第28話


恭介もそうだった、と内心で言う。あゆみは沙耶を成仏させる手掛かりを知って、それを教えに来てくれたのだ。危うく、目的を忘れるところだった。


だが、娘の泣き声を聞いて胸が痛くなっているのも事実だ。


「なんで私がここで感情をぶちまけたかわかる? ぶちまけて泣いても、時間は戻ってこないし新村君とも結婚できないからあまりすっきりしていないけど……」


沙耶は指で涙を拭いて、そんなことを言う。誰もが再び無言になった。


あゆみはゆっくり、沙耶のほうを向く。


「今私がやったように、沙耶さんも感情をぶちまけなきゃダメなんだよ」

「私……が?」


沙耶はびっくりしたように目を丸くした。


「沙耶さんはいい子なんだよ。いい子過ぎて、感情に蓋をしている。それも一つじゃなくて何重にも何重にも何重も、蓋をして、自分の感情を出さないようにしている。それも無意識に。自分の醜い部分や、黒々とした感情や、誰かに対する恨み。そういうのを傷つきながら無視して気づかないふりをして、やり過ごしている。殺されて霊になった今も。だから、天国から見ていても、あまり人間らしさを感じなかった。人間ってもっとどろどろした感情の生き物だよ。そのどろどろを、沙耶さんは少しも外に出していないの。多分周りから都合のいい、いい子に仕立て上げられたんだよ」

「それは俺もそう思った」


恭介が言うと、益々驚いたように目を見開く。


「そうなんですか」

「そうなんだよ。だからもっと自分の感情と向き合わなきゃだめなの。多分気づくところ、気づかなきゃいけないところの感覚が麻痺してる」


つまり、沙耶が自分の感情に向き合えば、成仏に近づくということだ。


「え。で、でも、私だって欲はありますし、よくない感情を抱くことだってありますよ。赤ちゃん、本当は中絶しようかと思ったくらいなので。啓二さんの子供を妊娠した時、婦人科でおめでとうございますと言われたけど、もやもやしていたんです。言ったらひどい目にあうだろうなって。まさか死ぬとまでは思ってなかったですけど。暴力を振るってくる男性の子供を産んでも、いいことないだろうなって。暴力に頭が鈍っていましたが、そこはしっかり思いました。だから中絶しちゃおうかと考えたことあります」


「それをよくない感情だと思って、しまい込んじゃったんだよ。だから、彼に正直に妊娠したことを話して、結果殺された。殺されたことに怒りはない? お父さんやお母さんに不満はない? 沙耶さんには吐きだし口がないんだよ。吐きださず、全部自動的に心の箱に感情をしまい込んでいる。それを無意識でやっているから、沙耶さん自身、気づかない。そうすることで理性を保っている。ぐちゃぐちゃのドロドロになった感情を、全部表に出してさらけ出さないといけないって仏様が言ってた。沙耶さんには、人間としての負の感情の箱を空けることが必要なんだって。さっき、私が泣き叫んだみたいにすることが必要なんだって。仏様にはまだ続きの話があるみたいだけど、それは私も聞かされていない」


沙耶は慌てたように恭介やあゆみや朝岡を見る。


「で、でもこれが私ですし……負の感情に気づいていないと言われても……本当にわからないですし。箱。心に箱があるんですね。それを開けなきゃダメなんですね。でも、開けるにはどうしたらいいんでしょうか」


「開ける鍵は沙耶さんが握っている。でも、今は鍵の在処さえわからない状態なんだよ」

「はい、わかりません。鍵はどうやったら見つかるんでしょう」


沙耶が感情をぶちまけること。それが成仏に近づく第一条件。



でも、どうすればいいのだろう。


「なにかきっかけがあれば鍵を見つけられるのかもしれないが」

「きっかけ……」


沙耶は思い出しているかのように視線を泳がせている。


だが思い当たることはないようだ。


「自分の中の、小さな叫びに耳を傾けてみて。そしてドロドロした部分に目を逸らさないで向き合ってみて。人間らしく血なまぐさく泥臭く自分の感情を吐き出すの。今私がやったみたいに。そうしたら、次の段階にすすめる」


あゆみは沙耶と手を繋いだまま、沙耶の目をまっすぐに見ていた。


「次の段階、ということはそれをしてもまだ成仏できないということですか」

「多分……でも、沙耶さんにとってはそれが必要で、それが成仏するためのプロセスになる。沙耶さんはさっき私に、いろんなことを我慢してきたとか、辛かったとか、慰めてくれたけど、沙耶さんにだって我慢してきたことや辛かったことがたくさんあるはず。だから、ゆっくり思い出して、自分の心を見つめて気づいてみて。辛いと思うけど」

「わかりました、やってみます。でも時間がかかりそうです」


沙耶は覚悟を決めたような目をしていた。


「ならまだこの家にいて。俺が仕事をしている間に、鍵を探すといい。思い出の場所を巡ったり、嫌だなと感じたところに辛いだろうけど、行ってみたりするとか」


恭介は助言する。すると沙耶は納得したように頷いた。


「そうしてみます。もう少しだけ、この家借りさせてください。ああ、でもそうすると、福田さんの体調がまた悪くなってしまいますね……」 

「気にしないでいいよ。俺が君の辛かったことの聞き役になる。朝岡もそれでいいか」


朝岡はため息をついた。


「ここまで聞かされたなら……仕方がないですね。でも次倒れたら沙耶さんが行き場を失い怨霊になったとしても除霊ですよ」

「わかった。あゆみもまだ、辛いことはないか」

「お母さんに怒鳴られてきたことが呪縛のようになって離れない。もう死んだから会うこともないけど、次に生まれるときは、いい母親に巡り合いたい」

「そうだな……俺のことはどう思ってる」

「お父さんは色々助けてくれたと思う。それでもお母さんへの抑止力にはならなかった」


父親として、なにもできなかった。あゆみを助けられなかった。


ともすると、恭介も心が折れてしまいそうだ。


「……すまなかった。ふがいない親で、すまなかった」

「じゃあ、私はもう行く。また来ることもあるかもしれないけど……」

「また会えるのか」


希望を持って、恭介は言っていた。


「わからない。沙耶さんが成仏しなければ、お父さんが死んじゃうからそれを伝えに必死に仏様に頼み込んでここへ来たけど……また会えるかどうかは仏様次第」

「また会えるといいですね」


あゆみは頷き、沙耶から手を離す。すると、姿が見えなくなった。


「あゆみさん、戻りましたよ」


朝岡が言って立ち上がった、


「俺もそろそろ帰ります」

「すまないな、付き合わせて」

「いいんですよ。親とはなにか、俺もいろいろ勉強させてもらいました」

「蓮美はどうする?」

「沙耶ちゃんも静かに過ごしたいわよね。私も帰るわ」


壁時計を見ると、もう午後十一時を過ぎていた。


「じゃあ、前みたく俺が岡本さんを送っていきますので」

「俺が送るよ」


立ち上がろうとすると、朝岡は手を広げた。


「いや、この前知ったんですけど、岡本さんと結構家近いんですよ。だから大丈夫です。それにまだ顔色悪いんですから、福田さんはもう寝てください」

「そうか……じゃあ頼む」

「お任せください。取ったりしませんから」

「なに言ってるの」


蓮美が朝岡の背中を思い切り叩く。朝岡はいてっ、と言い前によろけた。


まあ、彼に任せて大丈夫だろう。


「よろしくな」

「はい」


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