第12話 さくらんぼと桜
季節とともに買わないといけないものがある。
六月は水無月とさくらんぼ🍒
けれど、どうしたことでしょう、6月も終わるというのにまだ口にしていません!
毎年なかなか伺えない私の代わりにさくらんぼにご機嫌伺いをしてもらう。
さくらんぼを見てほころぶ相手の顔を思うと私も幸せな気分になるのだ。
いつも贈るのはぎっしり実の並んだお高いものではなく、でも十分高級な箱もの。
そのとき自宅用もちょっと買うのを楽しみにしている。
この流れで値段の話をするのも世知辛いが、今年は異変がおきたのだ。
一昨年贈った時は8000円弱だった。贈り物としてまずまずといえる。
昨年は10000円ほど。少々高いが相手の顔を想像してやはり贈った。
今年もいそいそ出かけたのだが、、えっ?
なんと、16800円の値札が!!
いやいやいや!無い無い!
これは私の手には負えない、、
今年は採れ高が悪かったとは店員さんの言。
物価高、円安などの影響もありそうだ。
あまりのことに自宅用の小小盛りさえ買う気が失せた。
今年はどうやら口にする機会はなさそうだ。
たかが食べ物と言えど、毎年の楽しみだけにけっこう堪える。
やはりこの季節に届いた台湾マンゴーでもそれは埋められない。
つらつら考えるに、そう言えばあんなに咲く桜の、実を見たことがない。
ソメイヨシノは全国どころか海外にまで覇を延ばすというのに。
調べてみると桜は自家不和合性という特徴があり、異種の桜でしか受粉しない。
まあ異種と言っても遺伝子が少し違えば良いのだと思うけれど。
周知のことだろうが染井吉野は江戸時代に作られた木をずっと接木している。
同種どころか自分がたくさんいる。 分身の術かクローンか。
こんなに愛されてソメイヨシノばかりになってしまっては実生は望めない。
たまに実をつけるソメイヨシノは近くに異種の桜が咲いているせいだとか。
ちなみに、そのたまに生った実は食べられたものではないらしい、、
こう考えると、ソメイヨシノは私たちにその美しさを提供するためにだけ存在する。
いじらしくて胸に迫るものがあるではないか。
『しゃばけ』シリーズの中に桜の花の精が出てくる話がある。
往く春を思い、逝く花を想う、切なさのあふれた一編だ。
私もこれまで以上に毎年毎年桜を愛でよう。
それが人間としての始末であり、礼儀であると思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます