第26話
結局沙耶はあの後お寺に朝岡といても、成仏できなかったようだ。
朝岡の指示通り、夜、蓮美を呼んで再び会議をする。席順は、蓮美の正面に朝岡になった。朝岡がいろいろ説明するためだ。だから恭介は沙耶と向かい合っている。
「ごめんなさい。ここまでしてもらったら成仏できると思ったのに……」
沙耶はうつむく。
「沙耶ちゃん、成仏できなくて、まだここにいるの」
蓮美が不思議そうに言った。恭介は頷く。
「寺に行ってお参りすれば成仏できると思い込んでいた俺も悪い。多分、なにか他の原因があるんだ」
「そうですね。それを模索していかないと。でも今日、あのあとお地蔵様になにを語りかけても反応がなかったです」
もう、十一月も数日すぎている。本当になんとかしないとまずい。
「あ」、と朝岡が呟く。
一斉に朝岡に視線が集まる。
「あゆみさんからアクセスが来ました。話があるそうです。今、ここに来てもいいですかって」
「あゆみが?」
もしかして会えるのか?
「はい。恭介さんにこの部屋に来てもいいかって言っています」
「もちろんだ」
「じゃあ、もう一つ椅子を用意してください」
恭介は慌てて寝室にある椅子を持ってくると、誰も座っていない角に置いた。
「あゆみさん、来てください」
朝岡はしばらく黙っていた。視線はあらぬ方を追っている。
リビング中が静かになり、視線はみんな、朝岡のほうを見ている。
「あゆみさん、今天国からきました」
「そこにいるのか、あゆみ」
「います。俺の隣に」
「あ。私も見えます。あゆみさん初めまして」
沙耶は立ち上がると、朝岡のほうを見て会釈をしていた。
恭介には見えない。どこだ。どこにいる?
「沙耶さんの隣に座りたいと言っています。椅子を移動させましょう」
一旦あゆみを探すことをやめ、角に置いた椅子を沙耶の隣に置く。蓮美と沙耶がずれて、テーブルからはみ出る形になった。
「あゆみさん、私と手を繋げば福田さんに見えるかもって言っています」
沙耶は座り、右手を伸ばした。すると、恭介の目に、あゆみの顔がはっきりと見えた。
沙耶と同じストレートの髪に、沙耶とは違う切れ長の目。
顔は別人でも、華奢で黒髪ストレートという背格好は、やはり沙耶に似ている。
あゆみは沙耶としっかり手を繋いでいる。そして、血色がいい。目の前にいるあゆみは、死んだときの顔でも、生きていて絶望感を漂わせていた時の顔でもない。
すっきりした表情をしている。
「あゆみ!」
恭介は思わず叫び、立ち上がっていた。この場ですぐ抱きしめたくなる衝動に駆られるが、もう抱きしめられることも嫌がる年齢だ。沙耶と同じ白い服を着ている。
「お父さん、久しぶり。ずっと、ずっと天国から見ていたよ」
あゆみは微笑んだ。
「そうか。お前は成仏していたんだな……天国から俺の顔色の悪さにも気づいてくれて、ありがとう……あゆみが天国に行けてよかった。本当によかった」
椅子に腰を掛けると、目から涙が溢れてきた。こんな形でまた会えるなんて思ってもみなかった。
「ごめんなさい。私には何も見えない……」
蓮美が言った。朝岡が再び、蓮美に説明をしている。
「それで、どうしてここに」
「沙耶さんの成仏の件。今日見ていて、天国にいる仏様に理由を訊いたの。そうしたら応えてくれた。原因は大まかに二つあるみたい。一つは私にも教えてもらえなかった。でももう一つは教えてくれた。だからそれを伝えに来た。でも最初に、私のことを聞いてほしいの。私の思いを聞いてほしい。お父さんも、私にたくさんの疑問があるでしょう? 訊きたいことがあったら訊いてほしい」
恭介はみんなを見る。
朝岡が蓮美に懇切丁寧に説明をしている。そうして蓮美も、朝岡も、沙耶も頷いた。
「じゃあ、自殺した理由を教えてくれ」
一番訊きたかったこと。本人にしかわからないことだ。
「それはお父さんの察しのとおりだよ。私はお母さんのおもちゃだった。小さい頃から、おもちゃのように可愛がりたいときに可愛がって、虫の居所が悪いと癇癪を起す。私の意思に関係なく母の気に入った習い事を――声楽をいきなり決めてきて、やれ、という。しかも小学校の卒業式の日にだよ? 私は小学校でいじめられていたから、卒業式を終えたらやっと休めると思った矢先に。前日に行けと言われたの。なんでって疑問符だらけ。でも私は怖くて嫌だとは言えなかった。お母さんはしつけのためじゃなく自分の感情に左右されて怒鳴り散らしていた。気に入らなかったら怒鳴る。機嫌のいい時は可愛がる。私はもう、小学校卒業時にはすっかり委縮していた。脳も、委縮していたんじゃないかな。この人の言うとおりに動かないと、あの人は満足しないんだってそう思って生きていた。中学になっても、高校になってもそれは続いた。部屋の配置も、学校から帰ってきたら勝手に変えられていることがあったし、私物は勝手に捨てられるし、引き出しも勝手に開けられるし、読書もお母さんの気に入らないものは読ませない。プライバシーなんてないの」
あゆみはうつむき、泣きそうな顔をした。
親が子の人権を踏みにじる。しかも踏みにじったとすら明絵は思っていないのだろう。
親が子供を支配するのは性犯罪に似て、魂の殺人に匹敵する、と本社の女性社員が飲みの席で言っていたことがある。なるほど、と思った。親が子を自分のものとして心身を蹂躙し続けるのだ。やられたほうは傷を一生抱えながら生きていく。そうして、事実あゆみは耐えきれなくなって自殺した。恭介にも、親から無神経にされてきたことの傷は癒えていない。多分一生続くのだ。
「ごめん、あゆみ。もっと、俺がもっとちゃんと明絵にきつく言うことができたら……」
「お父さんがきつく言って、あの人の性格が直ると思う? お母さんとお父さんが言い合いしていても、お父さんいつも負けていたよね」
恭介は今までのことを思い出し、頷く。それは認めざるを得ない。
「ごめん。俺が明絵に負けなければよかったんだ。本当にごめん……」
「お父さんはちょくちょく私を庇ってくれたよね。それは嬉しかった。でも、私は家に居場所がなかった。家に帰ると、お母さんはいつも感情論で私を怒鳴り散らしていた。それで縛り付けるの。あれはやっちゃいけないこれはやっちゃいけないあれもだめこれもだめ。だめの連続。お母さんは自分と私を同人格だと思い込んで、違うと否定すればさらに強く否定された。お前と私は同じだと。私に許されたのは勉強だけで、友達の家に泊まりに行くことも許されなかった。あの人は机にかじりついていれば安心していたの」
昼間は仕事だった。ずっとダイアンで働いてきた。だから、あゆみが過ごしていた昼間の様子を、恭介は知らない。でもそれは言い訳に過ぎないのだろうか。あゆみも、恭介なに何も話そうとしなかった。一度だけ心の裡を言ってくれたことはあったけれど、それだけではカバーしきれない日常が繰り広げられていたのだろう。
「通う高校も、勝手に決められた。ある時、関東のあらゆる高校が載っている本を持ってきて、ページを開いてお前はここへ行けって。女子高。なんでって聞いても理由は言わない。その学校じゃなきゃダメだって汚い言葉でそう言うの。あの人の言葉遣いはいつも汚かった……」
確かに明絵は男勝りの乱暴な言葉遣いをしていた。そういえば、あゆみに対しても、いつも名前で呼ばず「お前」と呼んでいた。注意したことがある。でも、直さなかった。
ただ、高校の件は聞いていない。
「お父さん、それは知らなかった。てっきり、高校は自分で選んだところに行ったのだと……言ってくれればよかったのに」
「お父さんが言ってもお母さんは聞く耳持たないよ。本当に意味不明な言動取るから。もう病気なのかもしれないね。それにお父さんに話しても、夫婦喧嘩が始まるでしょ? それも怖かったし私のストレスになる。でも私、あの時初めて反抗したの。このままじゃ大学も決められると思って。行きたくない、ってはっきり言ったの。そうしたらじゃあどこ行きたいのか今すぐ言えって、怒鳴り散らして、そのあと何時間もネチネチネチネチ、その高校へ行けって責め立てるように言われ続けた。もう委縮しきって、結局怖いから言われた通りの高校へ入ったの。結果どうなったと思う?」
周囲は静かだ。朝岡が蓮美にあゆみが言っていることをかいつまんで説明している声
だけが響いている。用意していたお茶にも、誰も手を付けない。
「教えてくれ、結果どうなったのか」
あゆみは息をつく。
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