第11話


一晩を過ごし、蓮美の作った朝食を食べ、それぞれ仕事へ向かう。


今日は朝岡が休みだから、開店から閉店までフルでこなさなければならない。


一度、朝岡に洗いざらい話してみようか。そうすれば、沙耶の成仏も早まるかもしれない。しかし店内で誘って二人だけで飲みに行くのも、アルバイトに気を遣う。


飲みに行くのを誘えば、迫田や深沢だって、気になるだろう。社員だけの話ということにでもするか? そういうことにすると、二人は口を挟んでこない。


裏口から店に入りタイムカードを押すと、深沢がやって来た。


「おはようございます」

「おはよう」


彼女は二年ほど、いつも、週五、朝から四時まで入ってくれる。欠勤したこともない。


特に目指す夢もないらしい。働きぶりも真面目だし、このままなら社員途用も考えてもいいかもしれない。恭介が本社の人間に推薦すれば、本社も考えてくれるだろう。ダイアンは店長の推薦があれば、アルバイトの正社員雇用を検討する仕組みになっている。


シャッターを開け、レジをオープンさせ掃除をして在庫確認。値札をつけて品出し。

これが朝の、開店前のルーティーンだ。


午後十時開店。


やっぱり客が全く来ない。たまに客が入ってきても何も買わずに出て行く。


三階エスカレーター付近の洋服屋はずいぶん売れているようだ。前は代案も負けず劣らず、客が来ていたのだが。


「今日も暇ですねえ。こんなに暇でお給料もらっていいんでしょうか」


深沢がレジ前にいる恭介の隣に立ち、言う。従業員の客待ち基本態勢だ。


「そういうのは気にしないで」

「はい」

「あ、この前深沢さんがブーツ磨いたお客さん、とても綺麗になったって喜んでいたよ」

「そうですか。それは嬉しいです。私の腕もあがりましたかね」


深沢は右手で作った拳を持ち上げ、腕の部分を左手で叩いている。


「新人の頃より大分あがっているよ」

「それならよかったです。あ、お客様は少ないとはいえ、B56番は人気みたいで売れています」


新作の品番をすぐに覚えてさらりと言えてしまうところも好感が持てる。


「レディースのショートブーツか」

「ええ、シンプルで履きやすいって。ツイッターで書かれていましたし、うちでも買っていくお客様が多いです。ダークブラウンの売れ行きがいいですね」


社員しか見られない店の売り上げ管理表を見れば一目瞭然なので知っているが、それでも深沢は自分の体験したこと、目で見たこと、SNSで知ったことを伝えてくれる。それはとてもありがたい。ちょっと、切り出してみるか。


「深沢さんは将来どうしたい? 前も聞いたことある気がするけど、夢とかあるの」


いいえ、と首を大きく横に振った。


「なんっにも考えられないんですよ、私。夢とかなにもなくて。迫田さんはやりたいことがあって就職考えているらしいですけど。私は学生の時も夢がなくて、大学に入ったらじっくり考えようと思ったけど結局なにも思いつかなくて、中途半端に正社員として会社に入るのも会社側に申し訳なくて結局フリーターに。だから目標のある迫田さんが羨ましいです」

「迫田君とそんなに話してたっけ?」

「はい。私の帰り際にすれ違う時、時間があるので奥でよく話していますよ」

「それで、迫田君はなにをやりたいって言ってた」

「ゲームのシナリオライターになりたいみたいです。シナリオスクールにも通っているらしいですよ。まずはゲーム会社に就職して、経験積みながら、書かせてもらう方向にシフトしていくのが彼の計画のようです。夏に、シナリオの賞に出したって言っていました」

「へえ」


バイトもあるのにどう時間を使ってシナリオスクールに通っているのだろう。まあ、迫田は毎日来るというわけでもない。それほど大きいフロアでもないので社員が二人いれば結局のところ店は回ってしまう。それでもバイトがいればかなり助かる。


「深沢さん、うちの正社員途用システムは知っているよね?」

「え? あ、はい」

「よければ本社に推薦しておくけど」


表情がパッと明るくなった。


「本当ですか? そろそろまともに働かないと、と考えていたところです。ここで頑張らせてもらえるならそうしようかな」

「深く考えなくていいの」

「深く考えても、私がやりたいことの結論なんか出ないです。趣味とかホント、なにもない人間なので……。それにダイアンで働くのは好きです。よろしくお願いします」

「わかった。じゃあ、今度本社に推薦状送っておくよ」

「ありがとうございます」


なにもやりたいことがなくても、生きている限りはなにかしらの希望がある。若い子に、そういう希望を持たせることも必要だ。近くの人間から、できることをしてみよう。


沙耶ほどではないにしても奉仕をすることも大事だ。


迫田は……夢があるならなにも言うことはない。その夢が叶うことを願っておこう。


客が三人ほど来た。二人でいらっしゃいませ、と声を張る。


二人の客が試し履きをし、B56番のダークブラウンを持ってくる。どちらも展示品のものでサイズがあったらしい。客が来てくれてほっとした。一人目のレジの対応をしていると、深沢が急に何か叫んで店から駆け出していく。


二人の客が振り返っている。なにかあったのだ。


「お客様、暗証番号をどうぞ」


今は客優先。お客の注意を向けるために、冷静に言った。店は現金で買う人とカードで買う人半々だ。お客は我に返ったようにレジに向き、暗証番号を打ち込む。ポイントカードも一度裏に署名されているかを確認し、機械にスライドしてもらった。


「箱はいりますか」

「いりません」


ショートブーツを箱から取り出し、紙袋に入れる。ダイアンは紙袋を有料にしていない。ありがとうございました、と言って、急いでもう一人のお客の相手をする。丁寧に接客をして、会計を終え、お辞儀をする。客が店から出て行った後で、急いで深沢がいるところまで走る。一人の女性が、深沢と、見回りをしていたであろう保安員にとらえられていた。


「どうした。万引きか」

「はい万引き犯です。この目で見ました」


二十数年異なる店舗で働いてきたけれど、恭介がいる店での万引きは初めてだった。

マニュアルを思い出しつつ、万引き犯を店の奥に通す。深沢には、今しがた売れた靴を在庫棚から持ってきて、値札をつけて品出ししてもらうことにした。


店の奥は狭い。丸椅子を持ってきて、話をすることにする。二十代後半くらいの女性だ。一応人権にも配慮して、横柄な態度はとってはいけないことになっている。


「盗ったもの見せて下さい」


言うと、女性は素直に盗ったものを持っていたショルダーバッグから取り出した。

出てきたのは定番の女性用パンプスだ。


「名前と住所、会社名を教えて頂けますか」

「後藤さゆり。住所は……」


意外に素直だ。


「どうしてこんなことをしたのですか」

「………」

「犯罪だってわかっていますよね?」

「はい」 

「通報しますね」


女性は素直に従う。警察に通報すると、十分ほどで警察官がやって来た。保安員と深沢に状況を訊ねている。一通りの説明が終わると、被害内容を記す書類を渡された。恭介は順を追って書いていく。


警察官は後藤に色々訊ねていた。


どうやら駅ビル内での常習犯らしい。店の中で、恭介が圧倒されるほど警察官は凄んでいた。しばらくやり取りをしたあとで、警察官は後藤を連れて行った。保安員にもお礼を言う。すると、お疲れさまでした、と言って去っていった。


「深沢さん、ありがとう」

「いえ、大したことはなにも」

「いや、行動力に敬服したよ。俺じゃ気づかなかったし……情けないことに」

「捕まえられてよかったですよ」

「でも、無理しないでね。刃物を持っている可能性もあるし、相手が男だった場合、反撃にあう可能性もあるから。すぐ捕まえないで俺に言って」


深沢が反撃にあって刺されたり殴られたりするのを見たくない。


「あ。すみません、つい体が反応して余計なことを……」


責められたように感じたのか、深沢は申し訳なさそうな顔をする。


慌ててフォローした。


「謝らないで。万引きへの対処法を言っていなかった俺が悪い。推薦、大プッシュしておくからね」

「ありがとうございます」


ほっとしたような表情になる。バイトを守るのも店長の役目だ。


それにしても万引きか。初めてのことだから対処法は知っていても内心では動揺していた。


恭介はそのあと、万引きの対処法を何度も反芻しながら、四時にやって来た迫田にも伝え、その日の業務を終えた。客は七人しか来なかった。

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