第20話
恭介の借りているマンションのリビングに、朝岡と蓮美と沙耶が腰を掛けている。
恭介の隣に朝岡、正面に蓮美、斜め向かいに沙耶がいる。
朝岡から連絡を受けて、蓮美が心配してやって来たのだ。
朝岡には沙耶が見えた。来るなり沙耶に、霊と一緒に過ごしていると生きている人間は命を失う危険性があると怒ったように説明していた。
午後十時。
お茶を出す余裕もなく場は緊迫している。
「福田さんの顔色が悪かったの、私のせいだったんですね……。すみません、すみません。全然私のせいだなんて思っていませんでした」
沙耶はうつむき、泣き始めた。
「ああ、泣かないで。俺は沙耶のせいだなんて思っていないよ」
「福田さんはお人よしですね」
間ができる。今がチャンスだ。
「お茶を淹れるよ」
言って恭介はキッチンに立った。まだふらつくが、一日寝ていたら少し回復した。
「しかしこんな可愛い子だったとは……」
朝岡が呟いている。誰も、なにも反応しない。
「あゆみさん、言っていましたよ。お父さんはこの子と自分を重ねているって」
「ああ。初めて会った時あゆみとかぶって、なんとかしてやりたくなった」
「霊に情けなんてかけないほうがいいと思いますけどね」
朝岡は突き放したように言う。
四人分のお茶を淹れて、茶器をそれぞれ目の前に置く。
「沙耶、飲んで。落ち着くために」
恭介は優しく言った。沙耶は頷き、お茶を飲む。
「わ、なにもないところに湯のみが浮いてる」
蓮美はびっくりしたようにそう言った。そうして慌てたように付け加える。
「あ、沙耶ちゃんがいるのだけど、私には見えないから……」
そろそろ本題に入ろう。
「沙耶。教えてくれ。君が本当に望んでいること。隠していること。それを言ってくれないと、朝岡が強制的に除霊できる人を連れてきて、君はここにはいられなくなる」
「ここにいられなくなるのは困りますね……」
最悪、自分が出て行けばいいか、と恭介は思う。
沙耶はしばらく黙っていた。忍耐強く待つ。
五分経ったのち、沙耶はぽつりと言った。
「水子供養、がしたいです」
その言葉を聞いて、恭介は驚愕する。ニュース記事にも書かれていなかった。
「子供、いたのか」
沙耶は自分のお腹をさすった。
「お腹の中に……。妊娠したって言ったら、彼がキレて私を殴り、流産させようと階段から突き落したんです」
「ひっでえ」
流石の朝岡も、思わずといったふうに言葉を発していた。まさかそんな理由が隠されていたとは。青天目啓二にますます怒りが湧く。この手で殴り殺してやりたい。でもそれは、恭介がするべきことじゃない。
蓮美が話に入れていないので、恭介は説明した。蓮美も酷い、と呟く。
「お酒、この前飲んじゃいましたね。本当はいけなかったのかもしれないですけど、死んでるからいいかなって思って。でもあとで罪悪感が湧きました」
だから居酒屋から帰ってきた日の夜、一人で座っていたのか。
今なら子供のことを考えていたのかと腑に落ちる。
「彼はなぜ妊娠を喜ばなかったんだ」
「子供嫌いな人で。多分、欲しくなかったんでしょう。妊娠を告げたら態度が変わって流産させてやるって物凄い剣幕で殴られましたから」
世の中には救いようのない男がいる。なぜ妊娠したと伝えただけで、暴力を振るい流産させようとするのか、全く理解ができない。いくら子供が嫌いでも、階段から突き落すなんて論外だ。どんな育ちかたをしたらそうなるのだろう。
でも起きてしまったことはもうどうにもならない。先の話をしよう。
「それで、水子供養をしたら君は成仏できるのか」
「私はそう思っているのですが、仏様の『あ、あなたは』っていう言葉がずっと引っかかっているんです。でも供養は一番したいことです。赤ちゃん、今も私のお腹の中にいるのかもしれないですし……」
沙耶は酷く悲しそうな顔をしている。こんなに悲しそうな沙耶の顔を見るのは初めてだ。きっと殺されたときも、無念だったと思う。今まで、わざと明るく振舞っていたのだろうか。
どうしてもっと早く言ってくれなかったのだろう。デリケートな問題ゆえに、言えなかったのだろうか。自分の問題を人に言うことは、相手が女性でも男性でも勇気がいることだとあゆみから聞いたことがある。
確かに立場を逆に置き換えてみれば、恭介が仮に沙耶だったとしても言えないかもしれない。見ず知らずの中年男性と出会って、開口一番水子供養をさせて下さいなんて頼みこめないだろう。
「でもどうする? 男一人じゃ申し込みにくいし蓮美と一緒にするのも何か違うし」
状況がわかっていない蓮美に、朝岡が説明をしている。そうしていくつか質問をして理解したのか、頷いた。
「そうね。そこは私も恭介と水子供養をするのは違うと思うわ」
「はい……だからせめて、お地蔵様がいるところに行きたいです」
「行ったことなかったのか」
「散歩していたとき、道端にお地蔵様の石像があったから、そこで祈ってみたけどなにもありませんでした。でも他にお地蔵様のいらっしゃる、ちゃんとしたお寺がどこにあるのかわかりませんでした。スマホなんて死んでから持てませんので、調べる手段もないですし。一か所お寺に行ったことがありますが、そこにお地蔵様はいらっしゃいませんでした。観音菩薩様に出会ったことはありましたが、やっぱり何か一言声をかけられただけでスルーされました」
朝岡はゆっくりとお茶を飲み、言った。
「祈った地蔵には、なにも宿っていなかったんでしょうね。ただの石像だったんでしょう。でも、菩薩が見えるのにスルーされるのも変な話だな」
首を捻っている。
「だろ? だから、除霊しても多分彼女は成仏できない。家を追い出されて彷徨うだけ」
「なるほどね」
朝岡は椅子に深くもたれかかった。
「とりあえず近場で地蔵がいるお寺を調べてみよう。正式な儀式ができなくても、お地蔵さまを説得して……。ああ、でも、俺は見えないからな」
「なら、店が始まる前、早朝に行くのはどうですか。付き合って地蔵菩薩に説得してみますよ」
朝岡が軽く言った。
「いいのか」
「福田さんに病気になったり死なれたりする方がよほど困りますから」
「わかった」
寝室に置いてあるノートパソコンを持ってきて、地蔵のいる寺院を探す。
「近場だと……」
東京近郊で、名前はよく耳にするお寺がいくつかあった。
名前を一つ一つ、読みあげていく。そうして、マウスを動かす手を止めた。
聞いたことのない、マイナーなお寺だ。
「電話受付で僧侶が個別にひっそり供養してくれるところがある」
沙耶の瞳が揺れた。朝岡が再び蓮美に状況を説明している。
「それならやりたいです」
「でも名義はどうする」
そこで詰まった。沙耶が言う。
「両親を説得して代理でやってもらうこと、も今思いつきましたが、説得することになるのは福田さんなのでご迷惑が掛かりますし、多分信じてもらえないでしょう。親は私が妊娠していたことを知りません。伝える前に死にましたから……ああ、きっと司法解剖で知っていますよね。でも、両親は福田さんとも朝岡さんとも面識がありませんし……」
「いや。ひっそりやってくれるなら俺の名前を使っていい。あくまで代理として、な」
「いいんですか。福田さんを巻き込んでしまいますが」
沙耶は困惑している。
「もう巻き込まれているだろ? だからそれは気にするな。でも、君の名前で申し込むのも無理だ。他に代理としてやってくれそうな人もいないだろうし」
朝岡を見る。朝岡は言った。
「名前も宗派も気にしなくていいです。とにかく早くやっちゃいましょう」
「じゃあ、沙耶、ここのお寺でいいか」
ノートパソコンを沙耶のほうに向けた。
沙耶はお寺のホームページをしばらく見てから頷いた。
「じゃあ、とりあえず明日にでも電話で申し込んで……」
そう思ってホームページをよく見ると、申し込みは二十四時間受付、と書いてあった。
思い詰めて眠れず夜を過ごしてしまう人が多いので、役に立ちたく二十四時間相談に乗ります。これは僧侶の修業のためでもあります、と説明書きがなされていた。
「ここ、二十四時間電話受付しているぞ。ずいぶん親切だな。ならお寺の人に事情を話してみるかな」
「話せば受け入れてもらえると思います。基本的にお寺の人って、受け入れてくれることが多いですから」
朝岡が言った。
一刻でも早く沙耶の未練を成就させよう。スマホを手にし、早速お寺に電話をかけると、事情を説明した。すると保留音が流れ、数分ののち、声が聞こえてきた。
声が低く、聞き取りやすい。多分、普段から儀式にかかわっている僧侶だろう。
再び丁寧に事情を話す。
「――つまり、亡くなった方の、水子供養、ですか」
電話の相手は別段否定するわけでもなく、確認するようにそう言う。
「はい。私に今、女性の幽霊が憑いておりまして。その女性は妊娠されたまま亡くなっており、本人がどうしても供養したいと。そうしたら自分も成仏できるかもしれないと言っております。申し込みの名義人は私になりますが、亡くなった女性のために、供養をしていただくことはできないでしょうか」
「わかりました。個別に供養致します。その、亡くなった方のお名前をお願いします」
「天水沙耶です」
「漢字は」
分かりやすく説明する。
「天水沙耶様ですね。お子様の名前や、エコー写真などはございますか」
沙耶に訊ねると、首を振った。
名づけもしていないし写真もないという。それを僧侶に伝える。
「了解いたしました」
「空いていたら明日すぐにでもやっていただきたいのですが」
「供養の仕方にも種類がございますが、すでに亡くなっている、ということなので僧侶の読経のみでよろしいですか」
多分、種類で相場が変わって来るのだろう。スマホから耳を離し、沙耶に確認する。
沙耶は頷いた。
「はい。構いません」
「では、今からお伝えします口座にお振込みをお願いいたします」
恭介は蓮美を見る。気づいたのか、すぐにペンとメモ帳を渡してくれた。
口座の番号を聞くと、一旦電話を切った。パソコンで相場を確認し、すぐにスマホを操作し、ネットバンキングから入金を行う。
恭介は三万入金した。そうして再び電話をし、同じ人に繋いでもらった。
「先ほど振り込みました。名義は福田恭介です。ご確認のほど、お願いいたします」
「では確認してまいります。少々お待ちください」
再び保留音が聞こえてくる。五分待ち、相手の声が聞こえた。
「確認できました。明日の七時半から受け付けております」
「では午前七時半からよろしくお願いします」
「はい。ご確認いたします。代理人、福田恭介様、実際に供養を受ける方は、天水沙耶様、ですね」
落ち着いた、安らぐ声だ。おそらく説法もしているに違いない。
「そうです」
「時間は三十分ほどです。七時半から開始しますので、その時、手を合わせて亡くなったお子様のために祈って下さい。あと、できればその幽霊様を連れて後日お寺にお参りにいらして下さい。お参りは、仏様に対する礼儀となりますので」
「もちろんそうさせて頂きます」
「では承りました。七時半から個別で開始させて頂きます」
見ると、沙耶は深く頭を下げていた。
電話を切る。僧侶から言われたことを、沙耶に言う。
「はい。七時半から三十分間、手を合わせます。その後お寺にうかがいましょう。服は白ですがいいんでしょうか? これ、なにをしても脱げなくて」
沙耶は袖口を引っ張っている。
「偲ぶ気持ちがあれば、それでいいんじゃないか」
「はい……」
「明日供養となると、仕事もあるからお寺に行けるのは明後日の早朝になるな。地蔵菩薩に会って来るんだ。それで君も成仏できるかもしれない」
「はい。はい……ありがとうございます。ずっと黙っていてごめんなさい」
沙耶は再び、涙を流していた。
誰も沙耶の、深い部分に踏み込もうとはしなかった。
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