれない。万引きした女性も、ずっと満たされない何かが心の中にあるのだろう。


誰とも喋らずに時間を過ごす。深沢は面接を頑張っているだろうか。


緊張しているだろうな。そんなことを思う。再び客が入ってきて、二足ほど売れた。


だが、開店から二時間でたった二足。引っ越す前は十足は軽く売れていたのに。


十一時になって、朝岡がやって来る。安堵した。


「おはようございます」

「おはよう」


慣れた手つきで鞄を所定の位置に置くと、タイムカードを押した。


「売れ行きはどうですか」

「まだ二足」

「マジですか……」


朝岡は、がっかりしたような声を出す。


「ほんと、フェアまでに沙耶さん成仏させないとまずいですよ」

「ああ。今日は思い出の場所をめぐると言って出かけたよ。昨日はありがとう」

「いえいえ、岡本さんも無事送り届けましたよ」

「それならよかった」


それにしても、秋の新作が思うように売れない。在庫があまりまくっている。


客が数人入って呼ばれたので、朝岡と恭介でそれぞれ接客をする。


三足と、クリーナーが売れた。一人の男性客が二足買ってくれたのだ。


毎日何足売れた、と数えるのもなんとなく嫌になって来る。


「今日、いつもよりは好調じゃないですか」


客が去った後で、朝岡がレジ横に立ち言った。


「ここ最近、よりはな」


それからも、午後四時までに十足ほど売れた。計十五足も売れたのは、かなり久しぶりだ。店が閉まる八時まで、あと何足売れるだろう。迫田がやって来る。


「うぃーっす」


おはようございますだろ、と思うが、指摘しても直らないので黙っている。


社会に出れば嫌でも敬語は身につく。


三人でレジ前に立つ。


「あ、聞いてください。シナリオの賞、奨励賞頂いたんです」


迫田が淡々と話す。


「よかったじゃないか。おめでとう」


迫田以上に明るい声を出していた。昨日は暗い雰囲気で話していたから、こういうおめでたい話を聞くと嬉しくなる。


「おめでとう」


続けて朝岡も言った。


「大賞じゃないのが悔しかったですけどね。授賞式とかはまだですけど」

「賞をとれば、シナリオライターとしてやっていけるのか」


迫田は顔の前で手を左右に振った。


「まさか。まあ、中にはやっていける人もいるんでしょうけど、俺は無理だと思います。話の短いコンテストでしたしね。でも就活するときのアピールにはなると思うっす。あと、賞金も少額ですが頂けます。就活のやる気も俄然、出てきましたよ」


そういえば迫田も二十歳だ。生きていれば未来がある。沙耶もあゆみも、まだ若いのに。そう思うと、また暗い気持ちになった。


「仕事も頑張れよ」

「うぃっす」


客に呼ばれたので迫田が接客に入る。


それから二時間ほどして、帰る時間になった。


「じゃあ、俺はそろそろ帰る」

「お疲れさまでした」

「お疲れっす」


タイムカードを押そうとして、ふと呼びかけが入った。


「あ、店長を指名したいというお客様がいらっしゃっています」


誰だ? タイムカードを元に戻し、再び店に出る。


男性客人気ナンバー2の革靴持ったお客がいた。恭介を見るなり会釈をする。


年のころは、二十三、四か? スーツ姿だ。


で、誰だろう。見覚えがあるような、ないような。


「この靴の、ブラックの二十六センチありますか」

「お待ちください」


展示している靴は二十五・五と二十七。在庫棚から、二十六センチと二十六・五センチのブラックと、ブラウンを持ってくる。


「こちらが二十六センチになりますね」


箱から取り出し、丁寧にお客の前に靴を揃え、靴ベラを渡す。


男性は革靴を履いて、鏡を見ていた。


「ちょうどよさそうです。色違いも欲しくなってきました」

「ブラウンもありますよ。人気です」


そう言って、ブラウンの靴を箱から取り出すと、ブラックをいったん端に置いて、お客の前に並べた。


「ああ、いい色ですね」

「革は使えば使うほど深みを増していきます」


ブラウンの靴を履いて、鏡を見ている。そうして、ぽつりと言った。


「あゆみさんも、付き合えば付き合うほど、深みを増していきました……」


一瞬何を言っているのかわからなかった。


そうして理解すると、変な声をあげてしまいそうになるのをこらえた。


「君、新村君か?」


言うと、目の前の若者は微笑んで頷いた。


「生前あゆみさんから、お父さんがここで働いていることは聞かされていました。今まで来ることなんてなかったのですが……」


新村には、あゆみが自殺したと明絵にバレないよう、新村の実家に連絡を入れていた。


お葬式に来たいと言ってくれたが断るしかなかった。


明絵がなにをしだすかわからなかったからだ。


「どうして急に」

「お父さんと話をしたくなって。これからどこか寄りませんか」

「構わないが、仕事は」

「五時までなので。あ、靴は買いますね」

「一階の、出入り口で待っていてくれ。アクセサリー売り場があるとこ」

「わかりました」


新村はブラウンとブラックを買った。


「知り合いですか」


朝岡がこっそりと言う。


「あゆみの彼氏だ」

「え」


小さく頷く。朝岡は何か言いたげにしていたが、新村がいる手前黙っていた。


レジを終わらせ靴を袋に詰めると、新村に渡した。新村は店を出て行く。


「あゆみさんも天国から見ているんじゃないでしょうか」

「そうかもしれないな」 


タイムカードを切り、朝岡と迫田に今度こそお疲れ、と言って店を出る。


客がまた数人入ってきた。

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