第13話


金曜の休日になり、カラオケに行った。受付で名乗る。


朝岡も、万引きの件は別に恭介のせいではない、と言い切っていた。そうしてアルバイトにマニュアルを説明し、いつもの四人で、客の観察を怠らないようにすることにした。


防犯カメラは店の外にある。店は奥まったところにあるから、防犯カメラから死角になっているところもあるのだ。だから、目視で防犯意識を高めることにした。誰かの接客中は、他の者が、店にいる客を観察する。


とはいえ、客足は相変わらずあまりないので、各々負担は少ない。


客も全く来ないわけではない。今店に来る大体の客は、霊の憑いている恭介と徹底的に波長が合わないか、類は友を呼ぶ、で引き寄せるタイプか、跳ねのけるか、どれかだと朝岡が言っていた。朝岡はもう、恭介に霊が憑いていると確信している。


朝岡はどんなものがどれだけ視えるのかわからない。


「福田さん、どうかしましたか。ドリンク選ばないと」


カラオケの受付でぼんやりしている恭介に、隣にいる沙耶が言った。


カラオケは、マンションから徒歩十五分のところにある。ワンドリンク制だ。


飲みたいものは、事前に沙耶と打ち合わせている。


「ウーロン茶と、コーラで」

「はい。お二つですね。お部屋もご予約の場所をご用意しておりますので」


フリータイムで歌うからか、飲み物を二つ頼んだところで別段疑われなかった。


部屋番号と、退出時間を記された紙を渡されたので、沙耶と向かう。


「うわあ、広いですね。それにカラオケなんて本当に久しぶりです」


ドアを開けると、沙耶は嬉しそうに部屋を見回している。大きなテーブルに、大きなソファーがコの字を九十度回転させたようにある。


「ここのカラオケ店はこの部屋が一番広くて歌いやすいんだ」

「そうなんですね」

「歌うのは、飲み物が来てからね」


沙耶は頷いた。


従業員が飲み物を持ってきたとき、マイクだけ浮いているように見えるのは避けたい。


消毒された、画面脇に置かれていたマイクを二本テーブルの上に置き、画面の下にあった操作パネルも引っ張り出す。今は午前十一時。午後七時まで歌える。好きなだけ歌わせよう。


従業員が飲み物を持ってドアを開け、屈んでテーブルに置くと去っていく。


「歌っていいですか」


ワクワクしたように目を輝かせて、沙耶はパネルを操作し始める。


「いいよ」

「福田さんも歌ってくださいね。かわりばんこですよ」

「はいはい」


なにを歌おう。最近の若い子の歌は知らない。かといって、演歌を歌う世代でもない。


恭介が若い頃にビジュアル系ロックバンドや二人組の歌手が流行った。


その辺を歌うか。


曲が始まって、沙耶が歌い始める。


恭介は思わず操作パネルの手を止めた。美声が部屋中に響く。本物の歌手のように、歌がうまい。思わず聞き入ってしまう。急いで自分が歌う曲を入れると、サビの部分で盛り上げるために拍手をした。激しい歌だが、音程がひとつも狂わない。歌手でもないのにこんなにうまく歌を歌える人は初めて見た。いや、人、ではなく幽霊だけれど。


一曲歌い終えると、沙耶はすっきりした顔をしていた。


「久しぶりに大きな声出せました」

「歌、上手いね。叔父さんの影響かな」

「ああ、高校の時ボイストレーニングをしていたし、カラオケで猛特訓したので」


どうりで。


「私、音痴だったんですよ」


恥ずかしそうに沙耶は言う。俺も音痴だ。次の曲が始まる。恥ずかしい思いで、恭介は学生の頃に流行った曲を歌った。音程は外すし、サビもうまく歌えない。それでも沙耶は、曲に合わせてタンバリンで盛り上げてくれる。なんだか気持ちよくなって、そのまま二人で、退出時間になるまで歌っていた。


「結構歌えるものだな……」 


声がかすれていた。まずい、歌いすぎた。明日の仕事に影響が出なければいいが。


「たっくさん歌いました。ありがとうございます。気持ちよかったぁ」


沙耶は楽しそうに隣を歩く。


エレベーターで一階まで行き、会計をする。二千円に届かない安さだ。


土日だと高くなるから助かる。


店を出ると、外はもう真っ暗になっていた。人々が急ぎ足で通り過ぎていく。


十一月になれば、街もあっという間にクリスマス仕様になるだろう。


「なにか食って帰るか。食べたいもの、あるか」


体力も結構消耗したので、帰って作る気がしない。沙耶に作らせるのも悪い。


「いいんですか」

「遠慮なく言ってくれ」

「なら、居酒屋。居酒屋行きたいです。……お酒飲みたい。飲んでいいのかな」

「二十歳なら飲めるだろ? お酒は飲んだことあるのか」

「ありますよ」


街に居酒屋は何件かあるが、やはり個室があるところがいいだろう。


一度人肌が恋しくて一人で行ったことがある居酒屋には、個室があった。そこへ電話をして個室の予約を取り、十分ほど歩いた。沙耶は楽しそうについてくる。


そういえばあゆみとは、カラオケにも、居酒屋にも行ったことはなかった。

あゆみは酒を飲めたっけ。料理を作れたっけ。それすら把握していない。


明絵を説得することもできなかったし、やはりダメな父親だったのかもしれない。


居酒屋につき、個室に案内される。おひとりさまに見えるが、今日も特に従業員から不審には思われなかった。


以前のステーキハウスとは異なり、完全個室だ。座敷部屋で、障子がある。


恭介は座布団の上に正座をした。


「実は居酒屋って初めてなんです」


言って沙耶も向かい合うように座る。


「そうなのか」

「はい。バイト先でも飲み会みたいなのはなかったですし。一人では入りづらくて。憧れていました」


彼氏は、連れて行ってはくれなかったのだろう。


「じゃあ今日願いが叶ってよかったな」


この願いはカウントしない。夕飯変わりだからだ。


サラダに、だし巻き卵、枝豆、から揚げ、刺身、ビールをまず頼む。


店員が来るまで二人で静かにしていた。店員がやってきてひととおりのものを持ってくると、二人で乾杯をした。


沙耶はおいしそうにビールを飲んでいる。


「そうそう、ビールってこんな味でした」


「お酒は二十歳になって、どのくらい飲んだの」


「二十歳になった日に、ビールとチューハイを家で一回飲んだくらいです。他のお酒の味ことはよくわかりません」


「じゃあ、飲んだことのないもの頼んでみなよ。ジントニックや梅酒が飲みやすいかな」


「福田さんが言うなら、そうしてみます」


追加でジントニックと梅酒、イカフライと天ぷらを頼む。


揚げ物と塩分は年齢的なものと接客業をしている身には敵だが、普段あまり食べていないから大丈夫だ。沙耶も魚を中心とした健康的な食事を作ってくれる。


「失礼します」


店員が正座で障子をあけ、頼んだものを次々に持ってくる。その間もまた、静かにしていた。


「ありがとうございます」


テーブルに置く店員にそう告げる。一人で静かに飲んでいる客、と思われているのか、それとも外まで話声は響いていて、なにかぶつぶつ言っている客、と思われているか。


気にしてしまうが、まずは沙耶を楽しませることだ。きっと彼氏――青天目啓二に負わされた心の傷だって残っているはずだ。なんでこんなにいい子が殴られて殺され、遺体まで放置されなければならなかったのだろう。


「梅酒、美味しいですね。梅酒って梅干しみたいにもっと酸っぱいものだと思っていました。こんなに甘いなんて知らなかったです」

「な。俺も若い頃、似たような感想を持った」


枝豆をつまんだ。沙耶はイカフライを食べている。


「揚げ物はビールとあいますね」

「ビールと揚げ物を一緒に食べたことはない?」

「はい。お酒を飲むとき、おつまみみたいなのを一緒に食べたことはないです。じゃ、次、ジントニック飲んでみますね」


沙耶はジントニックに口をつける。


「うん、これも美味しいです。お酒だけど、ジュースみたいです」

「……幽霊って、酔うのか」

「今のところ、酔っている感じはないですよ」

「そうか」


自分はビールだけなのに、沙耶には他に梅酒、ジントニックをすすめてしまって罪悪感が湧く。だが本当に酔っている感じはない。大丈夫そうだ。


「居酒屋って雰囲気あるんですね。もっと騒がしい場所だと思っていました」

「個室だからそう思うんじゃないか? 基本的に居酒屋は騒がしいぞ」


今、他の客の声は遠くから少し響いてくるくらいだ。


「そうなんですか。その騒がしさも体験したいので、ちょっとテーブル席のほう見てきてもいいですか」


「意外に好奇心旺盛なんだな」

「だってこんなチャンス、滅多にないじゃないですか」

「いいよ、行っておいで」


言うと沙耶は障子をすり抜けて、行ってしまった。一人でビールを飲む。生ジョッキ二杯までなら、恭介もそれほど酔わない。


なんだか休日を有意義に過ごしている気がする。一人だったら、家で弁当を食べて悶々としていただろう。沙耶の存在に、恭介も救われている。


もう一度思う。


自分は確かに、沙耶の存在に救われている。


沙耶がいなかったら、あゆみを想って自分を責め続け、泣く日々だ。顔で泣いていなくても心では泣いている。


今でも泣いているし、責めることもあるけれど、沙耶の存在のおかげで、後悔や自責の念や悲しみ――そうしたごちゃごちゃした感情が薄らいでいるのも確かだ。


だが、沙耶を成仏させたからといって、それが恭介の救いにはならない。


沙耶を成仏させるのと、恭介の救いはまた別のものだ。


沙耶がいなくなれば、再び自責の念が強くなって、どこかで折り合いをつけながら生きていかなければならないのかもしれない。


もちろん蓮美にも救われているけれど、今蓮美と一緒に暮らすことになっても、暗くなったまま、二人で過ごすことになりそうな気がする。


娘を助けられなかった恭介に、明るさはなくなっている。


もともと明るい性格だった。中学、高校生の時も友達は多かったし、大学でもモテた。


だがその時の明るさも、ギターの弦のようにピンと張っていた若さも、今はない。

心にずっと重たいものが渦巻いている。


あゆみ。残されたほうの悲しみも考えてくれ。そう心の中で呟くが、あゆみがそんなことを考えられる精神状態じゃなかったことも、充分に分かっている。 


「戻りました―」


明るい声が聞こえ、障子からぬるりと沙耶が出てくる。もうこの光景を見てもなんとも思わなくなっている。


「どうだった」

「居酒屋の騒がしさも風情があっていいですね」

「風情なんかあるか?」

「ありますよ。それほど明るくない照明に、会社員の方々が飲みながら談笑していたり、大学生っぽい人たちが笑っていたりしました。こっちも楽しい雰囲気になっちゃって」


沙耶は笑顔で体を左右に揺らしている。


「酔ってる?」

「酔ってないです。酔っているとしたら多分場酔いですね。皆さんの空気にあてられて」


言いながらから揚げをつまんだ。幽霊が場の空気にあてられるものなのか?

そんな思いを胸に閉じ込め、二人で残りのものを全て食べた。


「次は何したい」

「遊園地!」


沙耶は大きな声で言った。う、と恭介は思う。沙耶を連れて行くとはいえ、はたから見れば遊園地に独身中年男がひとり。どんな目で見られるだろう。


「さすがに遊園地は――」


そうして、閃く。


「蓮美も連れて行っていいか」

「蓮美さんって誰ですか」


そういえば沙耶には言ったことがなかった。


「たまに泊まりに行っている家の人だよ。岡本蓮美。一応付き合っている」


「泊まりに行っていたのって女性の家だったんですね。考えてみればそうですよね。大人の男性が、男性の家に泊まるはずないですよね。どこに泊まっていたのかずっと不思議だったんです。仕事柄出張でもなさそうでしたし。いいですよ、三人で行きましょー」


拳を作り、右手を天井までぴんと上げる。


「やっぱり酔ってない?」

「酔ってません」

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