第21話


翌日は六時半に起きた。


いつもなら遅番の日は八時ころまで寝ているが、今日は恭介もなんとなく緊張している。これで沙耶が少しでも救われてくれればいいのだが。


昨日、朝岡が蓮美を送り、沙耶はずっと泣いていた。


そうして、もう料理は作らない、そして沙耶自身、食べないという取り決めになった。だから、朝食は恭介が一食分だけ作る。


サラダと、焼き鮭にだし巻き卵。白米。席に座ると、いつも明るい沙耶も、今日は何も言わずにいた。


「あまり思い詰めないで」

「はい……時間まで、クローゼットの中にいます」


言って、するりとクローゼットの中に入っていく。


リビングには食器の音だけが響いている。沙耶のいない朝食はどことなく寂しかった。


いつの間にか沙耶との生活に慣れていたのだ。でも、そろそろ沙耶はいなくなる。


今日供養して、明日寺に行けば、沙耶は成仏してもとの生活に戻るだけだ。


沙耶の人生は、楽しいものだったのだろうか。心から、満足のいく人生だったのだろうか。多分違う。お腹の子供もろとも彼氏に殺され、悲嘆にくれただろう。あゆみもだ。


人生がいいものではなかったから悲観して自殺した。


朝岡とあゆみは会っている。ということは、朝岡に頼めば、あゆみと話をすることも可能なのだろうか。


恭介自身が抱えていることにも、まだ気持ちの整理はついていない。子を失った親は、いつまでもぽっかりと心に穴が開いたまま、なにをしても癒されることはない。


片づけをしていると、七時を過ぎた。


「沙耶、そろそろ時間だ。心の準備をしておこう」


言うと、クローゼットから出てきた。いつになく元気がない。


「どうした。供養できるんだぞ」

「はい。それはありがたいのですが、死んだ赤ちゃんはどこへ行ったのだろうと思いまして。私と一緒に私のお腹の中にこの世に留まっているのでしょうか。それとも、赤ちゃんだけは成仏したのでしょうか。成仏できていないのならかわいそうで」

「そういえばその点、朝岡はなにも言っていなかったな」


言って、恭介は椅子をひいた。沙耶はゆっくりと座る。


恭介は棚から数珠を二連、取り出した。数珠の貸し借りはしないほうがいいと聞いた

ことがあるが、一つは新品だし、貸してもいいだろう。あゆみの葬式の時に、バタバタして、うっかり二連買ってしまったのだ。


「これ、使って」

「ありがとうございます」


透明な数珠を、沙耶は握りしめる。恭介も持っていることにした。


七時半になった。


「祈ろう。子供のために」

「はい」


きっと今頃お寺の僧侶たちが、沙耶の子供のために読経を読み始めているのだろう。


沙耶は目を閉じ、手をあわせている。恭介もそれに倣った。 


どうか、沙耶の子供が天国に行けますように。沙耶も、天国へ行けますように。


二人とも若くして死んだ分、次に生まれ変わるときは最高の人生を歩めますように。


静かな時間が流れていく。十五分ほどした頃、沙耶が「あ」と呟く。


目を開け沙耶のほうを見た。小さな白い光が、沙耶の周りを回っている。


「それは」

「急にお腹の中から出てきました。多分赤ちゃんの魂じゃないかと」

「そっか。お母さんとこの世にとどまっていたんだな」

「はい。ごめんなさい……ごめんなさい」


沙耶は白い光に向かって謝り続けている。


白い光はしばらく沙耶の顔の前を浮き、それから一周して、すっと消えた。


「成仏できたのかな」

「そうですね。よかった。本当によかった。この子が導かれて……」


沙耶はまた涙を流す。


八時になるまで、二人で静かに祈っていた。


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