第22話


僧侶の読経に水子供養以外のなにかしらの力が宿っていたのか、読経を聞いてもいないのに、なぜか憑き物でも落ちたかのように体調がすこぶるよくなった。


「今日は一日、子供を偲んでいます」


沙耶がか細い声で言った。


「そうしていてくれ。明日は朝岡と寺に行って、そこでお別れしよう」

「そうですね」

「じゃあ、俺は仕事に行くよ。ああ、今晩はハンバーガーを買ってくる」


遊園地での約束だ。それでできることは最後。沙耶はお礼を言って微笑んだ。


十時過ぎに家を出ると、途中、コーヒーチェーン店に寄った。水子供養をした後ですぐ仕事にとりかかれる気持ちにはなれなかった。だから一人で、ゆっくりできるところで心を鎮める。


父親に、青天目啓二に怒りが湧いて仕方がなかった。性欲だけ満たして、彼女と彼女に宿った子供を殺した。そういう男は反省も、多分していないだろう。


父親になる覚悟ができていなかった者が、生半可な気持ちで下半身を使うな、と言ってやりたい。とにかく一発殴りたくて仕方がない。


だがそういう恭介も、立派な父親だったかと言われれば、自信がない。


砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲む。甘さに癒される。  


とりあえず、仕事のことを考えなければ。遅番は朝のルーティーンをしなくていいから楽だ。店に行ったら、陳列棚のチェックと、在庫確認。あとは接客。


十月三十日。秋のフェアまであまりない。


そういえば、まだ、ポスターを貼っていない。


今日あたり、本社から届いているだろうか。スマホを見る。ホームページには、もう告知はされているし、ダイアンの会員にはハガキが届いているはずだ。


頭が仕事モードに切り替わると、コーヒーチェーン店を出て、店に向かった。


「おはようございます」


深沢と朝岡の声が聞こえてきた。


「おはよう。フェア用のポスター届いてないか」

「福田さんが入院中に、届いていましたよ。もう深沢さんと貼っておきました」


朝岡が指さす。陳列棚の情報の壁に、三枚、大きく羊の絵の描かれたポスターが貼ってある。


ダイアン、秋のフェア。十一月十二日~十九日、とアラビア数字で書いてある。


「店長、倒れたと聞きましたが大丈夫ですか」


深沢が寄って来る。


「ああ、今日はなんか体調がすこぶるいい。すまない、心配をかけた」

「昨日迫田さんが早く来て、パニックになっていましたよ」


深沢が笑顔で言う。


「迫田君が救急車を呼んでくれたんだ。あとでお礼を言わなくちゃな」


言って陳列棚をチェックする。傷みの激しい靴はない。品出しも完璧だ。


沙耶が成仏すれば店も繁盛するのだろうか。朝岡は、常日頃から店長に霊が憑いているから、売れない、とぼやいていたが。


「俺がいない間、お客来たか」


レジに戻って言う。


「ええ、割と来ましたかね」

「今日は」

「一人いらっしゃいました。靴、二足買ってくださいましたよ」


朝岡が言った。

休んでいたときの売り上げを見てみたが、いつもよりは売れていた。

朝岡と深沢と迫田で、頑張ってくれていたのだろう。


三人で横並びになり、客が来るのを待つ。だが、今日も客の入りが悪い。


他の店は客がよく入って売れているようなのだが。


スーツを来た客がひとり来た、と思いきやよく見ると本社の専務だった。


「佐山さん、お疲れ様です」


朝岡と二人で姿勢を正す。今日来るとはなにも聞いていない。


「お疲れ様です。福田さん、倒れたと聞きましたが、体調はいかがですか」


物腰柔らかく、佐山は言う。五十代くらいだが、年齢を全く感じさせない。


背が高くスリムで、色気と大人の気品まである。こういう人が店にいればたちまち売れるだろうな、と恭介は思う。


「おかげさまでよくなりました。でも、原因は不明です」

「原因不明な体調不良ってよくありますよね。私も以前、具合が悪くて休んだことがあったのですが、特に悪いところは見つからず、疲れでしょうって言われまして。でも、疲れるほどのことはしていなかったんですよね」


そう言って微笑んだ。


「それで今日はどのような用件でいらしたのですか」

「ああ、福田さんの推薦状を拝見しまして。深沢さんに用があって来ました」


そうだった。推薦文を書くと、販売課の部長以上の人間が不意打ちで店にやって来るのだ。それを失念していた。


深沢はびっくりしたように目を丸くする。


「私ですか? 店長から推薦して頂いたことは存じ上げておりますが」

「ここではなんですから、店の奥で話し合ってください」


恭介は言って、店の奥に案内した。在庫棚のすぐ横に、丸椅子を二つ持ってきて、座ってもらう。店には休憩所がないのだ。


「すみません、狭くて」

「いえ、ダイアン店舗はほぼこんなものでしょう。福田さんが謝ることではないです」


佐山と深沢が、面談のような形で話し始めたので、恭介はレジ前に戻った。


朝岡が店内を見回しながら訊ねる。


「今朝、供養されたんですよね。沙耶さんの様子はどうでしたか」

「泣いていた。あとは、赤ちゃんの魂のようなものがお腹から出てきて消えた」

「そうですか。明日、お寺付き合いますから」

「何時にする?」

「午前六時でいいんじゃないですか。お寺には一時間もいないでしょうし、お寺は福田さんの家から三十分程度のところですから、福田さんの早番には間に合いますよ」

「そうだな。六時にお寺の最寄り駅で待ち合わせをしよう。付き合わせてすまない」

「今度、奢ってくださいよ。それでチャラ」

「わかった。ご馳走するよ」


男性客が来て声をかけられたので、恭介が接客をする。革靴なのに歩きやすいと評判の、定番商品のブラウンを試し履きしており、ブラックの二十七センチはないかと訊ねられる。


佐山と深沢がいい雰囲気で喋っているのを横に、在庫棚へ行き、脚立を使って在庫をいくつかとる。


店に出ているのは二十六センチのものだ。


二十七と、二十七半、ブラウンとダークブラウンも持っていく。


「二十七センチはこちらです」


お客をソファーに座らせ、箱から靴を取り出すと、客の前に置き靴ベラを渡す。


お客は店の中を一周駆けて、飛び跳ねていた。よくある光景だ。


「私営業職でして。走ることもあるんですよ。二十七はぴったりですけど、走ると痛いかな」

「では、二十七半を試してみますか」


すぐに二十七半を箱から取り出し、先ほどのように客の前に置くと、靴ベラを渡す。


お客は、また店内を一周駆けていた。


「こちらのほうが余裕があります。でも、徒歩だと余裕がありすぎる気がしますね」

「革は履いているうちに足に馴染んで伸びます。お客様の足ですと二十七がベストだと思いますよ」

「そうですか」


再び二十七を履いて、走り回る。


「ちょうどいいんですが……やっぱり走るときついかな。二十七半にします。伸びたらまた買いに来ますので」


「ありがとうございます。では、二十七半でお間違いないですね?」


そういって靴の裏を見せ、書かれているサイズを確認してもらう。


「はい、それで」

「箱はどうされますか」

「持ち帰ります」

「かしこまりました。ではこちらへ」


レジへ案内する。朝岡がすぐに靴の片づけに入った。


箱に貼り付けられたバーコードをスキャンする。


会計を言い渡すと、クレジットカードと、ダイアンのポイントカードを渡された。


「お支払いは一回でよろしいですか」

「はい、一回で」


機械を見せ、クレジットカードを差し入れ、暗証番号を入れてもらう。その隙にポイントカードの名前を確認した。署名欄に名前がないと無効になるのだ。


そうして、あれ? っと思った。青天目雄一、と書かれている。


青天目? 頭が急速に回転しだす。青天目。この苗字、偶然だろうか。


青天目。しかも名前は雄一。


自分のもとに沙耶がいて、今日供養して、青天目姓の客が来た。


偶然か? 別人ということもあり得る。言い方によっては命取りになる。でも。


「青天目雄一様……」

「はい」


恭介は腰を低くした。


「あの。もしかして青天目啓二様をご存じですか」


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