第15話
通行証を見せて裏口から出ると、寒さが身に染みてきた。秋が深まりつつある。
薄いコートのポケットに入れておいたスマホからラインの通知音が鳴った。
朝岡からだ。
『居酒屋サカタにいます』
また居酒屋。内心で苦笑しながら、よく歓送迎会で使うサカタへ向かった。
店に入ると、朝岡が手を挙げた。客が多くいるテーブル席だ。
四人掛けの席に座ると、ウーロン茶を頼んだ。
「お酒、飲まないんですか」
朝岡は既にビールを頼んでいる。他にも、昨日見たようなメニューが並べられていた。
「昨日も居酒屋へ行ったからな」
「一人でですか」
「いや、二人だ。それで、話ってなんだ」
朝岡はいつになく真面目な顔で言った。
「昨日居酒屋へ行った相手は、人間じゃないですね?」
お見通しだ。なにが視えているのかわからないが、もう、誤魔化せない。
「ああ。君ならもう気づいていると思うが、幽霊が部屋に住み着いている」
「その話、ちゃんと聞かせてください」
深刻な顔をしている。蓮美の時のように、順を追って話すことにした。
話を聞いた後で、朝岡は大きくため息をついた。ビールも料理も減っていない。
「その幽霊とすぐに離れてください」
「なんで? 店が潰れるとか」
「それも懸念事項ではありますよ。本当に店が潰れかねません。でも、福田さんが心配なんですよ。っていうか昨日夜遅く、娘さんが俺にアクセスしてきました」
「あゆみが? アクセスってなんだ」
心臓が唸り、身を乗り出した。ウーロン茶が運ばれてくる。
「落ち着いてください。言葉通りですよ。あゆみさんが、俺のもとに姿を現したんです。安心してくださいね。あゆみさんは天国にいます。娘さんの名前知ったのは昨日初めてなんですけどね。自殺されたことも存じ上げていましたよ。誰にも言っていないですけど」
これまで、恭介を通してあゆみの飛び降りた姿がずっと視えていたらしい。あゆみが成仏していないか心配していたこと、自分を責め続けていたこともうっすらと見抜いていたらしい。
だが、あゆみは天国にいる。朝岡が言うからこそ信じられる。恭介は初めて安堵した。
「それで、あゆみはなんて」
「率直に言います。このまま霊といたら、お父さんが死ぬかもしれないって」
「え。え? 死ぬ? あゆみが言ったのか?」
「はい」
「説明してくれ」
「昨日帰った後、自分の部屋でコーヒーを飲んでいたら、あゆみさんが姿を現しました。天国からきたと言って。お父さんには視えないけど、朝岡さんなら視えるから力を貸してくれって。それで事情を聞きました。住み着いている幽霊とずいぶん親しくしているそうですが、このままだと、命が危ないって言っていました。俺がずっと店長に何か憑いていると言っていたのは、あゆみさんのことではなく、その幽霊のことですよ」
「それも視えていたんだな」
「顔までは分かりません。ただはっきりと感じていただけです。でも、あゆみさんが直接言葉で伝えに来たということは、俺も危ないと感じます。霊と一緒にいると、運が悪くなるどころか最悪命を持っていかれることもあるんですよ。それは霊の性格に関わらず、です。事実福田さん、痩せましたよね?」
恭介は慌てて自分の体を見下ろした。自分では気づかない。
「俺、痩せたか? そんな風には……」
朝岡は首を左右に振った。
「半年前に比べてかなり痩せています。それに、いつも顔色悪いのは、その霊のせいですよ。霊が意図しなくても、生気を吸い取られているんです。本当にこのままだと、病気になって死にますよ」
声には鋭さがある。顔色の悪さも、未だ自分では気づかない。
「忠告ありがとう。でも、でもな。俺の体はまだ何ともない。それに成仏させるって決めたんだ。彼女は何か隠している。それを成し遂げたとき、成仏できると思うんだ。だからもう少しだけ待ってくれ。やりたいことをやらせてから成仏させたい」
沙耶がどういう性格なのか、具体的に話した。いい子過ぎて、放っておけないことも話した。そうしてふと思い出す。
――いい子って、親や教師に好かれるために自分を犠牲にしているのよね。
蓮美の言った言葉だ。沙耶は具体的になにを犠牲にしていたのだろう。
「それで福田さん。その子、本当に成仏できるんですか」
「できないのか?」
「その幽霊に実際に会ってみないとなんとも……。でもとにかく、十一月のフェア。これまでになんとかしてください。俺も協力しますから。店の存続もそうですが、短期間で何とかしないと福田さん、本当に倒れます。その幽霊がどんなにいい子でも」
まるで倒れるところを見ているかのような目で、朝岡は言う。
「ちゃんと食べているんだけどな……」
「とにかく、近いうちに会わせてください。俺、除霊はできませんが、除霊できる人なら知っていますから。成仏できないようであれば、強制的に除霊します」
朝岡の目は真剣だった。それだけ心配してくれているのだろうけれど、恭介は内心、苦々しい思いでいた。俺は、別に死んでも構わない。そんな思いが心の根底にあるのだ。
あゆみが心に苦しみを抱えたまま自殺して、助けられなかった自分にペナルティが何もないのはおかしい。誰かに罰してほしい。そんな思いが、あゆみが死んだ日からずっと意識のどこかにある。死ぬなら死ぬで、構わないのだ。その代わり、誰か人のために死ぬ。
それで罪がチャラになるわけではないけれど、人のために死にたい。
「わかったよ」
恭介はそれだけ言った。
「どうにもならなくなったら相談する。あゆみが君のところに来てくれてよかった」
あゆみは天国にいた。その事実が、本当に救われる心地だった。
「お願いしますよ、本当に。福田さんに死なれたら、泣く人だっているんですからね」
「朝岡君は泣いてくれるのかな」
茶化してみたが、意外に率直な答えが返ってきた。
「泣きますよ。俺だって。何年あの店で一緒に働いていると思ってるんですか。深沢さんも、迫田君も、みんな福田さんを慕っていますよ。福田さんが死んだら岡本さんだって、どうするんですか」
朝岡とコンビで働き始めてからもう五年くらいは経っている。異動になって別の社員と組むのがあまり考えられない状況になり始めていた。それだけ今の人員でうまくやれている証拠だ。
朝岡は怒った顔をしている。いや、どちらかというと涙をこらえているのだろうか。
「泣いてる?」
「泣きそうです。俺には娘さんの人生も、福田さんのこれまでの人生も、本当は全部視えるんです。今住み着いている幽霊のことや今後のことは詳しく視えませんが……娘さんと福田さんの心境を考えると、感情移入して泣きたくなるんですよ」
そうして本当に泣き始めた。朝岡が店で言いふらしていたのも、本当は沙耶と離したかったためかもしれない。
「悪かった……フェアまでには何とかするから落ち着いてくれ。君にも会わせるし」
「約束ですよ。福田さんとその幽霊の状況、見せてください」
同じ店に二人でいる以上、休日に会うことができない。会うとしたら仕事後だ。
「約束する」
恭介が奢ることにして、店を出た。
あまり食べなかったので、沙耶の手作り料理はお腹に入った。
でも、幽霊の作ったご飯を頂くことも、死が早まるのだろうか。
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